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君は桂枝雀を知ってるか

昨年BS朝日で放送された「君は桂枝雀を知ってるか」が、再放送されたので録画して観た。朝日放送は昔「枝雀寄席」をやっていたので、枝雀師匠の資料はたくさん持っている。小生が保存している枝雀師匠のDVDは、ほとんどが枝雀寄席をVHSテープに撮って、DVDに映したものだ。その朝日放送が制作した番組だから、さすがよく出来ていた。
喜多哲士さんが「枝雀は落語をモチーフに、なにか別のものをこしらえたんやないか」といっていたが賛成だ。では、なにをこしらえたのか。喜多さんもこの一文のあとに「それはやっぱり落語やったから」と続けている。小生、おもうに落語は落語でも「枝雀落語」という落語の新しいカテゴリーを創ったのではないか。日本の落語には江戸落語、上方落語、そして枝雀落語の三種類があるというわけだ。
落語を演者が一人で座布団に座って演じる話芸と定義するのならば、枝雀は「足の指一本座布団にかかってればいい」といっていた。ところが枝雀は座布団を遥かに離れ、高座の端から端まで駆け回っていた。はなはだしい時は高座から転げ落ちた時もあったとか。小佐田定雄さんは、枝雀にとって枝雀のいるところ、そこが座布団の上だったのだろうと、いっていた。
枝雀とは何者?ともかく「コンをつめる人だった」食べ物にコンをつめる。365日毎日フグを食う。グラタンを食う。焼肉を毎日食って痛風になる。そしてもちろん落語、いや枝雀落語にコンをつめる。
上村愛子がソチオリンピックでもメダルが取れず。それでも「満足のいく滑りだった」と笑顔を見せている。三波春夫は「お客様は神様です」といったとか。お客様は神様だからお客様が喜んでくれればそれで良しということだろう。上村は自分の滑りができれば満足。三波はお客様が喜べば満足。ところが枝雀は違う。自分の落語ができて、お客も喜ばなければいけない。客席は大爆笑、お客は大満足。それでも自分自身が満足のいく出来でないのなら、枝雀は大変不満なのである。ざこば師匠が「イヤミかいな」といっていたが、イヤミではなく本気でそう思っていたのだろう。
枝雀にとって高座とは、演者たる自分と、受け手たる客が渾然一体となって「枝雀落語ワールド」を創り上げることだったのだろう。従来の落語が演者→客、映画で言えば2D。枝雀落語が枝雀→←客、映画でいえば3Dということではないか。そういうことにコンをつめれば地獄であったのであろう。
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