3月26日付毎日新聞朝刊の「記者の目」で、大阪編集局の湯谷茂樹記者が渾身の記事を載せています。「君が代 不起立で処分される教師」。
卒業式での「君が代」斉唱時の不起立を理由に東京都立校から追われようとしている一人の女性教師に焦点を当てた記事です。
この教師は、不起立の理由を
「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったらやらない、正しいと思うことだったら一人でも行動すべきだ』と生徒達に語ってきた自分の教育に反してしまうから」と話しています。
湯谷記者はその行動を、
「自らの良心に従って不起立を貫いてきた。周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動する大切さを教えている」と評価し、「この静かな不服従に東京都教委が免職や停職処分で望むのは適切な教育行政なのだろうか」と疑問を呈しています。
記事の最後には、
「多くの命が奪われたアジア太平洋戦争から、『お国』も間違うことを学んだ。『お国』の象徴の国旗、国歌へは国民それぞれの思いがある。『良心に基づく不服従』への処分は日本社会のありようが問われている」と主張しています。
ここまでよく書けたと思います。Y紙やS紙では到底無理でしょう。A紙であってもまた別な理由で書けないかもしれません。毎日新聞の編集幹部の中にもこの湯谷記者の主張に反論を唱える方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
それでも、毎日新聞には湯谷記者の主張が堂々と載りました。東京都教委には無くなってしまった「自分の良心に従って行動する自由」がさすがに健在なようです。
卒業式での「君が代」斉唱時の不起立を理由に東京都立校から追われようとしている一人の女性教師に焦点を当てた記事です。
この教師は、不起立の理由を
「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったらやらない、正しいと思うことだったら一人でも行動すべきだ』と生徒達に語ってきた自分の教育に反してしまうから」と話しています。
湯谷記者はその行動を、
「自らの良心に従って不起立を貫いてきた。周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動する大切さを教えている」と評価し、「この静かな不服従に東京都教委が免職や停職処分で望むのは適切な教育行政なのだろうか」と疑問を呈しています。
記事の最後には、
「多くの命が奪われたアジア太平洋戦争から、『お国』も間違うことを学んだ。『お国』の象徴の国旗、国歌へは国民それぞれの思いがある。『良心に基づく不服従』への処分は日本社会のありようが問われている」と主張しています。
ここまでよく書けたと思います。Y紙やS紙では到底無理でしょう。A紙であってもまた別な理由で書けないかもしれません。毎日新聞の編集幹部の中にもこの湯谷記者の主張に反論を唱える方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
それでも、毎日新聞には湯谷記者の主張が堂々と載りました。東京都教委には無くなってしまった「自分の良心に従って行動する自由」がさすがに健在なようです。
そして、これも仰るように、過去のことをよいこと悪いことひっくるめて次代に伝えるのは私たちの使命だと思っています。
ただ、時代の雰囲気が、「日の丸、君が代」について議論することさえも躊躇されるようになってきている気がするのです。
またまた仰るように「人は十人十色」です。それを認め合い、折り合いをつけて共存できる世の中により一層なって欲しいのですが。
「「君が代」ってどういう歌?」と、子供に聞かれたとき、親はこの国が犯した過ちも含めてしっかりと伝えてあげること、それが大切かな...と、ワタシは思って、息子達には折に触れ”この国の間違い”を話すようにはしています。
また、色々とお教えて下さい、私たちの大切な子供達のために。
宜しくお願い致します。
ワタシなどは何も気づかずに次の記事を読んでいたでしょう。
ワタシは子供の頃ボーイスカウトに入団していましたので、一般の方よりは国家に対して愛着を持っている一人です。 また、サッカーを愛する者としても国家斉唱の際は身が引き締まる思いでいます。
しかし、民主主義であり、宗教の自由も思想の自由もある、そんな自由なくになのですから、それぞれの”想い”を行動に移しても良いのでは... とは思います。
やはり生まれてきた環境や育ってきた環境によって、人は十人十色。だからこそ”面白い”し、社会のバランスも保たれると思います。
ただ、兵役制度くらいは有った方が良いなぁ、と変なことを考えていたりもしますが...
KIJさんが仰るように、よいこと悪いこと全てを飲み込んでよくしていこうと言うお気持、私もその通りだと思います。
この教師の方が、どう言うお気持ちで起立されなかったかは記事には書いていませんので、分かりません。ただ推測は出来ます。しかしそこは毎日新聞でも書けないところなのかもしれません。
私なりの考えで答えさせていただくと、不起立の理由はいくつかあります。ここでは一つだけ上げさせていただきます。
歌詞がどうしても気になります。「君の代が千年万年と続くように」との歌詞がどうも受け入れられません。「君」が国民全体を指していると言うのは詭弁です。
日本国民だから、日本国の教師だから、それを受け入れろ。受け入れなければ処分する。は納得できないのです。
また日本には俗に言う日本民族だけでなく、朝鮮民族の方、アイヌの方、沖縄の方の中にも沖縄民族だと考えていらっしゃる方がおられます。その方々が心から受け入れられる国歌なのでしょうか。はなはだ疑問です。私は国歌は日本に住む少数民族の方々にも受け入れられるものでないといけないと考えます。
「君が代」はおかしいと、多くの日本の住民が思う世の中になった頃には、民族や出身などによる差別はなくなっていると思います。逆に言うと、日本に差別がなくなったら、必然と「君が代」もなくなっていると思います。
湯谷記者の記事の中にもありましたが、「国旗、国歌へは国民それぞれの思い」があります。以上はあくまでも私の意見です。KIJさんのご意見を否定するものではありません。
KIJさんと私のこのやり取りを通して、少しでも多くの方が、「君が代、日の丸」に関心を持っていただければ幸いです。
繰り返しますが、ご意見ありがとうございます。
その国の人間として育ってきたのだから、国は親と同じでしょう。
どんなに過去が駄目オヤジであっても、血はつながっている。
それらをすべて飲み込んで、良くしていこうと言う気持ちで
僕は自分の自国に対して愛を持つべきだと思うんですよね。
日本にはそれがそれがないに等しいですよね。
これは自虐史観教育の問題だと思うんですけど、
こんな国は珍しいと思うんですよ。
だから起立しないというのも、ただ日本がきらいなのか
国歌が嫌いなのか、
良くしていかなければいけないという気持ちからなのか、
いまいち分からないんですよね。
僕はどんな過去も飲み込んで良くしていこうという
気持ちであれば、起立すべきだと思うんですけどね。