<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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最近どうも悲惨なニュースが多くて痛ましい。
高齢者が運転する自動車死亡事故。
親の子殺し。
子の親殺し。
一家無理心中。
ストーカー殺人。
などなど。
どれもこれもB級週刊誌で数ページとって特集するほどの悲惨なニュースなのだ。

でもこれらに劣らない悲惨なニュースは自殺のニュース。
とりわけ子供や若い世代の自殺が多く、耳にするたびに暗い気持ちにさせてくれるのだ。
あまりに多いので日本の独自の社会問題とも言えそうだ。

電通の女子新入社員の自殺にスポットライトが当てられている。
業界の巨大であり、カリスマがあり、誰もが知っている知名度が暴露されたスパルタ的社内体制とあいまって「超ブラック企業」として報道されている。
あんなにきついから死んでしまうひとも出るんだよ、と。

また中学生の自殺も途絶えない。
交友関係、学校、勉強などなど。
様々な悩みの解決方法として自殺を選択する。

これらは社会の深刻な問題としてマスメディアに取り上げられて政府、教育委員会や労働基準監督署など様々な機関、団体で議論されている。
働き過ぎや学校教育が死に追いやっているというのだ。

この通り一遍等の考え方に、私はどうも納得行かない疑問を抱いている。
なぜなら、若い世代がこうも簡単に死を選んでしまうのには、何か他にもっと大きな原因があるのではないかと思えてならないのだ。
その背景には社会の問題はもとより、そうさせてしまう何かが他に存在するのではないかと。

私が子供の頃。
昭和40年代。
子供の自殺なんて考えられなかったように記憶する。
私自身、いじめられっ子だった。
小学校低学年の時は殴れ、蹴られ、悪口を言われ、たまに双方の親が出てくるほどの苛められ方をしたものだが、私自身「死にたい」なんてこれっぽちも思わなかった。
それに「学校に行きたくない」とも思わなかった。
先生の中には子供ごたごたから故意に距離を置いている人もいたこともあるが、自信が体験した戦中戦後の苦しかった話を持ち出して「苛め」がいかにつまらないかを滔々と話した先生もいた。
高学年になると付き合う友達が変わったこともあったが、すっかり苛めはなくなった。
中には私を苛める側の悪ガキグループの一人だったヤツも中学校に入るとたまたま同じクラスになったことをきっかけに普通の友人として付き合うようになった。
高校生になると学校は違うにも関わらず一緒に旅行はするは役に立たたない勉強もするわで、40年経過した今も友人であり続けているくらいだ。
「いじめられっ子」だった経験はそれはそれで「子供の人間関係」を今に考えるのにも役立っているし、大人の世界にも似たようなところがあり、嫌な人が上司や顧客にいても案外当たり障りなく付き合うスキルの基本の一つにもなっている。

社会人になると「残業」や「飛び込み営業」を敬遠できる仕事を選んだつもりが、たまたま成り行きで入ってしまった建築設備という仕事が恐ろしく過酷であった。
どれくらい過酷かというと、たとえば担当していた建築現場へ通うのに長距離通勤は当たり前だった。
1980年代半ばは首都圏の長距離通勤が話題になっていた頃で、湘南から都心まで、木更津や宇都宮から都心に通う、というの「通勤2時間」なんてことが話題になっていた。
私は大阪の堺に住んでいたのだが、担当してた現場が神戸の六甲山の裏側とか、ポートアイランドだとか、京都の洛北だとかだったので通勤時間は片道2時間は当たり前の世界なのであった。
しかも残業や休日出勤は当たり前であった。
夕方、そろそろ仕事を仕舞って帰り支度でもしようかな、と思っていたら現場の所長が、
「○○君、今晩騒音測定するから残ってくれる?」
と言ってくる。
「はい!」
と答えると、その日はもう帰宅できない。
竣工が近づいてくると完成図書を仕上げなければならないので徹夜で現場調整して、徹夜で図面描きの手伝いをした。
当時は現場にはまだCADが無かった。
週休二日なんてものにも縁がなく、土曜日は一般勤務で日曜日も「お客さんが休みのときしか作業できないから」と休みじゃなくなることも少なくなかった。
私は最長1ヶ月連続勤務があったけれども同僚の中には3ヶ月連続勤務というものもあった。
初めての仕事がこんな過酷だったため、
「ふ〜〜ん、仕事というものはこんなものが普通なのか」
とさえ思った。

