<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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先日、卒業式へ参列してきた。
といっても私の卒業式ではない。
私が最後に卒業したのは大阪芸術大学の卒業式で、もう30年以上も昔の話になる。
今回参列してきた卒業式はというと、まさか見ず知らずの子供の卒業式ではない。
私の娘の中学校卒業式に行ってきたのだ。
実に40年近くぶりの中学校の卒業式なのであった。

それにしても卒業式は清々しい。
いつの時代になっても感動を呼び起こすものがある。
しかもこれが自分の子どもの卒業式となると、こうも感無量になるとは思わなかった。
様々な思い出が、なぜか生徒でもなかった私の脳裏をかすめ、あんなこともあった、こんなこともあったと懐かしさと、二度と戻ってこない寂しさがないまぜになり、涙が滴り落ちそうになったのであった。
カミさんなどは花粉症なのか、感動しているか判別のつなない涙を流していたが、よくよく確認すると、やはり感動していたのであった。

一方、肝心の娘はというと終始ニコニコの体にて涙ひとつ流すこと無く、「やったー!」という感じで、自身の中学生活を締めくくったのであった。

それにしても不思議だったのは、女生徒が泣くのは分からなくはないが、男子生徒が大勢泣いているのには、かなりビックリした。
在学中、先生を悩まさせ続けた生徒ほど、涙を流していたのであった。
はじめ、泣きながら歩いてくる男子卒業生を見て、私は、

「お、殴られたんか」

と思った。
卒業式を契機に、ここぞとばかり、日頃恨まれている生徒が、ヤンキー生徒に囲まれて、一発ぶちかまされたのかと思ったのだ。
ところが、実際はまったく違った。
感極まって、ただ単に泣いているだけなのであった。

私の中学卒業で泣いていた友人は男子にはひとりもいなかった。
みんな迫り来る高校入試とその結果のことをわいわいがやがやと話していたものだ。

「お、お前の学生生活も終わりやの」

と言われて誂われていたT君は大阪府の職員となり、からかっていた方はM電機の技術者になっている。
そんなこんなで泣くことなどなく、冗談を言い合っていたのだが、今の男子中学生は、泣いていた。

驚いたことに、それにつられてかどうかわからないが、男の先生も泣いている人がいたのにも驚いた。
泣いていたのは体育祭で悪い素行の男子生徒グループを追いかけまわしては、

「こら~~~!」

とか怒っていた先生だ。
この先生は身長が低く、まだ若いので、私は最初、

「何組の子やねん、あいつ」

とカミさんに尋ねたところ、

「アホ、あの人は理科の先生や」

と教えられズッコケそうになった。
要は熱血漢の若き先生で、その追いかけていた先生と、追っかけられていた悪ガキが一緒になって泣いていたのであった。

卒業式の成せる技と言えよう。

ところで、君が代を歌い、在校生の歌を聞き、卒業生の蛍の光を聞き、娘の中学校の校歌を聞いていて、自分の中学と、高校の校歌を完璧に忘れていることに気がついて愕然としてしまった。
冒頭の歌詞さえ思い出すのが困難なのであった。
末尾の、「○○中学校~」は、だいたいどこの学校も同じなので思い出したうちに入らず、大いに困惑した。
小学校の校歌は思い出せるのに、なぜ、中高の校歌を思い出さないのか。

卒業式はまた新たな問題を掘り起こしたのであった。

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