<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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早いもので日本航空123便の墜落事故から26年が経過した。

あの日、私は前日に大阪で開催したイベントの疲れでぐったりしていて、何もする気がなくボンヤリとNHKのテレビニュースを見ていたように記憶する。

「ニュースが入りました。羽田発伊丹行の日本航空機がレーダーから消えたとの情報です。」

というような速報が第一報。
イベントには東京からも大勢の人が来ていたので、

「羽田発伊丹行?反対方向やから、これに乗ってた人はおらへんやろな」

と考えたりしていた。

ニュースは次第に大きくなり、世界で最も利用客の多い路線の一つ、東京~大阪間を飛ぶジャンボジェットの墜落事故は以後、日本のみならず世界の航空機事故の代表として未だに語り継がれている。
事故機の残骸は羽田空港近くの日航施設に永久保管され、希望すれば見学もできるという。

「遺書書いていた人がいたんだろ?」

数年後、ワーキングホリデーで来日していたオーストラリア人の友人からも当時の事故の話を聞いて、世界中で報道されていたことを知ったものだった。

今では映画にもなった「クライマーズ・ハイ」や、数多く出版されている御巣鷹関連書籍で事故の原因や、その時の人々の様子をいろいろな方面から伺いしることができる。
また、数年前に公開されたフライトレコーダーに記録されたコックピットの生々しい会話が事故の悲惨さを薄れさせない。
薄れさせないために日本航空が倒産に至った原因のひとつになったことは一昨年のことにすぎない。

この日航機事故の悲惨さを最も伝えているのは、もしかすると飯塚 訓著「墜落遺体」(講談社プラスアルファ文庫)かもしれない。

実のところ、題名と予想される内容で、なかなかこの文庫を手に取り読む気にはならなかった。
あまりにも悲惨すぎて読後に気分が欝になってしまうのではないかと思ったからだ。
ところが実際に読んでみると、悲惨さもさることながら、そこで展開された極限の人間模様は、欝にするどころか、ある意味、家族のありかたを捉える奥深さが描かれてたのだった。

バラバラになった遺体から家族を探しだす、その執念は悲惨さというよりも亡くなった愛する者に対する家族のできる最大限の愛情表現に思えたからだった。
山崎豊子の「沈まぬ太陽」にも描かれた御巣鷹事故だが、ドキュメンタリーとしての本書の力にはなかなか及ばない。
そいういうエネルギーを秘めた一冊なのであった。

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