近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

滋賀県大津市志賀町の唐臼山古墳とは!

2009年12月12日 | 歴史
唐臼山古墳は、琵琶湖をはじめ周囲を一望する、志賀町小野水明の丘陵尾根筋上に築かれ、小野小学校南の“小野妹子公園”内に所在する。





写真は、住宅に囲まれた本古墳から見晴らす琵琶湖の景色と小野妹子神社。

この古墳の所在する地域は、遣隋使で名高い小野妹子の出身地とされ、地元では、この古墳を妹子の墓と伝えているが、江戸時代の記録に初めて見られたと云う。

小野妹子は、飛鳥時代の外交官・政治家で、豪族小野氏の出身と云われる。生没は不詳であるが、没年は7世紀後半と見られるため、妹子の墓にしては、時代がチョット合わない。





写真は、古墳公園内の円墳のような噴丘及び前方部と見られる墳丘の墳頂。

現在、写真のような墳丘は、直径が15m程の円墳状の地形として残っている。墳丘の頂上部にはかなり広い平坦面があり、平たい大きな石が多数散らばっている。

志賀町の曼陀羅山古墳群が分布する丘陵から、東に延びる尾根の標高約140mの頂上付近にある古墳。

付近は、近年の開発により住宅街になっているが、この古墳のある土地は、「小野子谷」といい、「山神」が祀られ、樹木の伐採が厳しく制限されてきたと云う。このため、この古墳の部分だけが、わずかに住宅地の中に取り残されたように開発から免れている。

しかし、墳丘は、いつの時代かは分からない削平を受け、大きく形が崩れてしまい、現状では円墳のように見えるが、前方後円墳であった可能性も指摘されている。





写真は、掘り起こされ、むき出しになった、石室石材の様子。

墳丘は流失し、破損した、箱形石棺状の石室が露出している。

石室は現状で南北5.75m・幅1.5m・高さ1.7mと計測されている。石室内には玉石が敷かれており、玉石の上に置かれていた、土師器片・須恵器片から、7世紀前葉の築造かと見られている。

石室は、主軸をほぼ真南に向けており、石室の南端に玉石が露出していることから、石室の床面には玉石が一面に敷かれていたと考えられている。

現在墳丘には、巨大な箱形石棺状石室が露出しており、7世紀前半頃の箱式石棺を拡大したような特異な石室を持つ古墳で、このような墓は、ヤマト朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もある。



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