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4日から東京都立写真美術館で始まった「黒沢明生誕100年記念絵コンテ展」を訪れてきた。

黒沢明というと、私の卒業した大学ではその昔、いつも「影武者」の話が登場したものだ。
当時、大学の教授陣の中に映画キャメラマンとして活躍されていた宮川一夫先生がいらっしゃって、たまに開かれる貴重な講義では、サントリーのトリスのコマーシャルの撮影や、新作「瀬戸内少年野球団」の話と共に、黒沢先生のエピソードが時々飛び出したものだった。

「羅生門」の撮影秘話なども飛び出したが、中でも「影武者」のエピソードでは、
「あの映画の中では、戦闘シーンの無数の武者役を個々のここの大学の学生を使って撮影する予定になっていたんですよ。でもね、私が病気しちゃって立ち消えになって、残念なことになってしまいました」
という話を宮川先生からも、他の先生からも聞かされたものだった。

「影武者」はちょっとまえに公開されたジョージ・ルーカスやスピルバーグが製作陣に加わっている話題の作品だった。
話題という意味では、撮影に入る前に主役を演じる役者が交代してしまったことだ。
信玄の影武者を勝新太郎が演じるはずが、ちょっとしたことで黒沢監督とケンカになって降板。急きょ仲代達矢が代役に立ったのも話題をさらった。

今回、黒沢明直筆の絵コンテが多数展示されているが、この中でも影武者の絵コンテに描かれている信玄の影武者が勝新太郎であることに、改めてあの映画の主役交代のエピソードを思い出した。
そしてまた、会場で上映されているルーカスなどの証言ビデオでも語れていたように、もし勝新太郎が影武者を演じていたら、この映画は別のものになっていた可能性があるとも感じた。
私の感想では「退屈なもの」にならなかったかも知れないとも思えたのだ。

映画監督というのは、オーケストラの指揮者が楽譜に手を加えるのと同じように、自らコンテを描いてスタッフや出演者達にイメージを伝える。
黒沢明の描いた絵コンテは、コンテ、というよりも1枚の絵画のような迫力があり、しかも色彩が豊かなのであった。

もともと「そんなに見るものはないのではないか」と思って出かけた展示会だったが、その筆遣い、決して派手ではないが、非常に色彩が豊かでバランスの取れた構成は、やはり、日本映画界の誇る巨匠であったことを改めて認識させてくれる力強さと引力を備えていたのだった。

マーティン・スコセッシが初めて貸し出したという「ゴッホ」の絵も見事。

黒沢明だから混み合っているだろうという予想も外れ、黒沢明の世界をダイナミックな絵画で楽しめた素晴らしい展示会なのであった。



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