<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



1982年に「ブレードランナー」が公開された時、私はそれをハリソン・フォード主演のSF映画だと思っていた。
それ以外の注目点といえば特撮を「未知との遭遇」で見事なUFOを描写したダグラス・トランブルが担当。
あのキラキラ輝くライティングの美しいアナログな特撮が大変魅力的に思えて劇場に足をが運んだのだった。

だから、あの独特の世界観には度肝を抜かれ、ストーリーのオドロオドロしさに若干の嫌悪感を抱いた。

30年以上を経過してリリースされた続編「ブレードランナー2049」はそういう前作のムードをしっかりと継承しながらも、内容はより現在の科学技術を考慮したSFを超越したドラマになっていたのだった。
AI。
遺伝子操作。
テクノロジーで生み出された人工生命の人権。
などなど。
私たちの身の回りではすでに現実の問題として提起され始めてるテーマが全編を通じて訴えられており、単なるSF映画の枠を越えたドラマとしてかなり深く掘り下げられた内容だった。

全編を通じて流れる緊張感も変わらない。
変わったのは年老いたハリソン・フォードだけかもしれない。
しかしハリソン・フォードを通じて見るこの世界は時空の流れを感じさせ、前作を知るものにドラマをより深く考えさせるものになっていたように思える。

とはいうものの3時間近くもある上映時間は正直かなり体力がいる。
退屈はしないのだが、緊張感が持続したままドラマが流れていくので見終わった後になだらかな長い坂道を登ったあとのような達成感と疲労感がからだを包み込み、見る前にある程度の覚悟が必要な映画だと思った。
特撮技術は1982年より遥かに高度化され、リアルでスキがないものの、CGを多用した画面とモーションコントロールとオイルミストの充満した中でのライティングを駆使した環境で撮影された前作とを比べると、やはり前作の方が厚みがあり、現実感が強い。

ともかくテクノロジーのたどり着く1つの終点を見る映画なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 508億円、落札... 関取・大相撲... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。