思いがけぬ出会いを、「邂逅(かいこう)」といい、「遭遇(そうぐう)」という。
人の縁はまずここから始まると、作家の浅田次郎さんは言っている。
浅田さんの解説では、「邂逅」とはかねてより会いたかった人、あるいは好ましい人との出会いをいい、「遭遇」とは会いたくない人、あるいは好ましからぬ人とバッタリと出くわすことなのだそうだ。
ただし、縁の怖いところは、思いがけぬ出会いのそのときには、「邂逅」か「遭遇」かが判然としない。
のちに振り返って、「あの人に出会えてよかった」とか、「あの人にさえ出会っていなければ」などと考えるのである。
そうこう思えば、人の縁とはいよいよ人知の及ばざるところで、むしろ妙な期待や警戒をして人生を偏狭にするよりは、来る者拒まずと肚(はら)をくくって、出会いをミステリーのように楽しんだほうが得、という気がするとも言われている。
本当に「人の縁」ほど不思議なものはない。
ずっと会っていなかったのに、再会した時にすぐに思い出す人がいる。
その「思い出しスイッチ」を誰が押すのか。
それ以前に再会の機会を誰が演出したのか、つい考えることがある。
それこそ人知の及ばざるところなのか。
しかし、再会するからにはきっと何か理由があるのだろうとつい考える。
自分の中では、これを「運命(さだめ)」とよんでいる。
人間関係の中でどんなに親しくしていても、そこに利害関係のある人はいつか遠のいてしまった経験がある。
それは、こちらと付き合っていても「利」がなかったり、「利」がなくなったと感じるからだろう。
また、付き合うことで「害」になると感じると保身のために遠のく人もいる。
この場合は、「遭遇」ということか。
だが、「再会」は出会うよりも奥が深い。
私は「出会い」よりも「再会」を大切にしたい。
その方がよりミステリアスなような気がする。