<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここのところ訃報が相次いで、寂しい限りだ。

ついこのあいだ、作家の小松左京が亡くなり、一昨日はマエタケこと前田武彦が亡くなった。
そして今日、歌手のジョー山中が亡くなったというニュースが報道され、子供の頃から中学、高校、大学と、慣れ親しんだ名前が次々に消えていき、気が付けば知らないタレントや俳優、歌手ばかりになってるのかも知れない。

ジョー山中は正直言って「人間の証明」のテーマ曲以外、何を歌っていたのか皆目知らないのだが、「人間の証明」の歌のインパクトが強烈なため、記憶に深く刻まれている歌手なのだ。

歌は、上手かった。

今活躍中の歌手で「歌唱力」というものが問われれば、「ホントにこの人がシンガーなの?」と疑ってしまう人が多い。
アイドルはもちろん論外。
ヒット曲は概ねどうでもいい歌い方で、奇を衒った者が多く、いわゆる「一発屋」になる傾向が顕著だ。

そういう意味ではジョー山中も一発屋の要素が無いこともないのだが、ディープなところでファンを掴んでいたことは、どうやら間違いないらしい。

ボクサー出身の歌手、とういうことで多くの武勇伝も伝えられるジョー山中だが、病との闘いには打ち勝つことはできなかった。

Mama,do you remember?

久しぶりに「人間の証明」のテーマ曲を聴きたくなったのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




出張や個人旅行でホテルに泊まる機会が多い。
海外旅行の時は、昔はよく安宿に宿泊したものだが、最近は普通のホテルに宿泊するようにしている。
どうして普通のホテルに宿泊するようになって、安宿に宿泊しなくなってしまったのかというと、体力がなくなってしまったからだ。

例えばバンコクで一泊20ドル前後の「旅社」なんかに宿泊するとエアコンは煩いわ、冷蔵庫はビビるわ、蛇口をひねるとチャオプラヤ色した水道が出てくるわで、その都度、「耐える」という努力が必要になってくる。
こういう「努力」は若いうちは結構なのだが、40を過ぎると、さすがに「もういいでしょうしょ、私」となってしまい普通のホテルに宿泊するようになってしまう。

それでも旅行費用は削りたいので、なるべく1泊50ドル前後の宿を探すように努力するため一流ホテルに宿泊することは、まずない。

一方、国内旅行では家族旅行を除き、たいていはビジネスホテルに宿泊する。
これは会社が認めてくれる宿泊費用が地域に関係なく1泊8000円と決められているためで、さすがにシティホテルには泊まれない。
ビジネスホテルなら近頃は東京でも6000円台で宿泊できる所があるのだ。

とはいえ、東京で6000円となるとかなり格安であることに変わりはなく、そんな低価格で少々条件が良いと、なかなか予約をとるのも難しい。

私はそういう6000円台以下で宿泊できる浅草の宿を定宿にしているのだが、最近ここの宿泊客に外国人が増えた。
東京で6000円台に目をつけるのは私のような安モン日本人ビジネスマンだけではなく、外国人観光客も注目するところになっているようだ。
山谷の簡易宿泊所がゲストハウスに衣替えして繁盛しているという「旅情報」が伝えられてからかなりになるが、普通のビジネスホテルは家族連れ外国人やツアー客の宿泊場所になっていたのであった。

初めの頃は韓国や台湾からの旅行者と思しき人達が中心だった。
「こどもを連れ、日本の首都、東京を旅するのはなかなか贅沢なんだろうな」
と思って、私が子供の頃、家族連れで海外旅行など夢また夢であった時代を思い出して「いいなあ」と思ったりしていた。

ところが最近は白人の旅行客が増えてきた。
1ドル80円を切ってしまうような為替相場。
ヨーロッパ人でもアメリカ人でも「こりゃたまらん」といったところなのだろう。

ところで、ヨーロッパ人やアメリカ人が日本のホテルに宿泊したら、どんな感想を持つのだろうか。
旅好きの私としては大いに気になるところだ。

欧米のホテルではさすがの私も一泊50ドル、なんてホテルに宿泊したことはないが、ラスベガスの70ドルのホテルは安価なのに高層建築で窓も広く部屋も広かった。
「ああ、さすがアメリカのホテルは部屋が広いな」
と感動したものだ。

ところが日本なら同じ70ドル程度、つまり6000円台のホテルの部屋では、
「窓から何も見えないし、部屋の中はほとんどベッド、バスタブは小さいし、テレビは14インチ。なにこれ」
という感じだから、バンコクの「旅社」と大して変わらない。
ただ水道をひねってチャオプラヤ色の水道水は絶対でてこない所が違うといえば違うけれども。

一度彼らに聞いてみたい。
「日本のホテル。快適ですか?」
と。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もうかれこれ15年ほど前になるけれども、友人の結婚式に出席するため初めてシンガポールを訪れたとき、マレー鉄道に乗車した。
その区間、わずかにシンガポールから海峡を超えたジョホールバールまでの1区間。
シンガポールの地下鉄ではなく、モノホンの鉄道に乗ってみたくて日本から一緒に出かけていた友人数人を誘っての乗車だった。

マレー鉄道。
まずはその南端、シンガポール駅の人気の少なさにびっくりした。
立派な駅なのに利用者が少ないため、閑散とまではいかないけれども日本のターミナル駅と比べると随分対照的な駅なのであった。
それでもポッカの自動販売機でなにやらメチャ甘なジュースを買って駅のベンチに腰を掛けると様々な思いが駆け巡った。

「この鉄道がアジア版オリエント急行の終着駅か」
とバンコクからシンガポールまで走っていた豪華列車の旅を夢想したり、
「銀輪舞隊とは別に、ここに列車で到着した日本軍もおったんやろか」
と第二次世界大戦のシンガポール攻略戦を想像したり、
「国際列車、初めて乗るけどどんなんやろ」
と、初めて列車で国境を越えるという体験に胸ワクワクしていた。

そんなマレー鉄道に乗り込んでユックリユックリ走り始めると、もうそんな夢想はどこへやら。
線路両側の熱帯並木に気を取られ、すっかり鉄路の旅人に変わっていたのであった。

尤も、そんな鉄道の旅もわずか数十分で終了。
ジョホール水道を渡るとすぐにジョホールバール駅に到着。
下車した。

駅前は当時工事中で、大成建設の看板がかかり、駅前の横断歩道の信号機は日本の中古信号機と思われる人の図が描かれた日本と全く同じ信号機。

やれやれ、日本の影響の強いこと。
それでも駅周辺をてくてく歩き、小さなショッピングセンターで涼をとってからバスでシンガポールに戻ってきた。

ジョホールバールの駅で印象的だったのは、イミグレーションカードを書く代書屋が多数店を構えていたことで、
「字の書けない人が大勢マレーシアからシンガポールに行くんだな」
と、これもまた現地に行かなければ知りえない貴重な体験になったのであった。

そのマレー鉄道も先日終点がシンガポールからジョホールバールに変わった。
シンガポール国内の鉄路が廃止されてしまったからなのであった。

あの日、車窓から流れこんできた涼やかな風は、もう体験することはできないのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »