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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

四條畷市の大上古墳とは!

2010年04月05日 | 歴史
四條畷市清滝中町の大上古墳群は、馬が朝鮮半島から運ばれて、生駒山系山麓から現在の外環状線かけて“牧”が築かれ、蒙古系の小ぶりの馬と共に、馬飼いも朝鮮半島から大勢やって来た結果、飯盛山山麓の当地が渡来系の人々の墓地となった。

朝鮮半島からは、馬を乗せた丸木船や準構造船が2ヶ月かけて、玄界灘から筑紫(福岡)・豊浦(下関)・瀬戸内海、そして大阪湾(難波津)を経て、当時の河内湖から寝屋川を上った。

そして現在の国道163号線付近の外環状線西側まで接近していた、当時の寝屋川沿いの「蔀屋北遺跡」に辿り着いていたと考えられている。

旧寝屋川から東へ2kmほど離れた当地からは、南北に横たわる生駒山系を越えれば、比較的なだらか下り坂となり、馬に負担を掛けず「大和」へ供給できた立地の良さが、馬の牧として、当時の王朝・豪族に認められたと見られる。







写真は、国道163線脇の関西セルラー鉄塔が見える大上古墳現場、本古墳から見上げる飯盛山及び当地に造られた大上遺跡記念石碑。

平成4年、関西セルラー(私立忍ヶ丘幼稚園近く)の鉄塔建設に先立っての発掘調査で発見された、直径約19mの円墳。



写真は、大上古墳から出土した須恵器・金環・土玉など。

円墳の周濠から埋葬施設が2基発見され、1号主体部には遺骨が残り、金環・土玉230点などが埋葬されていた。

叉2号主体部ではガラス小玉30点と馬歯が出土し、馬飼い集団の存在が窺える。

平成11年の調査では、全長6mほどの小さな横穴式石室が発見され、金銅装耳環が出土した。

石室の床下には、小型の施設ながら排水施設も備わっていたと云う。

本古墳群の横穴式石室については、古墳時代後期から鎌倉時代に石室が開かれ、副葬品は持ち去られたが、金銅装の耳飾りが残されていた。





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