石灰岩地帯から出土した“更新世”人類化石の中で、“港川人”人骨は、最も保存状態が良く、旧石器時代人類の形態を知る上で貴重な資料と云われている。
港川人骨は、沖縄本島の南部、具志頭村(現在の八重瀬町)港川の石灰岩採石場で発見され、少なくとも9個体分、うち復元可能な成人骨格が4個体という、質量とも東アジア最高の資料として、注目された。
これらの人骨のうち、1970年から71年にかけて発見されたのが“港川人”で、上半身が華奢であるが、下半身は逞しい小柄な人体であったと云う。
写真は上から、八重瀬町の“港川フィッシャー遺跡”現場の遠景及び近景、遺跡現場に残る粟石灰岩の現状及び粟石灰岩に残されたイノシシ・シカなどの化石。
“フィッシャー”とは隆起石灰岩台地に生じた裂け目のことで、港川では最大で幅1mほど、深さは20m以上もあると云う。発掘調査ではシカ・イノシシの化石が多量に出土した。
“港川人”とは、1万8千年前に生きた人骨化石に対して、発見場所にちなんで付けられた名称で、港川人骨は、今後とも人類学研究に大いに役立つと見られる。
港川人骨化石が発見された経緯は、那覇市に住む実業家で、沖縄の歴史と文化に関心を寄せる市民研究者が、購入した粟石の中に動物化石を見つけ、その実業家は「動物がいたならば、人間もいたはずだ」と考え、発掘調査を始めた。
そして発掘調査開始約2ヶ月半後、地表から約12mの部分で人骨を発見、その後も多くの動物化石や人骨を発見したらしい。
写真は上から、八重瀬町の“港川人骨”のうち、第1号・第2号・第4号。
写真のように、化石人骨の頭や手足が揃ったほぼ完全なもので、旧石器人の容姿が具体的に説明できるようになった。
これらの化石人骨は、1970~71年にかけて発見された“港川人”で、第1号男性人骨格は、推定身長153~155cmで縄文人の平均より低く、第2・4号骨格は女性で推定身長が145~149cmで上半身は華奢だが、下半身は頑丈な骨格と云う。
写真の通りこれら化石人骨は、復元可能な成人骨格を呈していることから、今後中国南部の“柳江人”やインドネシア・ジャワ島の“ワジャク人”などの人骨化石との比較対照などの研究が進むものと期待される。
“港川人”は“ワジャク人”に近く、東アジア沿岸域の海洋適応集団に属していたなどとする分析結果もあり、今後の更なる研究成果に注目したい。
9個体分の人骨化石が出土した、共伴資料の“放射線炭素年代”では、18,250年前頃の人骨と推定されている。
叉“ウラン系列年代”測定値も19,200年前頃とあり、測定値の信憑性からも、当時の生活痕跡を残す大発見と見て間違いないと云える。
しかし“山下洞人”・“港川人”が使用したと思われる、旧石器などの道具類が、未だに全く出土していないことから、当時の生活実態が見えてこない。
港川人骨は、沖縄本島の南部、具志頭村(現在の八重瀬町)港川の石灰岩採石場で発見され、少なくとも9個体分、うち復元可能な成人骨格が4個体という、質量とも東アジア最高の資料として、注目された。
これらの人骨のうち、1970年から71年にかけて発見されたのが“港川人”で、上半身が華奢であるが、下半身は逞しい小柄な人体であったと云う。
写真は上から、八重瀬町の“港川フィッシャー遺跡”現場の遠景及び近景、遺跡現場に残る粟石灰岩の現状及び粟石灰岩に残されたイノシシ・シカなどの化石。
“フィッシャー”とは隆起石灰岩台地に生じた裂け目のことで、港川では最大で幅1mほど、深さは20m以上もあると云う。発掘調査ではシカ・イノシシの化石が多量に出土した。
“港川人”とは、1万8千年前に生きた人骨化石に対して、発見場所にちなんで付けられた名称で、港川人骨は、今後とも人類学研究に大いに役立つと見られる。
港川人骨化石が発見された経緯は、那覇市に住む実業家で、沖縄の歴史と文化に関心を寄せる市民研究者が、購入した粟石の中に動物化石を見つけ、その実業家は「動物がいたならば、人間もいたはずだ」と考え、発掘調査を始めた。
そして発掘調査開始約2ヶ月半後、地表から約12mの部分で人骨を発見、その後も多くの動物化石や人骨を発見したらしい。
写真は上から、八重瀬町の“港川人骨”のうち、第1号・第2号・第4号。
写真のように、化石人骨の頭や手足が揃ったほぼ完全なもので、旧石器人の容姿が具体的に説明できるようになった。
これらの化石人骨は、1970~71年にかけて発見された“港川人”で、第1号男性人骨格は、推定身長153~155cmで縄文人の平均より低く、第2・4号骨格は女性で推定身長が145~149cmで上半身は華奢だが、下半身は頑丈な骨格と云う。
写真の通りこれら化石人骨は、復元可能な成人骨格を呈していることから、今後中国南部の“柳江人”やインドネシア・ジャワ島の“ワジャク人”などの人骨化石との比較対照などの研究が進むものと期待される。
“港川人”は“ワジャク人”に近く、東アジア沿岸域の海洋適応集団に属していたなどとする分析結果もあり、今後の更なる研究成果に注目したい。
9個体分の人骨化石が出土した、共伴資料の“放射線炭素年代”では、18,250年前頃の人骨と推定されている。
叉“ウラン系列年代”測定値も19,200年前頃とあり、測定値の信憑性からも、当時の生活痕跡を残す大発見と見て間違いないと云える。
しかし“山下洞人”・“港川人”が使用したと思われる、旧石器などの道具類が、未だに全く出土していないことから、当時の生活実態が見えてこない。