<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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農業の世界に変革が訪れている。
正確には農業だけではなく漁業、林業、畜産を含めた1次産業に大きな変化の波が訪れているのだ。

私が生まれた昭和30年代終盤から40年代初めの頃は東北地方や九州地方からの集団就職がやっと終了した時期だった。
農村部の人口が過剰ぎみで都市部では労働者を求めていた。
また農村部の現金収入と都市部の現金収入に開きがあり、地方の若者が都市にあこがれている時代でもあった。
だからかどうか知らないが、私のように大阪に住んでいる子供からすると農業は苦しい、しんどい、収入が低い、格好が悪い、などのイメージが植え付けられ、畢竟農業は将来目指したい職業ではなくなってしまっていたのだった。

私は父が岡山県の農村部出身だったこともあり、小学生高学年まで頻繁にその岡山の祖父母の家を訪れていた。
従って、大阪堺の都心部で生まれ育ったにも関わらず、春は田植え、秋は稲刈りを手伝わさせられる経験をしており、他の人よりもさらに「ううう〜、めんどくさい仕事や」と思うようになっていた。
尤も、小学校も高学年になると稲刈りも田植えも機械化されており手伝うことはほとんどなくなっていた。
鎌を手にしてザクザクと稲の穂を刈るなんてことはなくなってしまい、今思い出す度に非常に寂しく感じられる光景である。
今もミャンマーやタイの農村部へ行くと村中総出で手作業の稲刈りや田植えをしている風景を見るにつけ、昔の日本のようで懐かしさを感じるのは多分私だけではないだろう。

そういう農業のイメージが一新されようとしている。
農業にICT技術が応用され始めてすでに20年以上が経過し、それを研究・開発してきたNTTや日立といった企業を中心に多くのノウハウが蓄積されてきている。
あのグーグルやアップルでさえも日本での農業ICTへの研究に参入しているのだ。
従来はベテラン農家の経験と感が頼りだった農産物の育成についてもITがそれを補えるレベルまで達しようとしている。
また施設園芸の技術も上がっている。
水耕栽培やそれに類する技術は安定した栽培を可能にしキノコ類に至っては工場生産が主流になり、台風が来ようが日照りが続こうがスーパーマーケットでの販売価格はほとんど変動しない。

近い将来ほうれん草やレタス、ネギといった軟弱野菜もきっと同じように安定した価格になるのかもしれない。

さらに農業の動きとして6次産業化を忘れてはいけない。
これは生産(1次産業)するたでけではなく、加工(2次産業)し、販売提供(3次産業)までをすべて農業側がやってしまおうというビジネス形態なのだ。
野菜を作ればそれを漬物にしたり、チップに加工したり、サラダにしたりして販売する。
そうすることによって生野菜で得る5倍の利益を確保できるように計画することも可能になる。
農業は格好悪いどころか、多くの可能性を秘めた新産業に変わろうとしているのだ。

金丸弘美著「里山産業論 食の戦略が六次産業を越える」(角川新書)は日本国内で起こっている農業を中心とした産業およびビジネスの変化を紹介した良質の参考書なのであった。
町おこしと1次産業の関わりを中心に海外の事例や、近年やっと生まれてきている日本の事例などが具体的に記されていてビジネスだけではなく新しい社会の動きとして知ることができるのがかなり魅力だった。
しかも具体的な活動として例えば五感を使ったワークショップなどが取り上げられており、実用書としも使えそうな雰囲気だ。
里山と言う言葉に注目が集まり始めて結構な時間が経過する。
その里山で生産される様々な産物が日本が直面している社会問題の幾つかの解決への指標になるようにも思える。

それにしても他分野の産業も融合した農業の魅力は絶大だ。
正直、本書に書かれているようなことがもっと広がり強化されると議論を呼んでいるTPPは否定すべきものではなく、うまく活用すべき国際的な取り決めではないかとも思えてくる。
日本の食の問題はかなり楽観してもいいのではないかと思えてくるのは私だけではないかも知れない。



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