平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

10月の気温

2013-10-15 20:51:09 | 地球温暖化


ようやく涼しくなりましたが、暑かったですねぇ。
グラフは1990年から2003年までの広島市の10月の日平均気温を示しています。赤い線は今年です。
グラフを見ると、5日から10日までは24年間で最も高温ですね。
でも、CO2のせいじゃないですよ。



アメリカのワイオミング州とサウスダコタ州では猛吹雪です。
地球もいろいろ、気候もさまざまです。

都市化と気候(6)

2013-09-29 18:09:21 | 地球温暖化
根本順吉:超異常気象 30年の記録から、中公新書、より抜粋します。

そして私にとっての三匹目の大泥鰌は、一九九〇年の暖年に気づいたことである。私はこれを『朝日新聞』天気図欄に書かれた予報官の小コラムに触発され調べはじめたのであった。たとえば東京の気温についてみると、それは一九八九年八月以来、現在(一九九一年五月)に至るまでマイナスにならず、実にプラスが二二ヵ月もつづいているのである。時計の振子が片側だけフレているようなものである。この高温の原因として都市気候を考える人もいるが、日本全国、都市でなくても、ほとんどのところがこれに類する高温がつづいているのだから、都市気候だけでこの昇温を説明するのはむずかしい。

根本氏の見解に賛成です。

都市化と気候(5)

2013-09-28 18:09:40 | 地球温暖化


渡辺正:「地球温暖化」神話 終わりの始まり、より抜粋します。

図3.6の宮崎にせよ、網走などのほかの中小都市にせよ、「都市化の程度が小さい」という気象庁見解は、住民の方々に失礼というものだろう。一七地点*とも気温トレンドはとも気温トレンドはよく似ていて、おおむね人口に比例する形の昇温が一九七〇年以降に進んでいる。郷里に近いため見当のつく鳥取県の境港や島根県の浜田にしても、一九六〇年~七〇年代からずいぶん都市化が進んだ。つまり、図3.5のグラフは、おもに「一九七〇年代以降の都市化」を語りはしても、「日本の温暖化傾向」を表すものではない。

注)一七地点:日本の平均気温を算出するための観測地点(網走、根室、寿都、山形、石巻、伏木、長野、水戸、飯田、銚子、境港、浜田、彦根、宮崎、多度津、名瀬、石垣島)




渡辺先生、浜田市の気温は1980年以降上昇しているけれど、人口は減り続けていますよ。人口に比例して変動していませんね。
それに、そもそも都市化していない。こんなことはすぐにわかることなので、もう少し調べて本を書かれたらどうです。

都市化と気候(4)

2013-09-21 20:11:32 | 地球温暖化


図1は、東京の年平均気温から熊谷の年平均気温を差し引いたものです。
東京の昇温が「いわゆる都市化」によるものであるならば、都市化は1920年頃から1940年頃にかけて一気に進み、その後の進展は緩やかである、ということができます。東京の「いわゆる都市化」は1960年代~1980年代にピークを迎え、以後緩和しているように見えます。

都市化と気候(3)

2013-09-20 21:42:16 | 地球温暖化



渡辺正先生の著著を引用し、都市化の定義がなされていない、と批判しました。
ところが、よく読み返してみると、先生はきちんと定義されています。
私の見落としでした。お詫びします。先生、すみませんでした。
先生よると、都市化には四つの要因があるようです。

激しい昇温は都市化が起こす。そのおもな要因には次の四つがある。
・エネルギーの集中消費(電気もガスも最後には熱になる)
・車の増加(走行中の乗用車一台は、三〇~四〇kWの強力ヒーターと同じ)
・高層ビルの増加(通風が弱まって起きる「日だまり効果」)
・植物の減少(まわりを冷やす蒸散作用の低下)
たとえば車はどれほど効くか。
いま東京都には車が約四四〇万台ある。
うち二%が昼間の都心(山手線が囲む面積の1.5倍=100平方km)を走ると考え、
車の発熱量と空気の熱容量(比熱)を使って計算してみると、厚み数百mの空気層が軽く1~3℃は上がる。
統計数字が残る一九六六年時点で東京都の車は一二〇万台だったため、当時から四倍近くに増えている(ちなみに全国の台数は一五倍増)。
こうしたことから、図3.4に見える昇温の三分の一ないし半分(以上?)は、車だけで起きた可能性が高い。<中略>
都市化はどこまでも進みはしない。
図3.4を見ると、二〇世紀末から現在までの一五年間ほど気温が頭打ちになった感がある。
ひょっとしたら、そのレベル(16.5~17℃)で上下動を繰り返すだけかもしれない。


うーん、そうなんですかね。先生は自信満々ですけど。
車の発熱量と空気の熱容量(比熱)を使って計算してみると、厚み数百mの空気層が軽く1~3℃は上がる、と言われてもねぇ。空気は移動するし…。

