近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

堺市の御廟山古墳とは!

2010年05月23日 | 歴史
御廟山古墳は、北区百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳。

墳丘は、全長約186m・後円部径約96m・高さ約18.3m・前方部幅約119m・高さ約17.8mの規模で、日本最大の大山古墳・仁徳天皇陵の全長約486mを含む百舌鳥古墳群では4番目の大きさの前方後円墳。

墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがある。







写真は上から、御廟山古墳の正面姿、南側のお濠光景及び北側のマンションに囲まれた光景。

葺石と埴輪があるが、埋葬の主体部の構造や副葬品などは分かっていない。

同古墳は、応神天皇を最初に埋葬した墓とか、仁徳天皇の御妃の墓とする伝承があり、宮内庁が明治時代に陵墓参考地(被葬者を確定できないものの、皇族の墓所の可能性が考えられる場合)に指定。

墳丘は宮内庁、周濠は地元自治会が管理しているが、裾周りが濠水によって崩落、その護岸整備工事に向けて、同庁が平成20年10月から事前調査に入ったのに合わせ、堺市が濠を調べていた。





写真は、平成20年10月の発掘調査現場の遠景と近景。

発掘調査結果、円筒埴輪や家形埴輪などコンテナで20箱分出土したと云う。

皇族を埋葬したと伝えられている古墳などは、宮内庁は「御霊の安寧と静謐(せいひつ)を守る」として、“陵墓参考地”に指定し、宮内庁が管理をしているが、それらの古墳は、従来研究者に公開されることはあっても、一般公開はされてこなかった。

しかし今回本古墳の墳丘15ヶ所を発掘調査した中で、1ヶ所が初めて公開された。

今回の調査結果、古墳の全長が、従来より約14m長い、約200mになることが判明。出土品から築造年代は従来の5世紀後半から中頃に遡ったことで、仁徳天皇陵よりやや早いと見られる。

出土品は、全て宮内庁保存・管轄化にあり、今までのところ一般公開されていない。




写真は、出土した円筒埴輪などの埴輪列及び葺石。

墳丘のテラス部から円筒形や朝顔形・蓋形・家型などの埴輪列が確認された。

前方後円墳のくびれ部分に、通常は両側とも造り出しがあるが、ここは南側だけ。

出土物の99.9%が埴輪で、そのうち円筒埴輪が9割、残りが形象埴輪。

形象埴輪が造り出し部に集中して見つかったことから、弔いの儀式を行ったのではないかと考えられている。

と言うように、今回の発掘は、宮内庁と自治体との初の合同調査や一般公開、そして報道陣の立ち入りなど異例ずくめであったと云う。

今後は、限定された区域だけでなく、陵墓全体を調査できるきっかけになればと、考古研究者は期待を寄せていると共に、宮内庁の職員とも意見交換ができるよう、宮内庁の公開姿勢が更に軟化することを期待したい。





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