山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

藤原教授の『典範改正に見る軽佻すぎる思考・伝統は時代と理屈を超越』

2006-03-12 21:09:15 | Weblog
藤原正彦・お茶の水女子大教授の著書「国家の品格」が、ベストセラー書として脚光を浴びている。
一昨年、東京での某主催・記念講演で、藤原教授の講演を拝聴する機会があった。
手帖にメモを取りながらも、的を衝いた講演要旨と、ユーモアを折り込んだ教授の話術に聞き惚れてしまった。
いつか山形に教授をお招きする講演会を企画できないものか。是非、多くの方々にも聞いて貰いたいと考えていた。
今朝のフジテレビ系「報道2001」に藤原教授が出演、キレのある発言に、改めて手帖のメモを見開き、一昨年の講演を思い起こしてしまった。
皇室典範改正問題での教授の「憲法と世論で皇室伝統を論ずるには無理がある」との論にも、心を衝かれ圧倒されてしまった。
『皇族は憲法の外にいる人である。だからこそ皇族には、憲法で保障された選挙権も、居住や移動の自由や職業選択の自由もなく、納税の義務もない。男女同権の論理だけを摘要することは無茶である。伝統を考える際に、一時代の思潮である憲法や日々変わる世論を持ち出しては、ほとんどの伝統は存続できない。伝統は時代と理屈を超越する高貴なものだ。』バッサリと斬る論には、眼からウロコが落ちる思いだ。
選抜された国家エリートが存在してこそ、国家・国益が保たれ存続する。との指摘に、思い起こしたことがある。
一昨年の記念講演で、もう一方の講師が、JR東海の葛西敬之会長であった。
葛西氏のJR東海やトヨタを始めとする、中部経済界が出資設立した全寮制の海陽中等学校が、4月に開校、英イートン校を睨んだエリートの人材育成に取り組む。
藤原教授論の実践を見るようだ。
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稚児・永田寿康で証明された、GHQの戦後幼稚化政策

2006-03-12 01:31:24 | Weblog
大東亜戦争後、GHQの占領政策で、後に(米上院で)マッカーサーは45歳の(おとなの)アメリカに立ち向かった(日本は)12歳の少年だと形容した。この勇猛な少年を成長させてはならない。二度と大人に挑むことのないよう、さらなる幼稚化教育せよ!。が、占領政策の狙いであった。その後の朝鮮戦争・米ソ冷戦など国際事情は変遷を辿るが、このたびの、「永田ガセメール問題」は、国内政治の一端での政治家の資質を問う、極めて単純なことであるが、国会は騒然・マスコミの取材合戦に発展した。いまだ、すべては解明されていないが、このような稚戯が公然と現れるほど、国民全体が12歳より劣るほど、幼稚化したのだろうか。なにより、東大・財務省と言う経歴を持った永田が主役だったことがより深刻にさせる。民主党の渡部恒三国対委員長は10日、衆院懲罰委員会に付託されている永田議員について「政治家は出処進退が大事だ。国民の信頼を取り戻せる時は腹を切る覚悟がいる。政治家は侍なんだから」と述べ、自ら議員辞職すべきだとの考えを示した。また、渡部はラジオ番組で「僕は会津(出身)。16歳の白虎隊は腹を切った。今の若い人も覚えて欲しい」とも語った。「政治家は誰から言われることでなく、本人が判断することだ」は、16歳の少年白虎隊は自決したのに、決断できないようでは、それ以下の幼児そのものだ。渡部は「永田は辞職すべきだ」という党内や世論の根強い声を意識して発言したと見られる。メール問題が長引けば、国民の政治不信をさらに深くさせる。もし、党内に永田の辞職を思い留めたものがいたならば、罪はさらに大きい。
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