<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「今晩なに食べよ」
「何食べたいん?」
「なんでもええ。なんか、いつもと違うもん」
「違うもんって?」
「ん~~~、ファミレスみたいなところと違って、個人でやってるお店がいいなぁ」

というのは、先日の私とカミさんの会話。
互いに仕事が遅くまでかかってしまって外食しよか、と繰り出したときのひとコマなのだ。

夫婦共働きというのは外食が多くなるトンでもない生活習慣で、一緒に働いても食費がかかって仕方が無い。
非経済なシステムで、無意味なのだ。
それに外食と言っても「牛丼」や「ハンバーガー」ではなく、何か小マシなものを食べたくなるからやっぱりコスト高になってしまう。
とりわけカミさんがそれを許さない。
私は出張なんかで出かけると牛丼で納得してしまうことがある。
でもカミさんにはそういう訳にはいかない女性としての栄養価に対するこだわりがあるのだろう。
しかし、そういうコストの問題や家計の問題よりも重要で、選択しにくいのが「何をどこで食べるのか」という問題だ。

外食が多くて気がついたのだが、最近はどこもかしこもチェーン店だらけ。
個人の店主が自分の店を切り盛りして、独自の味を提供するところがかなり少なくなっている。
とりわけ主要幹線道路沿いで「駐車場」があって、大きな看板があって「利用しやすい店」は、だいたいにおいてチェーン店だ。

先日も国道沿いに何やらお店らしき建物を建築しているを発見。
何ができるのか注意していると、しばらくして天丼屋が開店した。
聞いたことが無い名前の店だったので、
「おお、久々に個人店か」
と思ったが、念のためにネットで調べたら首都圏を中心に展開する天丼チェーン店なのであった。
なんのことはない、首都圏の天丼チェーンが関西に殴り込みにきた、その店舗のひとつだった。

外食チェーン店には共通した特徴がある。
それは看板がやたらとデカくて目立つこと。
看板が目立つのは商売としてあたりまえだが、どれもこれも規格化されているのではないか、と思えるくらい個性があるようで没個性なのだ。
例えば看板はほとんどが内部に照明器具を埋め込んだ行灯式。
大きさはまちまちだが、だいたいは一本の鋼製ポールの上に角が丸い角形の看板が高々と設置されているか、下から上までモニュメントのような一枚看板になっているかのどちらかである。
看板は多くの場合固定だが、一部にはポールの上で回転しているもんもあり、結構手が込んでいる。
モニュメントのような方式の看板では、ラーメンチェーンに周囲に電球がちりばめられているものが少なくない。

行灯式だから、夜間に見つけやすい。
個人の店ではこういう看板は高価nなかなかなく、のれんや小さなミニ行灯式看板が一般的だ。

最近の傾向では、看板の書体に前衛書道のような極太の筆でサッとなでたような文字が多い。
「〇〇ラーメン」
とか、
「〇〇食堂」
なんてもじは、どれもこれも太い筆でザザザと書いたような書体で書かれていて、ともすればどれもこれも同じ店に見えてしまう。

どこかでブランディングのデザイナーが仕組んでいるんだろうな、と思ってしまうようなデザインだ。
デザイン戦略のもとで中国食材やおかしな冷凍食品なんかが、セントラルキッチン方式に則って、あちこちで提供されているんだな、と思うと、外食産業は場末のキャバクラなんかとあんまり変わらないと思えるのだ。
厚い化粧に、危険な中身。

チェーン店化は個性の敵どころか、安全性も考えてしまう、そんなトレンドなのだ。

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