先生は、20世紀末に東京の都市化が頭打ちになった、と述べておられます。本当にそうでしょうか。
そこで、1900年~2012年の期間について、東京の年平均気温と埼玉県熊谷市の年平均気温を比べて見ました。その結果が図1です。



確かに東京の気温は右肩上がりに上昇していますね。でも20世紀の後半になると熊谷の気温も上昇し、1960年以降については上昇勾配がよく似ています。
分かりやすくするために、1960年で東京と熊谷の気温が一致するように、東京の気温を下方に平行移動してみました。それが図2です。



なーんだ、ずいぶん前から重なっていますよ。パッと見では、1930年頃から重なっています。
1930年と言えば昭和5年です。この頃は東京の車の台数は少なかったはず。
先生、車の影響ではないのではないでしょうか。


北極の海氷面積など(2)

2013-09-17 20:32:06 | 地球温暖化


図は9月16日時点の北極の海氷面積です。
赤丸は東京大学山口研究室のシミュレーションによる予測です。
大はずれでしたね。
武田先生は間違った予測をした山口教授に対し怒り心頭で、次のように述べておられます。
山口一教授としては、
1)東大教授として学問的力がなかった(辞任すること)、
2)東大教授の力はこのぐらいだ(東大を廃止すること)、
のどちらかになるだろう。

武田先生、お気持ちは解りますが、非線形シミュレーションの精度はこの程度ですよ。
山口教授は3ヶ月後に確実に正否がわかる解析をされたのですから立派だと思います。
誰にも検証できない100年後を予測する江守正多氏に比べると、はるかに良心的です。

100年安心プランの崩壊

2013-09-16 21:24:23 | 地球温暖化


頻繁にメディアに出ていた江守正多氏ですが、最近はほとんど見かけません。
どうしたのかなと思っていたら、池田信夫氏のインタネット番組に出ていました。
「ホラ吹き大王」の池田信夫氏とは似た者同士なので気が合うのでしょう。

図は江守氏が番組の中で使っていたものです。
最近の世界平均気温の変動はシミュレーション予測を大幅に下回っています。
気温上昇が鈍っている事実を江守氏もさすがに認めざるを得ず、つぎのように語っています。

これは基本的にはいろんな細かい要因の複合でこういうふうになっていると考えられます。一つ大事なことは、現在このズレがですね、温暖化のカーブが基本的に間違っているということは意味しないということです。一つには、自然の変動というやつでして、温暖化というのは長期的な上昇傾向で、それに自然の不規則な気温の上がり下がりが重なっています。自然の変動が下向きに温度を下げようとすればですね、温暖化の気温上昇を打ち消してあまり上がらないように見える、まあ一つには最近それが起っているのだろう。過去にもあまり上がらない時期があったり、たくさん上がる時期があったりしながら規則的に上がっていますので、それは非常にあたりまえのことである。もう一つはですね、このシミュレーションをするときに、われわれ専門用語で放射強制力と言うんですけれども、地球の温度を上げる外部的な要因を、まあそのデータを入れるわけですね。温室効果ガスが将来これくらい増えるだろうというデータを入れてシミュレーションをしているんですけれども、ほかにもいろんな外部的要因がありまして、一つは太陽活動ですね。太陽活動は、ご存知の方はご存知と思いますが、最近弱まっています。弱まると同時にその周期が延びていまして、最近の15年はかなり太陽活動が一方的に弱まるような感じの局面がすっぽり入っている。それから、このモデルの計算に入っていない弱い火山の噴火なんかが地球を少し冷やしている可能性がある。それが原因で、今申し上げた一つは、自然変動である、もう一つは強制力をモデルが過大評価していて、実際には、地球を上げようとする熱が、現実には少し小さいんじゃないか、もう一つが、割と大事なんですが、このシミュレーションモデルが、温度が上がりやすくなりすぎであるという可能性がここにきて出てきた。これは、もともと、ご覧いただくように、幅のある推定しかできない、つまり温度が上がりやすいモデルと、上がりにくいモデルというのがあって、その幅でいままで見ていたわけですけど、これだけ現実がしばらくだけとはいえ上がらないと、温度が上がりやすいモデルよりも、上がりにくいモデルの方が、現実に近いんじゃないかと、そういう可能性が最近出てきたということですね。まあそういうわけで、いくつかの原因の重ね合わせでいま現実の観測データは予測値の下限を行っている、だけど別に温暖化のカーブから全く不思議なことが起っているわけではない。

彼は、観測値がシミュレーション予測を下回っている理由を三つ挙げています。
一つ目は、自然変動が気温上昇を押し下げた、二つ目は、放射強制力をモデルが過大評価した、三つ目は、温度が上がりやすくなるモデルだった。どれも噴飯ものですが、特に三番目の理由はひどいですね。「割と大事なんですが」ですむ話じゃないです。モデルが間違っていたなんて、よく平気な顔で言いますね。今まで彼らがやっていたことは出鱈目だったということですから。

