転職して間もないころの話。
「辞めるんじゃなかった。辞めたのは忙しすぎて疲れていただけなんだ…」
どうにもならないことをくよくよ考えながら、私は喫煙室で煙草を吹かしていた。
そこに築地康夫が入ってきた。
60歳を少し越えたくらいのやくざ風の初老の男だ。
築地は、顔を横に向けて煙草をくわえながら、私に話しかけてきた。
「おまえは、〇〇から転職して来たんだろ?」
年下とはいえ初対面の相手に「おまえは」はないだろうと思ったけれど、
素直に「そうです」と答えた。
「わしは社長と中村に言うてやったんだ。〇〇の人間を採るな、役に立たんぞ、と」
築地はこう言って、私の方へ視線を向けた。
仕方ないので、「ああ、そうですか」と答えると、さらに続けて、
「この会社におまえの居場所はないぞ。どうするつもりか?」
と言った。「どうするつもりか?」と問われても何と答えてよいかわからないので黙っていると、
無視されたと勘違いしたのか、だんだん興奮してきて怒鳴り始めた。
「だいたい、〇〇の人間にうちの仕事ができるわけがないんだ。
会社がおまえを採ったのは技術士を持っとるからだ。会社は資格が欲しかったんだ」
こう言うと、急に立ち上がり、
「技術士を持っとらんかったら、洟も引っ掛けるかいや 」
と絶叫した。
私は少々のことには腹を立てないのだが、このときばかりはさすがに腹が立った。
そこに刀がなくてよかった。刀があったら八つ裂きに切り刻んでいただろう。
それくらい腹が立った。
初対面の見知らぬ男に何の因果でこのように侮辱されなければならないのか、と思った。
私は腸が煮えくり返っていたのだが、
「これからよろしくお願いします」
と頭を下げた。
築地は、さすがに大人げない、と気づいたのか、
「わからんことがあったら何でも訊いてくれ」
と言いのこし、喫煙室から出て行った。
18年前のちょうど今頃の出来事だ。
今でも鮮明に憶えている。
追記 2020.03.13
築地康夫はM重工のOBだ。
M重工内できらわれていて、いろんな部署を転々としたが、最後は引き受ける部署が
なくなったので、やむなくA社に転職した。小心者に特有な、弱い者を見つけては威
張り散らすことしかできないつまらん男だ。
だから動物によく見られるマウンティングをしたのでしょう。
技術士は取得していませんでした。
落ちるとかっこ悪いので端から受けなかったようです。
築地の送別会のとき、係長・課長補佐連中が大泣きしたといわれています。
あるとき、若手のAが感に打たれたように「築地さんはすごいですよ」というので、
「どこがすごいの?」と尋ねると、あの年になってもまだ勉強している。この前、動解の本を読んでた、というのです。
「あちゃー、君ね、動解なんて、高校数学の力があればだれでも理解できるものなんだよ」と本当のことを言ってやろうと思ったのですが、
涙を流さんばかりに感動してたのでやめました。
60歳すぎても資質の向上を図るのはあたりまえ。年をとると記憶力は確かに低下するが、数学的思考力は落ちないもんだよ。な、築地君、そうだろ。