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佐村河内守るというクラシックの作曲家が実はインチキ作曲家だった、という話は後世笑って済ませられるかもしれないが、本人がろうあ者と認定され、それも嘘だったとなると刑事事件に発展する可能性もあり、ちょっとこの話題から目が離せない。

ところで、この佐村河内を紹介する時に「広島生まれの原爆二世」と枕詞のように付け加えられるが、原爆二世だからどうしたの?と突っ込む人が誰も居ないのが少々不思議だ。

以前、広島大学付属病院の先生だったかが著者の新書で、広島に原爆が落とされてからどのように街が復興し、人々はどうなったのかが書かれていたのを読んで思わずメモにとっていたことがある。
そのメモによると、次のようなプロセスになっていた。

1945年8月6日 原爆投下
8月10日 京都帝国大学の調査団広島入り
9月7日 枕崎台風直撃(この被害はあまり知られていないが死者行方不明2012人。)
10月1日 理化学研究所の調査団広島入り
この頃から復興住宅の建設始まる
11月~ 市内の広島電鉄の電車が運転再開
11月18日 恵比寿神社復興で翌日祭礼
(12月末までに死者14万人。広島人口の3分の1)
1月8日 広島復興局が設置
4月 5カ年の広島復興都市計画決定、都市ガス部分復旧
5月31日 市営水道7割復旧

という具合で、被害規模の割に復興スピードが尋常ではなく、当時の日本人のバイタリティが伺える。
福島や宮城の行政は是非参考にしてもらいたところだ。

で、この本に書かれていたもう一つの関心事は、
「いわゆる原爆二世には原爆による健康障害が認められた例は存在しないこと」
なのであった。
原爆被害者は特別なので、その子も特別と思いがちだが、科学的調査によると原爆を起因する遺伝的障害は確認できていないという。

佐村河内の「原爆二世」履歴。
これもひとつの詐欺なのかもわからない。

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