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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

四條畷市の忍岡古墳とは!

2010年04月07日 | 歴史
忍岡古墳は、北河内で前期古墳の石室を有している唯一の古墳で、1972年大阪府の史跡に指定された。

隣市の寝屋川市や大東市では、まだ前期古墳の発見がないことからも、貴重な古墳であることが分かる。








写真は上から、忍岡古墳碑、忍陵神社入口及び忍陵神社境内の忍岡古墳墳丘。

本古墳は、主軸が南北にある全長約87m・高さ約6m・後円部径約45mの前方後円墳で、四条畷市岡山の忍陵神社の境内に所在する。

忍ヶ丘と云う、小高い丘陵があるが、この独立丘陵の頂上には、主祭神として藤原鎌足を祀る、忍陵神社が鎮座している。

その場所は丘陵の突端部の景勝地だが、この場所は、北向きに築かれた当前方後円墳の後円部にあたる。同神社の鐘楼が忍岡古墳の前方部に当たるらしい。

四条畷市は、古代の河内湖東岸に位置している。この地に渡来文化が定着し、多くの古墳が築造された。

その一つがこの忍岡古墳で、河内湖を一望できる丘陵の先端を利用して忍岡古墳が築かれたことになる。

昭和9年の第一室戸台風により、忍陵神社の社殿が倒壊し、翌年の再建工事中に竪穴式石室が見つかったと云う。

発掘調査の結果、すでに盗掘され、副葬品はほとんど残っていなかった。

しかし碧玉製の紡錘車・鍬形石・石釧・甲冑の部材・刀子・鉄斧・円筒埴輪片などが検出されたが、京大の考古学研究室が、これら副葬品を保存していると云う。

これらの出土遺物や石室・古墳の形から、築造時期は古墳時代前期と推定されている。







写真は上から、竪穴式石室を保護する覆屋、忍陵神社境内に佇む石室の覆屋及び同竪穴式石室内部。

竪穴式石室は、覆屋と云う石室を保護するために設けられた建物により、保存されてきたが、老朽化が進んだため、平成14年に覆屋の再建が行われ、67年ぶりに姿を見せた竪穴式石室は堂々たる風格だったと云われている。

石室内部の規模は、長さが約6.3m・幅が1mほどで、その中にコウヤマキを刳り抜いた棺が安置されていたと見られている。石室の壁は板状の石を丁寧に積み上げ、天上は大きな板石を載せていた。



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