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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

公家・武将の北畠家ファミリー物語 北畠家発祥の地

2006年12月06日 | 歴史
鎌倉末期から南北朝時代にかけて、大きく動いた下克上時代に、楠木正成・正行と共に南朝方に味方して大活躍した、公家であり、武将でもある北畠家を取上げる。
北畠家は、村上源氏中院家から分かれた名門で、その子孫である中院雅家が洛北の北畠に移ったことから北畠家を名乗ったと云う。

北畠家の地名は、「北畠通従一条北其門三丁也」、「毘沙門堂の北畠」とか、又「中古京師内街地図」には京都御苑の北東の一角を北畠雅家の邸宅としていることから、現在の同志社大学今出川キャンパスの東側に当たると見られる。

明治天皇が東京へ移ったのち、公家屋敷などを撤去し整備したのが京都御苑で、現在は市民公園として広く開放されている。




写真は上から、本年11月末の京都御苑の紅葉は、最盛期は過ぎていたが、十分観賞でき、又北畠家が邸宅を構えていたと見られる場所は、古ゆかしい住宅があちらこちらに見られ、更に寺町らしく、寺院も散見されるなど、伝統的な京都らしさが窺える。

御苑内ではのんびりと散歩を楽しむ人、バードウォッチングをする人、同志社大学・同志社女子大学の今出川キャンパスがあるため、ベンチで寝転ぶ学生の姿もよく見かける。

中院・北畠家は、代々和漢の学をもって天皇に仕えていたと云う。
初代雅家、2代目師親、3代目師重は夫々後嵯峨・亀山・後宇多の各上皇の出家に随って出家を果たしたことで知られ、三代にわたる忠節の家柄として高く評価されていたと云う。



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