近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

和歌山市の岩橋千塚古墳群とは!そのⅡ

2009年06月07日 | Weblog
ここで、岩橋千塚古墳群を巡る周辺環境を概観してみたい。



写真は、和歌山市鳴神地区から望む岩橋千塚古墳群が所在する山々。

標高最大約150mの尾根伝いに約700基もの古墳が並ぶ。頂上には最大90mほどの前方後円墳を配置。

尾根上には点々と古墳が配置され、頂上には前方後円墳が威令を誇示している。



写真は、岩橋千塚古墳群から紀ノ川を挟んで北西に位置する、和歌山市北部の楠見地区周辺地図。

この地区に鳴滝遺跡や大谷古墳が所在する。

5世紀の紀ノ川下流域は、国際色豊かな渡来文化の窓口で、“鳴滝遺跡”周辺は、渡来系の遺物が出土することでよく知られている。

楠見地区は、和歌山市の北部に位置し、北は和泉山脈の南斜面、南は紀ノ川の堤防沿い、東は鳴滝川、西は南海電車線沿いに区切られた地域。

地域内には、弥生時代の倉庫群と見られる、鳴滝遺跡のほか、日本でも珍しい馬冑・馬甲が出土した大谷古墳などが所在する。

5世紀前半には、鳴滝遺跡から読み取れるように、紀伊津の北の丘に巨大倉庫群が建ち並んでいたと見られ、貿易に関わる文物の一時収納庫として、巨大倉庫群は、朝廷と紀氏の威信を示す効果があったと考えられる。

紀氏は、この和歌浦からやがて大阪湾を含むベイエリア一帯の開発と支配を進めて行ったらしい。

鳴滝遺跡では7棟の巨大倉庫群と廃棄された陶質土器、大谷古墳からは馬冑、楠見遺跡や大同寺古墳からも陶質土器が出土したと云う。

又日本最大級の古墳群である、岩橋千塚古墳には、前方後円墳が29基あり、そのほかは円墳・方墳などが存在。

古い前方後円墳は、花山に造られ、その後大谷山・大日山から前山へと順次築造されていった。埋葬施設には、粘土槨・箱式石棺・竪穴式石室・横穴式石室などがある。





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