実は、5日にお袋が心不全で病院に運ばれました。
ひょっとしてと、つい考えてしまいました。
お袋は、広島出身で原爆被爆者なのです。
そのせいか、身体は決して丈夫とは言えず、私が中学一年の時に、胆嚢(たんのう)を切除するまでは、おそらく私のそれまでの人生の半分くらいは入院していたと思います。
そのため、親父と二人きりの生活を随分長くすごしたような気がします。(現実には、17歳の時に親父は仕事中の事故で死んだため、総合すると他の親子よりは短い付き合いなのですが...)
また、家にお袋がいた時は、本当に厳しいお袋のイメージしかないのです。
家の掃除から庭掃除、雑巾がけ、洗濯物の取り込みや片付け(当然、折りたたんでです。)を小学校の低学年からさせられました。
その厳しさは半端でなく、掃除の仕方が悪いとほうきで叩かれ、洗濯物のたたみ方が悪いと放り投げられ、最初からやり直しです。
子供心に本当の親ではないと思ったくらいです。
そして、入院中は家事を親父と担当をわけ、食事係も私がつとめました。
つまり、家事全般のほとんどを私がやるのです。
そのせいか、料理を失敗しても親父は文句を言わず食べてくれていたような気がします。
その厳しさが役に立つことに気づくのは、親元を離れ一人暮らしをはじめて、生活に不自由を感じない自分がいることではじめて気づくのです。
「なるほど、そういうことか。」と。
また、お袋は、きっと親父よりに先に逝くと思っていました。
でも、現実は、親父が死んで33年が過ぎてもお袋は元気です。
しかし、今回はひょっとしてと思いつつ、先週の土曜日、病室で親子二人きりになったときに、「検査でバイパス手術をすれば治ると言われたらどうする?」と聞くと、「ほうやなあ、これ以上身体を切り刻むのはなあ...。」
我々親子は、決して仲のいい親子とはいえませんが、それだけでわかります。
そして、今日、精密検査があり、手術まではしなくていいことがわかりました。
ベットに座っているお袋の背中をさすりながら、痩せた背中の背骨がやけに出ていることに気づきました。
ひょっとしてと、つい考えてしまいました。
お袋は、広島出身で原爆被爆者なのです。
そのせいか、身体は決して丈夫とは言えず、私が中学一年の時に、胆嚢(たんのう)を切除するまでは、おそらく私のそれまでの人生の半分くらいは入院していたと思います。
そのため、親父と二人きりの生活を随分長くすごしたような気がします。(現実には、17歳の時に親父は仕事中の事故で死んだため、総合すると他の親子よりは短い付き合いなのですが...)
また、家にお袋がいた時は、本当に厳しいお袋のイメージしかないのです。
家の掃除から庭掃除、雑巾がけ、洗濯物の取り込みや片付け(当然、折りたたんでです。)を小学校の低学年からさせられました。
その厳しさは半端でなく、掃除の仕方が悪いとほうきで叩かれ、洗濯物のたたみ方が悪いと放り投げられ、最初からやり直しです。
子供心に本当の親ではないと思ったくらいです。
そして、入院中は家事を親父と担当をわけ、食事係も私がつとめました。
つまり、家事全般のほとんどを私がやるのです。
そのせいか、料理を失敗しても親父は文句を言わず食べてくれていたような気がします。
その厳しさが役に立つことに気づくのは、親元を離れ一人暮らしをはじめて、生活に不自由を感じない自分がいることではじめて気づくのです。
「なるほど、そういうことか。」と。
また、お袋は、きっと親父よりに先に逝くと思っていました。
でも、現実は、親父が死んで33年が過ぎてもお袋は元気です。
しかし、今回はひょっとしてと思いつつ、先週の土曜日、病室で親子二人きりになったときに、「検査でバイパス手術をすれば治ると言われたらどうする?」と聞くと、「ほうやなあ、これ以上身体を切り刻むのはなあ...。」
我々親子は、決して仲のいい親子とはいえませんが、それだけでわかります。
そして、今日、精密検査があり、手術まではしなくていいことがわかりました。
ベットに座っているお袋の背中をさすりながら、痩せた背中の背骨がやけに出ていることに気づきました。
課長のお母さんが、早く良くなる事を願っています。
課長もお体を大切にして下さいませ。
何かとご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。