近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

交野市の雷塚古墳とは!

2010年04月03日 | 歴史
雷塚古墳は、森古墳群の中にある最大級の前方後円墳で、古墳時代前期(4世紀)の築造と考えられ、卑弥呼の墓といわれる奈良の桜井・箸墓古墳と同じくバチ型の古墳。

昭和57年に、本古墳の確認調査が行われ、生駒山系北端に4基の前方後円墳と円墳1基が発見されたと云う。中でも雷塚古墳が最大の規模を有し、周囲には陪塚と見られる円墳も見つかっている。



写真は、雷塚古墳の前方部から後円部を望む光景。

本古墳の規模は、全長約106m・後円部経約56m・前方部先端幅約32m・くびれ部幅約22mで、尾根の地形を巧みに利用した前方部2段、後円部3段に築造されている。

特に後円部に比べて前方部の幅が小さく、後円部と前方部に比高差が10mほどと極端に低く、前方部が三味線のバチのように開いている点、墳丘部に埴輪や葺石などが見られない点などが、前期古墳の中でも更に古い部類に属すると見られている。





写真は、本古墳から出土した二重口縁壷と円筒埴輪及び円筒埴輪と囲形埴輪。

本古墳発見の契機は小学生だったと云い、化石探しに夢中になっていた小学生3人が、交野市森地区の山中で埴輪と二重口縁壷などの土器片を発見したことがきっかけとなった。

これら土器片の型式は古く、まだ円筒埴輪が、本格的に出現する前の時期で、これから古墳時代も前期に近いと推定されているが、本格的な発掘調査はまだ実施されていないらしい。

土器発見地点から更に山奥へ600mほど進んだ標高143mから155m辺りで、鍋塚古墳が発見されたと云う。

100m以上の大規模古墳を幾つも築造するという、豪族がこの山麓で勢力を張っていたに違いないが、はたして古墳の主は一体誰なのか?興味が尽きない!



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