2006年に出版された、NHKスペシャル気候大異変-地球シミュレータの警告-、NHK出版、のなかで、彼はつぎのように述べています。

しかし、注意して見てほしいのは、下の図のすべて要因をインプットした計算結果は、二〇世紀終盤の温暖化だけでなく、二〇世紀半ばの寒冷化傾向をも再現しているということである。



モデルに誤りがあったのですから、二〇世紀の気温を再現できたというのは間違いです。パラメータ調整を何度も行って合わせたということが、彼の今回の説明で明らかにになりました。

彼はCO2温暖化で一生食べていけると踏んでいたのでしょう。しかし、21世紀が始まって20年もしないうちに嘘がばれてしまいました。これは彼にとってよいことだと思います。早く過ちに気付いて残りの人生を真っ当に歩んでほしいと思います。

都市化と気候(2)

2013-09-15 20:56:37 | 地球温暖化


一九七〇年代に始まる宮崎の昇温も、都市化の影響をそうとう受けているだろう。図3.6をよく見ると、二〇世紀末から昇温が止まった気配がある。東京と同じく、やはり都市化の飽和を表しているのではないか。

渡辺正氏は著書の中でこのように述べています。ほんとうにそうなのでしょうか。
気象庁のデータを使って調べてみましょう。



図1は、アメダス宮崎とアメダス高千穂の年平均気温の比較です。
高千穂観測所は九州山地の山の中に設けられているので、都市化の影響はありません。
宮崎の気温のほうが高いですね。
この図はわかりにくいので、1980年の気温が一致するように、宮崎の気温を下方に平行移動してみましょう。
それが図2です



あらま、2000年以降に多少の差が見られるものの、ほとんど一致しましたね。
宮崎の昇温は都市化の影響ではないのではないでしょうか。
渡辺先生、どうです?

都市化と気候

2013-09-13 12:51:55 | 地球温暖化


渡辺正氏は著書「地球温暖化」神話/終わりの始まり、の中でつぎのように述べています。

たとえば一七地点の一つ宮崎の気温は、図3.6のように変わってきた。右端から三分の一ほどを手で隠せば、上下動はあってもさほど特徴のないグラフになる(一九一〇~七〇年には0.5℃くらい昇温した?)。大きな変化は七〇年代に始まり、以後1℃ほど上がっている。
若い方々には実感もないだろうが、一九六〇~七〇年代までの日本は(場所ごとに程度の差はあれ)だいたいが「田舎」だった。生まれ育った山陰の農村だと、六〇年以前は車がめったに通らず、電化製品もほとんど使っていない。けれど八〇年代以降には農家が二台や三台の車をもつなど、エネルギーの使用量が激増した。
一九七〇年代に始まる宮崎の昇温も、都市化の影響をそうとう受けているだろう。図3.6をよく見ると、二〇世紀末から昇温が止まった気配がある。東京と同じく、やはり都市化の飽和を表しているのではないか。


私はこのような論理の組み立てに抵抗を感じます。そもそも都市化とは何でしょう。
渡辺氏によると、都市化とは、①車が通る、②電化製品を使う、③二台や三台の車を持つ、①②③の結果、エネルギー使用量が激増する、ことのようです。
なんだかよくわかりませんね。二台や三台の車を持ったとしても複数の車を同時に運転することはできません。用途に応じて使い分けているだけであり、走る車はいつも1台です。
エネルギーが激増するという言い方もわかりにくいですね。エネルギーって何ですか。
都市化によって都市の気温が上昇したというのなら、都市化とは何かを明確にしてほしいものです。
>一九七〇年代に始まる宮崎の昇温も、都市化の影響をそうとう受けているだろう。
学者はこんなことを言ってはいけません。憶測はだめです。

都市化とは何かよくわからないけれど、その飽和状態はあると思います。
広島は空き地だらけです。空き家やオフィスビルの空室が増えています。人口も減っています。人口憎や建物の密集を都市化というのなら、広島の都市化はバブルの頃がピークでした。
管理人NAOさんが住んでおられる札幌はどうなのでしょう。いわゆる都市化は飽和しているのでしょうか。札幌の近くに日本の平均気温を算定するための観測点の一つ「寿都」があります。
札幌の気温と寿都の気温を比較することでそれを確かめてみましょう。




図1は年平均気温の比較です。1900年から2012年までを比較しています。
この図をみると、20世紀の初頭は札幌よりも寿都の気温が高く、年々その差が縮まってきて1980年代半ばで逆転しています。

図2は、年平均気温の差を取ったものです。1985年ころまでは一定勾配で差が詰まっています。ところが、1985年以降は差の増減がありません。

以上のことから、札幌の都市化は1985年頃に飽和したと推測されます。
乱暴ですかね(^^;)