小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

文学少女だった頃

2008-10-30 | 


 
純粋な文学少女だった頃、島尾敏雄さんに傾倒しておりました。「さん」付けすると知り合いみたいで馴れ馴れしく、かといって呼び捨てるのは失礼で、なんかぎこちない。久しぶりに島尾さんの名を表紙の活字に見たら、私が青かった頃にタイムスリップして、ドキドキしました。
 
 作品さえ読むことができればよかったはずなのに、ミーハーっぽく506部限定特装版『島の果て』なんてのも持っています。「作者自選処女作」などと、うやうやしく印刷されたカバーには(カバーといっても書籍が入っている箱に掛けられていた帯の代わりみたいな包み紙です。その箱もただのダンボールや厚紙の箱じゃなくて、麻で包まれた箱なのです)、「<体裁>本文罫囲み二色刷り インド産山羊革及び楮もみ紙装表紙 天金 『毛筆署名落款入り』」と印刷されているような豪華本です。本当に島尾さんの毛筆の署名が入っていて、朱色の筆文字で506部のうちの「九拾参」と書き残されていました。島尾さんがまだ生きていらした昭和48年の発行で、当時1万円とはかなり高価だったと思うのですが、私はどこで手に入れたんだろう。おそらくよく通っていた神保町の古書店だと思うけど

 で、どういう経緯だったかはっきり思い出せないのですが、私はご子息で写真家の伸三さんの個展を見に行ったりしていました。伸三さんの写真集なども持っていて、幼少期の思い出を綴った自伝的エッセイ『月の家族』は、発行されるのを待っていたかのようにすぐ買って読みました。11年も前の話ですが。

 この夏、新潮文庫から島尾さんの『「死の棘」日記』が発行され、追いかけるように伸三さんの『小高へ 父 島尾敏雄への旅』が刊行されました。『小高へ~』は新聞の書評を読んで知り、まだ読んでいなかった伸三さんの『東京~奄美 損なわれた時を求めて』とともにすぐに注文。先に『東京~奄美』が届いたのですが、1日で読了し、『小高へ~』を待っている間に再び『月の家族』を読み返したりしていました。

           
 島尾さんの家族の後ろ側に、若い日の私がチョロチョロしているのが見えました。島尾さんが亡くなったときのことを『小高へ~』で知り、「(奥様のミホさんの様子を想像して)そんな感じだったのかも」という気持ちと、「そうじゃなかったら良かった」という気持ちがないまぜになり、複雑でした。昔々、新日本文学会でお会いした島尾さんの、眼鏡の左目のレンズに縦にひびが入ったままになっていたことを、昨日のことのように思い出しました。島尾さんに読んでもらおうと小説家を志していた若い日を切ない気持ちで思い出したのでした。


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