近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

滋賀県大津市の春日山古墳とは!

2009年12月10日 | 歴史
春日山古墳は、大津市真野谷口町春日山の、堅田平野に面した滋賀丘陵先端にあり、全長約65m・後円部径約32m・高さ約6m・前方部幅約20m・高さ3.5mほどで、バチ形をした二段構築の前方後円墳。

墳丘には、葺石は施されておらず、埴輪の出土もなく、又墳丘に埴輪の配列はなされていなかったと見られている。







写真は、春日山古墳登り口、墳丘の様子及び二段構築の痕跡。

JR堅田駅の西方、滋賀丘陵の先端部に広がっている前方後円墳。

後円部中央にある埋葬施設は、はっきりしないが、本古墳は5世紀中頃の築造と推定されている。海上交通を始めとする交通に深くかかわった人物の墓と見られている。

前方後円墳の春日山古墳は、丘陵東端に立地する10数基ほどで構成される、国指定史跡のE支群に所在し、5世紀の築造で地域首長墓。

E支群にはこのほか、次世代の首長墓である直径約25mの円墳群を含んでいると云う。





写真は、春日山古墳公園入口及び数多くの古墳が埋もれているといわれている、群集墓の森。

6世紀から7世紀初めにかけて築かれた、総数220余りの基からなる後期の群集墓で、尾根やその斜面を中心に6つの支群で構成されている。10~30m規模の円墳群が中心らしい。

過去に破壊されたもの、未発見の古墳を加えると、総数は250基を越えるらしい。



写真は、春日山古墳から出土した石室。

主体部の形式は、木棺直葬、箱式石棺、横穴式石室といろいろで、昭和49年、春日山古墳があるE支群が国の史跡に指定されている。

石室の石材が窪みに堆積した枯葉に埋もれているもの、奥壁側が開いているもの、奥壁のみが、かろうじて残り他は崩れているもの、もはや石室の形はなく、大きな石が転がっているものなど、完存しているものはほとんど無いと云う。





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