先日、仕事で明石浦漁協に行き、競りの様子を見学する機会があった。明石といえば鯛やタコが有名で、時速約14~15kmの明石海峡の潮流が育む、身のしまりが身上。特にタコは潮の流れに負けないように育つため、足が太く短くたくましく、立っているように見えるそうだ。
明石浦漁協では、お休みの日以外24時間、水槽に海水とエアーを対流させ、水揚げした魚を競りの時間まで生かしておく。競りは活魚が基本で、実際に競り場にあげられる魚はピチピチと踊っていた。
構内には浅いプールのような生簀がいくつもあり、たくさんの魚が水揚げされてはケースごとプールに浸かっているのだけれど、ほとんどが生きているので、聞かされていたとおり競り場も構内も生臭い魚臭がなかった。
魚の競りというと「早朝」のイメージだけど、明石浦では11時から行われている。これがまた、感動的にカッコよかった!
これまで魚の競りは築地市場や銚子港、気仙沼港などで見てきたし、青果や花卉は大田市場でも取材してきた。これまで見てきた競りの中で、明石浦漁協の「うたい競り」が一番感動した。
競り人が何を言い、どんな指符を出しているかは素人の私にはまったく分からなかったけれど、活魚を扱っているのだから当然なのかもしれないが、ものすごいアップテンポで手カギを動かし、独特な口調で魚とその値を告げ、緊迫する雰囲気の中、真剣な面持ちで仲買人たちがも素早く競り落としていく。
漁協参事のお話では「まず値を付けるのは競り人。競り人主導の競り」で「競り人は漁協の花形」なのだそうだ。それには納得。写真を撮るのも忘れて、見入ってしまった。ほれぼれした。
それでも近年、こうして人出もかかる昔ながらのやり方は合理的ではないから、機械化したほうがいいといった意見もあるらしい。そういえば大田市場の花卉の競りは、ボタンひとつで競り落とす電光掲示板による方法だった。
でも、この「うたい競り」は後世に残すべき文化だと思った。歌舞伎が伝統芸能なら、うたり競りは水産業の伝統技能だと思う。口伝と経験によって培われる技術だもの。
合理化を目指して一度機械化してしまえば、そこで途絶えてしまうのだもの、もったいないと思った。
お話してくださった参事も実は15年くらい競り人を務めていたという。競り人になることが決まったときは、車を運転しながら競り口調を練習し、場数を踏みながら値付けする目を養っていったのだそうだ。大柄な方だし、きっと迫力があったでしょうね。見てみたかったなあ。
組合長も生粋の漁師で、男前な方だった。地域全体を活性化しながら、水産収益を上げて、うたり競りは何とか残していく方向で考えているようでした。
あの競りは、写真だけでは伝わらないのが残念(写真もないけど)。競り人が手カギを叩く音、値を告げる独特な符丁、思い出すとわくわくする。音源だけでも取ってくればよかった。
仕事が詰まっていたので、帰りはそそくさと新幹線に乗ってしまったけれど、「せめて」ということで遅いお昼ご飯のために、タコ壷を模した容器で有名な「明石ひっぱりだこ飯」を買い、車中で食べたのだった。
やわらかく煮付けられた大きな明石タコが乗っていて、いつ食べても「美味しい駅弁だなあ」と思う。
明石浦漁協では、お休みの日以外24時間、水槽に海水とエアーを対流させ、水揚げした魚を競りの時間まで生かしておく。競りは活魚が基本で、実際に競り場にあげられる魚はピチピチと踊っていた。
構内には浅いプールのような生簀がいくつもあり、たくさんの魚が水揚げされてはケースごとプールに浸かっているのだけれど、ほとんどが生きているので、聞かされていたとおり競り場も構内も生臭い魚臭がなかった。
魚の競りというと「早朝」のイメージだけど、明石浦では11時から行われている。これがまた、感動的にカッコよかった!
これまで魚の競りは築地市場や銚子港、気仙沼港などで見てきたし、青果や花卉は大田市場でも取材してきた。これまで見てきた競りの中で、明石浦漁協の「うたい競り」が一番感動した。
競り人が何を言い、どんな指符を出しているかは素人の私にはまったく分からなかったけれど、活魚を扱っているのだから当然なのかもしれないが、ものすごいアップテンポで手カギを動かし、独特な口調で魚とその値を告げ、緊迫する雰囲気の中、真剣な面持ちで仲買人たちがも素早く競り落としていく。
漁協参事のお話では「まず値を付けるのは競り人。競り人主導の競り」で「競り人は漁協の花形」なのだそうだ。それには納得。写真を撮るのも忘れて、見入ってしまった。ほれぼれした。
それでも近年、こうして人出もかかる昔ながらのやり方は合理的ではないから、機械化したほうがいいといった意見もあるらしい。そういえば大田市場の花卉の競りは、ボタンひとつで競り落とす電光掲示板による方法だった。
でも、この「うたい競り」は後世に残すべき文化だと思った。歌舞伎が伝統芸能なら、うたり競りは水産業の伝統技能だと思う。口伝と経験によって培われる技術だもの。
合理化を目指して一度機械化してしまえば、そこで途絶えてしまうのだもの、もったいないと思った。
お話してくださった参事も実は15年くらい競り人を務めていたという。競り人になることが決まったときは、車を運転しながら競り口調を練習し、場数を踏みながら値付けする目を養っていったのだそうだ。大柄な方だし、きっと迫力があったでしょうね。見てみたかったなあ。
組合長も生粋の漁師で、男前な方だった。地域全体を活性化しながら、水産収益を上げて、うたり競りは何とか残していく方向で考えているようでした。
あの競りは、写真だけでは伝わらないのが残念(写真もないけど)。競り人が手カギを叩く音、値を告げる独特な符丁、思い出すとわくわくする。音源だけでも取ってくればよかった。
仕事が詰まっていたので、帰りはそそくさと新幹線に乗ってしまったけれど、「せめて」ということで遅いお昼ご飯のために、タコ壷を模した容器で有名な「明石ひっぱりだこ飯」を買い、車中で食べたのだった。
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