goo

とつぜんSFノート 第32回

 ある夜「涅槃の電話」が来た。深夜2時ごろ、ぼそぼそとした声でしゃべる。聞き取りにくいが、何をいっているのか、なんとか判る。どうも今度の日曜日、神戸でSFの集まりがあるから、キミもいっしょに行かないかという電話だった。OKした。
 確か神戸で第14回日本SF大会がある少し前のことだった。日曜になった。待ち合わせ場所は国鉄六甲道駅の改札を出た所。なにせ待ち合わせの相手、南山鳥27氏は普通の人とは違う次元で生きているご仁。そのM27氏と待ち合わせるなんてことは、良い子は絶対にマネしてはいけない。小生はなれているからできる。それでも、1時間や2時間は待たされる覚悟で六甲道まで行く。この時は常識の範囲内での遅刻で、彼はやってきた。
 二人で向かったのは駅前の勤労センターの会議室。中に入ると20人ほどの男がいた。真ん中に若いわりに恰幅がよく、押し出しの良い男がいた。そいつが「よく来てくれました。お2人のお名前はチャチャヤングで存じ上げています」と、親しげに、小生たちに話しかけ、イスをすすめてくれた。
 この時の会合が「サイコハウス」というグループの会合。真ん中の男が代表の清水宏祐。小生が清水宏祐と初めて出会ったのが、この時だ。小生とこの清水、それに山根という男、この3人が出会ったことで、後に関西で大きなSFのイベントが開催されることとなった。そのイベントは1980年代の半ばだから、10年近く前の、この小生と清水の出会いが、その萌芽かも知れない。
 南山鳥27がサイコハウスの例会に来たのはこの時だけ。小生は地元神戸のグループということで、それから毎月出席した。1次会は六甲道の勤労センターで行っていたが、2次会は三宮に移動。「エリーゼ」という喫茶店で行っていた。
 清水をはじめ、サイコハウスのメンバーとは急速に親しくなった。SF大会で「S年F組」をやっている、西川先生や佐伯先生たちとも、このサイコハウスの縁で知り合った。また、いわゆる神大四天王。水鏡子、岡本俊弥、大野万紀、米村秀雄の4氏とは、以前から知り合い だったが。岡本、大野、米村の3氏はサイコハウスの会員だった。水鏡子はサイコハウスではなかった。また、米村氏はネオヌル同人13人に入っていない。このころ、水鏡子、米村の両氏はオレはサイコハウスではないぞ、オレはネオヌルではないぞ、と妙なことで自慢しあっていた。
 清水宏祐はサイコハウスの代表である同時に、VOCというサークルの代表を兼ねていた。VOC、ビデオ・オーナーズ・クラブといって、ビデオマニアのサークルだ。ソニーのベータマックスの発売が1975年だから、清水はものすごく初期からのビデオデッキを持っていたことになる。何度か宝塚の彼の家に行ったことがあるが、実に様々なデッキ、カメラ、テープ、磁気ディスクの類いが山積みされていた。こういう男だから、映像の撮影もうまく、小生の結婚式のビデオ撮影は清水に頼んだ。
 このころ、ネオヌルを中心のある企みが着々と進行していた。なぜが、小生は、その企みの実行には関わらなかったが、周辺にいる者として、話は聞いているし、進行具合も知っていた。神戸で大きなSFのイベントを行うべき計画が進んでいたのだ。それは小生たちがいいだしっぺとなった、大阪府吹田市でのイベントと同じモノで、吹田のイベントの11年前に開催された。そのイベントの黒幕はどうも筒井康隆氏らしい。
 小生は、その神戸のイベントの周辺をウロウロしていただけだが、清水宏祐は渦に巻き込まれ、渦の中心に立たされてしまったのである。
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

阪神、4連敗借金4、4位も危ないぞ

 なんぼなんでも今日は勝てると思うた。なんせ2回、平野タイムリー、鳥谷押し出し四球、アライ兄2点タイムリーで4点先制。さらには3回アライ弟ソロホームラン。で、アライ兄弟の活躍で5点リード。きょうはお立ち台はアライ兄弟かなと思とった。ところがそんな甘いもんやおまへん。能見が2本ホームラン打たれ、久保田が打たれ、平野がエラーして、結局7対6で逆転負け。阪神負けたけどおもろい試合やったな。ヤクルトにファインプレーが多かったんが阪神の敗因やな。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )