<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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私の大学での専攻は芸術学部映像学科だった。
そもそも映画監督になりたい、というような無謀な希望を抱いていたのでそんな大学に進学したのだが、後に大いに後悔することになる。
就職が決まらなかったのだ。

大阪と東京のプロダクションをいくつか受けたものの、東京と大阪でそれぞれ内定をもらった弱小プロダクションは給与が極めてよくなく、かつ休みもない、何にもない、という状況であったため、根性の無かった私はいずれも断念し、当時はまだ珍しかったフリーターの道を選んだのであった。
卒業してフリーターになったわたしの最初の仕事はコカコーラの配達のバイトであった。
これは今考えても私の職歴の中でもっとも健康的な仕事だった。
始めて1週間で体重が5kg近く落ち、無駄な脂肪が次々に燃焼していくのが分かるくらいハードな仕事だった。
季節が夏に近づくにつれ仕事のハードさは増していった。
続ければ続けるほど肉体は鍛えられスリムになっていくのだが、私の目指していた「クリエティブな仕事」とは全く関係の無い世界であったので、自主制作映画を作るタイミングでやめてしまったのであった。

その次に携わった仕事は建築設備の仕事だった。
ちょうど大阪阿倍野再開発で竣工検査のアシスタントの仕事が見つかった。
作業着を着て、ヘルメットを被り、安全帯を締め、安全靴を履く、というスタイルには当初、
「工事現場のオッサンやないかい」
と、ドリフターズの仲本工事のコント姿を連想し、自嘲していたのだが、建築の仕事がかなりクリエイティブであることに気づくのにあまり時間がかからなかった。
建築工事は他業種の集まりであり、映画の仕事のそれに酷似していた。
しかも、作られるものが建築物であるために、一旦作ると100年位は作品として街に残り、死ぬまで家族に、
「あの建物の一部は。俺が作ったんや」
と自慢できることにも気づいて4年間も継続する仕事になってしまったのであった。

その後、さらにクリエイティブな仕事になるために工業デザインの仕事を3年間続け、その後生活のほうが重要になったので現在の会社に入って営業職から企画職、そして知らない間に吹田にある某大学の連携研究員にされてしまって現在に至っている。

その間、ずーと映像については興味を持ち続け、自分でも撮影するし、展覧会やギャラリーがあれば積極的に出かける日々を続けている。

とりわけ写真はアート系よりもドキュメンタリーがお気に入りで、報道写真展があれば意気揚々と出かけたりする。
ロバート・キャパ。
マーガレット・ホワイト。
ユージン・スミス。
沢田教一。
宮嶋茂樹。

などなど、硬派から軟派までお気に入りなのだ。

もちろんアート系写真に全く興味がないわけではなく、そちらも好んで観ることがある。

今、大阪中の島にある大阪国立国際美術館で開催中の「アンドレアス・グルスキー展」は私の感性にピッタリの展示会であった。
正直、これほどまで圧倒されるとは思わなかったのだ。

アンドレアス・グルスキーは現在のドイツを代表する写真家だそうだが、その作品はダイナミックだ。
ポスターには東京大学のカミオカンデの内部を写したものが使用されているが、これがまず圧巻。

「何?これ」
とカミさんは冒頭からビックリ状態。

「カミオカンデやで」
「なにそれ?」
「これはニュートリノという素粒子を発見するために作られた世界でたった一つの観察施設なんや」
「へー」
「これで小柴先生がノーベル賞を受賞したんや」
「へー」
「でもこれの最大の謎はそんなことではなくて」
「何なん?」
「どうやってこんな訳のわからんもんに予算を取ることができたか、ちゅうことや」

などと、すでに話は弾んでいた。
なんと素晴らしいアートギャラリーではないか。

案の定、開場は美術展にしてはあちらこちらで雑談に花が咲いていた。

1つ1つの作品は映画館のスクリーンのサイズほどもある巨大なもので、その中でごく普通の被写体が、ごく普通ではない手法と構図で撮影されていて観るものの心を奪い、しかも、その中から話輪が花咲くのだ。
写真を見ていて、思わず誰かと話しながら観てみたい展示なのであった。

ある写真はバンコクのクーロンの川面に映る光の反射を抽象的に写したものであったり、あるものは巨大な銀行のガラス張りのビルを上から下まで写し出し、中の人々の営みをうかがい知ることのできるものであったり。
私はヒッチコックの「裏窓」のいちシーンを観ているような錯覚に陥った。
まさに、写真は劇場と化し、幾何学的あるいは有機的な画像の中に多くのドラマが存在する凄い迫力と訴求力を持った作品だった。

とりわけ印象的だったのは、鈴鹿サーキットなのか富士スピードウェイで撮影されたのか、日本のレース場で撮影された一枚のピットの写真だった。
2つのチームの姿が対照的に捉えられていたのだったが、まるで宗教画のような構図と画質で見る者の感性に大きな衝撃を与えているのであった。
2つのチームが作業する背景には多くのギャラリーがその作業を見つめている様が捉えられているのだが、それはまるで天からキリストとその弟子たちを見つめる最後の晩餐のような雰囲気をたたえていたのだった。

大阪国立国際美術館「アンドレアス・グルスキー展」。
必見の写真展であった。


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