えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

総合詩誌POに高仁鳳さんとのかかわりを寄稿

2024年03月17日 16時10分00秒 | 本・セミナー
 みなさん こんにちは

 大阪の出版社竹林館さんの総合詩誌「PO192号 特集ことば」に私の一文が載りました。在日コリアン一世で大阪生野の多言語翻訳印刷会社ケイビーエスの創業者高仁鳳さん(故人)とのかかわりを綴っています。よろしければご覧ください。自らの文章が雑誌に載るのは嬉しいですね。写真で見づらい方は文末のベタ打ちをご覧ください。
 
 ちなみに竹林館さんに拙著「小さな会社マスコミデビューの法則」を出版していただきました。
 拙著にご興味お持ちの方はこちらをご覧ください。

「もう遅すぎる」

 商いをしていた頃ある異業種交流会で、朝鮮戦争を体験された在日コリアンの高仁鳳(こう・いんぼん)さんと知り合いました。高さんは私より20歳ほど年上で、太平洋戦争が始まった年に大阪で生まれました。戦後朝鮮に戻り、そこで朝鮮戦争に巻き込まれます。2000年ごろだったでしょうか。その体験をお聞きしました。 6歳で朝鮮に帰った高さんは田舎町で乾物屋を営みだした母、兄と三人で幸せに暮らしていました。しかし9歳の時に朝鮮戦争が勃発、平穏な暮らしは一変します。兄が徴兵され、母が病気で亡くなりました。いったんは親戚に引き取られますが、12歳のころに孤児に。朝鮮の寒い冬を一人ぽっち路頭で過ごしました。兄を探してソウルにたどり着きます。偶然知り合った散髪屋さんの主人に声をかけられ、住み込みで働きだしました。その後やっとの思いで兄と再会、父のいる日本に戻ってきます。16歳になっていました。
 私は高さんに、「朝鮮戦争について日本は責任がある。その後の朝鮮半島の南北分断についても責任がある。日本人として申し訳ない」と謝りました。そして「今日本に、日本人に、私に出来ることはないでしょうか」と尋ねました。すると高さんは苦虫を嚙み潰したような顔と声で、「岡田さん、もう遅すぎる」とつぶやきました。いつも陽気で笑顔の高さん。初めて見たお顔です。返す言葉がありませんでした。
 高さんの「遅すぎる」の言葉は、今も私の胸の奥に棘のように突き刺ささり、時折チクチクと痛みます。それは私だけの痛みではなく、実は高さんの痛みでもあって、私に分けてくれたんだ。2012年12月12日に高さんががんで亡くなられてから気づきました。
 昨年3月、高さんの地元大阪・生野で「高仁鳳没後10年集会」を開きました。そこでは高さんの生涯を講演や映像で振り返り、悲惨で壮絶な体験を経験したからこそ生まれた高さんの平和への希望すなわち「朝鮮半島と日本の友好親善」、「南北の平和的自主統一」への希望を200人を超える方々と分かち合いました。
 高さんの平和への希望を叶えることに一歩でも近づいた。痛みとともに希望を抱く200人の一歩となって。 高さん、遅すぎませんよね。

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 (有)ニューホンコン造花 
 〒581-0845 八尾市上之島町北5-32-2
 TEL 072-923-5587 FAX 072-996-4187  
 ホームページ http://nhkf.jp  E-mail info@nhkf.jp

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