<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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海外を旅すると、親切な人が多いことに驚かさせられる。

ある日のこと、バンコクから日帰りでアユタヤを訪れた。
ホアランポーン駅から早朝の各駅停車に乗ってアユタヤで下車。
とりあえずトゥクトゥクをひろって価格交渉してから遺跡の多い旧市街を回った。
あちらの遺跡、こちらの遺跡と回ってから最後に日本人町跡を訪れたところでトゥクトゥクで下車。

「あとは駅まで歩いて帰るからいいよ。コープクンカップ。」

とタイ語会話のテキストを使いながら下手くそなタイ語で言った。

戦国時代にあったとされる日本人町はアユタヤの旧市街の中でもかなりのはずれにある。
地図で見ていたら駅までさして遠くはないのだが、実際に歩いて戻るとなるとかなりの距離があった。
しかしいつも東南アジアを旅すると日本でのイライラ、ドキドキ、早く早く、といういつも仕事に追いかけられているような感覚が失われ、ゆっくりな足取りながら歩くことが苦にならない。
なぜか言い知れぬ開放感がある。
とはいえそこは熱帯のタイ。
暑さは尋常ではない。
尋常ではないが、尋常ではない灼熱の夏を持つ大阪人の私としては「タイは年中真夏の大阪」という感覚もあり歩けないことはなかった。
でも辛い。
そんななかホンダのスーパーカブに乗った普通の兄ちゃんが私を通り過ぎた瞬間停車した。
振り向いて一言。

「ドコイクの?」

と下手くそな英語で訊ねてきた。
こっちも負けずに下手くそなタイ語で、
「駅まで行く。クンクイーイパイ.....(「私は行きたい」の次に駅という単語が出てこない)....ステーション。」
と答えた。答えたものの、どうするものか少し考えた。
私はてっきり白バイクタクシーかと思っていたのだ。
ところが違った。
「暑いよ」
と言ったのは私ではなくお兄さんであった。
暑いから歩いて駅に行くのは危険だ。だからよかったら乗せてあげる。
というのだ。
私は歩くのはともかく暑いなと思っていたので「ありがたや」と乗せてもらうことにした。
アユタヤ駅でおろしてもらい礼を言ったらお兄さんはにっこり笑ってそのまま立ち去ったのであった。
このような「乗りなよ。送ってあげる」パターンはこの他にもタイのスコタイ遺跡、ベトナムでも体験した。

親切な人のパターンはほかにもある。
タイでもベトナムでもバス停で待っていたら、誰彼なしに話しかけられ、
「あのバスに乗るんですよ!」
と何行きに乗れば良いのか少々不安な私を助けてくれたことも一度や二度ではない。
こういう親切はアジアだけではない。
アメリカ合衆国もまた、そのような親切な人は少なくない。

シカゴの郡役所の近く(ブルースブラザーズのクライマックスに出てくる建物)で道に迷って地球の歩き方を持ってうろついていると、
「大丈夫?こっちが東でこっちが西よ。どこから来たの?ハハハ」
と見ず知らずの黒人のおばちゃんが声をかけてくれて丁寧に教えてくれた。
ロサンゼルスのチャイニーズシアター近くでは白人の初老のおじさんに同じように声をかけられ道を押してもらった経験もある。
但しその時は高校生だったので英語がまったくわからず理解するのにメチャクチャ手間取った。

このように洋の東西を問わず、親切な人はたくさんいるのだが、悲しいことに100人に1人と言っていいかどうかはわからないが、非常に少ない割合で「悪いやつ」がいる。
その悪いやつのために旅は台無しになり、時として犯罪に巻き込まれ命を落とす人もいるのだ。
だから私たちは100人に1人のために防御し、初対面の時として相手を疑ってかからなければならない。

バングラディシュでテロが発生した。
またしてもその国の発展のために尽力している人びとが犠牲になった。
テロリストは100人に1人より少ないに違いない。
それでも一旦事が起こってしまったら人びとはその国に足を運ぶことを躊躇し、或いは忌み嫌うことになるのかも知れない。
たぶん、最貧国のバングラディッシュでも良い人のほうが圧倒的に大いに違いない。
その人達のこと、それを援助しようという人たちのことを考えると、悪人が100人に1人が、10000人に1人になり、やがて天然痘のように撲滅される日が来ることを願ってやまないのであった。


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