近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

和歌山市の岩橋千塚古墳群とは!その1

2009年06月05日 | 歴史
これから暫く、和歌山県内の古墳といえば、筆頭に挙げられる、岩橋千塚古墳群について、じっくり巡ってみたい。

古墳時代最大級の県内遺構は、和歌山市の岩橋千塚古墳群で、約700基の古墳から成り、大部分は6世紀・古墳時代後期の約100年間に造られたと言う。

古墳の数の多さは全国でも最大クラスで、約420基が国指定特別史跡に指定されている。

古墳群を造営したのは、県内最大の平野である紀ノ川平野を支配していた、渡来系紀氏と考えられている。

紀氏は4世紀中頃に泉南・紀の川河口へ入り、4世紀後半にかけて、紀ノ川流域に勢力を張ったらしい。

紀氏は古代豪族の一つで、氏族・紀氏の長は“紀伊国造”を称し、現在に至るまで和歌山市の“日前神宮・國懸神宮”の祭祀を受け継いでいる。

天王塚古墳は、井辺八幡山古墳とともに岩橋千塚古墳群の双璧であり、規模はどちらも全長約90mで、後期古墳では吉備や出雲を含めても最大級の大きさ。

本古墳群は、前山・大日山・大谷山各地区合わせて約59万㎡を範囲とし、昭和46年には、“紀伊風土記の丘・特別史跡公園”として指定・保存されている。







写真は上から、“紀伊風土記の丘”資料館と復元竪穴住居、岩橋千塚古墳群発見の記念石碑及び園内の古墳群光景。

竪穴住居は、岩橋千塚古墳群に接した音浦遺跡でみつかった、5世紀末の古墳時代中期の竪穴住居跡をもとに、復元している。

明治初期には第一次発掘調査が行なわれた当古墳群は、その後も幾度かの調査を経て、昭和46年には国指定史跡として認定された。と同時に特別史跡・岩橋千塚古墳群として、“紀伊風土記の丘”が開園した。



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