toty日記

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いっきょうむら

2007-03-28 21:15:30 | 夏の思い出(一匡邑)
以前も、ご紹介したが、
一匡邑(いっきょうむら)について
sourokuさんがブログに書かれている。

大正12年に…とあるように、母の代から夏はここで過ごしたらしい。

母と北軽(略してこう呼んでいた)といえば、
草軽電鉄で怪我をした話がよくでる。

娘時代、北軽井沢から東京に帰るのに
草軽電鉄に乗って、デッキから身を乗り出して、
手を振って別れを惜しんでいたら、

電信柱にあたり、その反動で反対側にたたきつけられ、
落ちて大怪我をしたのである。

もちろん、医者はいない、
軽井沢の外人専用の病院にかつぎこまれ、
意識不明の状態が続いた。

顔を何針も縫う怪我をしたので
女の子なのにと、心配した祖父が、車で東京まで運んだので
その後、目の焦点があわなくなるという後遺症が残った。
(そのため、今かけているメガネは、
片目を黒いシートで覆っている、丹下左膳みたい!)

その時の話、
意識はなくても、皆が言っていることは聞こえる。

ああ、もうだめだとか、
助からないなと言う声が聞こえていたと言う。

だから、病人やけが人の枕元では
聞こえないからと悲観的なことはいってはいけないと
よく言う。
聞こえていることに対して、表現できないだけなのだそうだ。

母にとっても、いっきょうむらは、
いっぱい思い出のあるところなのだ。


いっきょうむら! クリック!

写真は、2月のコンサート、マンドリンクラブの指揮者。
笑顔が素敵だった。みねこぺんさん写す

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
草軽電鉄 (NANAE)
2007-03-28 23:34:37
思わず、Wikipediaで草軽電鉄のことを調べてしまいました。
現在のJR吾妻線は、草軽電鉄よりもだいぶ後になって開通したんですね。
そういえば渋川から長野原へは、線路も国道もかなり急峻なところを通ります。
軽井沢からの方が草津に入りやすかったんでしょうか。

お母様、大変な事故に遭われたんですね。
植物状態になっても意識はしっかりしているという話を聞いたことがあります。
返信する
草軽電鉄 (toty)
2007-04-03 20:53:57
★NANAEさん
草軽電鉄、のんびりした電車でした。
坂をあえぎあえぎ登る感じで、
時に、歩いた方が早いなんていう話もあったりしました。

貨車に、まっ黄色の硫黄の塊(練炭のような形態)が積まれて、
あれは、何に使ったんでしょうね。
マッチ?

黄色の色が記憶に残っています。

返事が遅くなり、申し訳ありません。
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