いじめ。
過酷労働。
いずれも今考えると「普通」だったように思えるのだ。
しかし、今の労働環境と比較して考えてみると、昔とは大きな違いが2つあることになんとなく気づく。
1つは環境が陰険になったこと。
2つ目は周りに「死」に誘う雰囲気や情報があるのではないか。
ということだ。

「いじめ」はあったが今思うと「陰険」ではなかったと思えることがある。
ひょろひょろとして、どこか頼りなく、お友達といえば女の子が主だった私は、考えてみれば「のび太くん」みたいなもので格好のいじめ対象だったのだ。
ただし「陰険さ」はないので誂われたり、殴られたり、蹴られたりしたことはあったが、執拗に小突かれたり、待ち伏せを食って這いつくさばれることもなかった。金を巻き上げられることもなかった。

会社もそう。
勤務先の建築現場が大手の現場だったからかもわからないが、所長さんや同じ年頃の技術者、現場担当者はみんな高学歴で体力があった。
無理な仕事を与えられたあとは、
「お、これで朝飯でも食ってこいや」
とごちそうになったり、徹夜続きの現場が一段落して終わるころ、
「みんなで鍋、食べに行こう!」
と現場近くの飲み屋に出かけて水槽の魚を食べ尽したり、というようなことが一度ならずあったものだ。
つまり緊張に対する緩和が存在したのだ。
しかも建築現場なので職人の親方連中も強面の容姿に反して優しかかったりした。
建築現場というのは過酷な肉体労働が伴うが、技術も伴わなければ話にならず、その指導者たる親方・職長さんたちは信頼のおける人が多かった。
厳しくはあるが、私のような他社のものでも親切にノウハウを教えてくれる人が一人や二人必ずいたのだ。

それに対して今はどうだろうか。
先の見えない仕事量。
終わりなき、陰湿ないじめ。
仕事を教えてくれない上司に先輩。
プライベート重視で飲みニケーションも一切なし。
行ったら行ったで組織のルールが現前とある。

しかし、それを理由に「死」を選ぶのは、そういう環境があるからではないか、と私は考えている。
つまり未来がない、と教える悪魔がいるのだ。

岡田有希子が自殺した時に後を追うように多くの若者が自殺する社会現象が発生した。
自分の年齢に近い有名人が自死すると、そういう傾向のある人には一種の引き金となってしまい死ななくてもいいのに死んでしまう。
そういう社会心理が働くのだ。
今、社会の中で蔓延する「自殺」の原因は職場や学校などの陰湿さも原因しているのかも知れないが、自殺に関するニュースをたれ流し、ある時は「死は社会が原因である」とさえ伝える報道や行政の態度にもあるのではないだろうか。
だから「苦しい」ということが安易に「死」に結びつく。
岡田有希子の時と同じように周りの雰囲気が死を選ぶようにしていおるのではないか、と。
よしんば「死にたい」と思っても、「死ぬくらいなら辞めてしまえ」と自分に言い聞かせることができる雰囲気さえ奪っているのではないかと思えるのだ。

そこでつらつらと思うのだが、若者向けに「死」を選ばないドラマを普及させたらどうだろうか。
死ぬくらいなら学校や家族を捨てて家出しても良いんだよ。
死ぬくらいなら、そんな仕事やめてしまえ。周りが煩ければ家出をしてもいんだよ。
と。
家出をした後、様々な人に出会って成功していくストーリーが良いかもしれない。
「家出ドラマ」実現で最悪の「死」を回避して、別の世界に明日を見いだせる希望を抱かせる。
「明日がだめなら、明後日があるじょ。明後日がダメなら、明々後日がるじょ。どこまでいっても明日があるじょ」
というNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」でドンガバチョが歌っている「明日の歌」を聴いて自殺をとどまった人がいたエピソードは有名な話だ。

適切ではないかもしれないが、人生行き詰まった時は「逃げ道」が必要だと思う。
家出までも行かなくても退社、退学、休学、休職。
どれもこれも生きてさえいれば、やり直しは効くのだから。

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