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天安門広場に21世紀の今も、昔と変わらず掲げられている毛沢東の巨大肖像画。
その巨大肖像画に何者かペンキを投げつけたものがいるらしく、党は犯人探しとペンキ消しに躍起になっているようだ。

そもそも、毛沢東という中国共産党の共同設立者の一人は首都北京の街中に大きな肖像を掲げられて讃えられるような人物なのだろうか?
かなり疑問である。
少なくとも日本人の価値観から眺めてみると。

判断は歴史を待たなければならないが、日本人の価値観からすると、毛沢東はトンでもない独裁者の一人であって、例えば現在のドイツがヒトラーの肖像画をブランデンブルグ門の前に掲げているようなものであることに、なぜ誰もくちばしを挟まないのか不思議でもある。
日本では独裁者は長生きできないことになっている。
例えば井伊直弼は幕末にその政治的手腕を発揮して政治を切り盛りしようとしたが、あまりに独善的で強圧だったため、反対する浪士たちに暗殺されてしまったのだ。
やり過ぎると浄化作用が働くのが日本の政治的仕組みでもある。

毛沢東は日中戦争の頃台頭してきた数ある軍閥の1つの、さらには何人かいるリーダーの1人だった。
「揚子江でバタフライ」のようなパフォーマンスのPR効果と運が重なり、無能ではあったが中国唯一の公認政府の代表だった蒋介石と並び称される地位へと駆け上がった。
共産主義とは言いながらその本家のソビエト連邦とは仲が芳しくなく、独自路線を貫くことになる。
で、終戦後、蒋介石を台湾に追いやり、共同設立者の林彪などを暗殺した後にやったことといえば、大躍進と文化大革命なのであった。
ちなみに蒋介石が台湾にやってきて台湾の人々は大いに迷惑をすることになるのは別の話。

大躍進と文化大革命で何をやったかというと大虐殺であった。

主に資本主義や自由主義を標榜する人たちや、インテリ層がそのターゲットにされ、後にはそういう疑いのあるだけでもターゲットにされ、下放と称して大陸奥地の収容所へ送られ再教育の名の下、飢餓と重労働に苦しむことになるのだ。
後のカンボジアの赤いクメールによる大殺戮が霞んでしまうほどの大規模なものであった。
当時子供であった私は小学校で「中国の竹のカーテン」「ソ連の鉄のカーテン」と教えられ、この両国はそとから中で何が行われているのか見ることは難しい国である、と習っていた。
ジャーナリズムは無きも同然、入れば薩摩飛脚よろしく行方不明。
そういうところなのであった。

だからチベット侵攻もウィグル弾圧もなかなかリアルタイムに世界は目にすることができなかった。
カンボジアの悲劇はベトナム戦争時代からの脈々たるジャーナリズムが目を光らせていたので、世界的に公になっていて有名なだけなのだ。

この大躍進と文化大革命を指揮したのが毛沢東。
この2つの歪んだ政策のために亡くなった中国人は数億人。

日本のようなマトモな国では普通、こういう人を讃えたりしない。

ペンキをぶっ掛けた人の肝っ玉には恐れ入るものもあるけれども、その気持はかなりの数の人々が共感しているのではないか。
単に事実を報道する前に、ニュースはそういうところもしっかり抑えておいてもらいたものだ。


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