渡辺淳一著『愛ふたたび』、地方紙各紙での「勝手に連載中断」は許されない
「修羅場」の日々を過ごしており、そんなに多くはないがそれでも時々本を読んでいる。最近読んだのでは、渡辺淳一著『愛ふたたび』(幻冬舎)がある。若い頃には、渡辺淳一の作品を読むことはなかったが、近年その作家(=渡辺淳一)が年齢を重ねる中で、「老い」と向かい合って自分の実年齢に重ねあわせた作品を多く書いているので、最近は結構読ませてもらっている。
今回の『愛ふたたび』は、「愛妻の死を契機に、第二の人生を楽しむ決心をした整形外科医の『気楽堂』こと、国分隆一郎 73歳。突然襲われた、回復しようのない性的不能―。絶望と孤独のどん底に突き落とされた彼の前に、亡き妻の面影をしのばせる女性が患者として現れる。シニア世代の恋愛観、人生観が一変する渡辺文学の到達点」とPRされている。
しかし、読み進んだが「過激さ」を感じることは全くなく、その一方で「不快感」が私を襲ってきた。「相手のこと(=女性)の考えているようで、結局は自分のことしか考えていない」、そんな不快感だ。多分、今後この作家の本を読むことはないだろう、とすら思ったりもした。
ところで、この『愛ふたたび』は、地方紙各紙に掲載された作品だ。ところが、ある日突然「インポテンツを扱い内容が過激すぎる」等として、著者に断りもなく連載が中止になったと聞く。作家に依頼しておきながら、「断りもなく発表を中止する」、そんなことは許されないと思う。
被爆直後のヒロシマの地獄を書いている『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』
このところ、結構いろんな本を読んでいる。軽いとは言え「腱鞘炎」なので、可能な限りパソコンと向かい合うのを止めようと思っているが、このところ少しだけ調子が良くて、フェイスブックも投稿したりもしている。それでも、このブログは以前は朝と夜の二回更新だったが、今は基本的には朝のみの更新とさせていただいている。そうすると、なかなか読んだ本の感想も書くことができないでいる。
ところで、松江市教委の中沢啓治著「はだしのゲン」の「閉架措置」の怖さについては、既に書いた。その後も、この「はだしのゲン」を巡っては、様々なところで議論になり、同じような措置がとられている自治体もあるようだ。今回の騒動の中で、「貸し出し禁止」を撤回した自治体もある。
この「はだしのゲン」の表向きの禁止措置の理由は、「描写が残酷すぎる」などだ。しかし、私は「歴史認識が間違っているとの脅し」に屈したものと確信している。「原爆後の状況は悲惨で残酷」以外の何ものでもないのだから。
そんな原爆の残酷さを描いた児童書に、米澤鐵志語り『ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生き抜いたヒロシマ』(小学館刊)がある。著者は「電車内被爆者」だ。「爆心から750メートルの電車内で原子爆弾被爆。母親と妹が死亡」。著者自身も頭髪が全部抜け、高熱が二週間続いたが奇跡的に回復している。
そんな著者の被爆前後の体験を書いている。まさに「11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」だ。被爆直後のヒロシマの状況は、まさに地獄。書かれている事象は残酷以外の何ものでもない。しかしこの本は、「歴史認識」に関わる記述はない。それ故、学校図書館や公共図書館の本棚に並んでいると思う。因みに、私はこの本を市立図書館で借りた。
日米通算4千本安打を達成したイチローは、紛れもなく天才そして詩人だ
いつもその言葉に感銘を受ける人がいる。いわゆる体育会の方で、文学者や詩人ではない。いや、体育会系そのものの方だ。その人の名はメジャーリーガー、そうニューヨーク・ヤンキースのイチロー外野手。
イチローは一昨日・21日に、本拠地ヤンキースタジアムで行われた試合で日米通算4000本安打を達成した。そしてその日、同球場内で記者会見に臨んだイチローはその胸中を、「4000安打を打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきた」と表現した。まさに「詩人」そのものだ。
そして、今後についてイチロー「失敗を重ねていって、たまにうまくいって、ということの繰り返しだと思う。それを続けていく」と覚悟を述べている。ステキな表現だ。
そんなイチローのインタヴュー全文がネットにアップされていたので、読んだ。その中で、次の言葉が私を捉えた。「僕は学生時代にプロ野球選手というのは打つこと、守ること、走ること、考えること、全部できる人がプロ野球選手になるもんだと思っていたので、今もそう思ってるんですけど、実はそういう世界ではなかったというだけのことでね(中略)僕にとって普通のことですね。そうでないといけないことですね」。
「普通のこと」のために、もの凄い努力を重ねる。そして「普通」に、ヒットを日米で4000本打つ。「天才」とは天から与えられた才能を、その努力によって花開かせる人のことを言うのだろう。その意味で、まぎれもなくイチローは天才だ。そんな人と、同じ時代を生きていられることを嬉しく思う。
備前おかやま大歌舞伎・歌舞伎プレセミナー、葛西聖司さんが歌舞伎を解説する
現在優先予約を受付中(9月20日締め切り)の「備前おかやま大歌舞伎」公演に先駆け、歌舞伎の基礎知識や演目(「野崎村」、「江島生島」)の見どころなどを、古典芸能解説者で元NHKアナウンサーとしておなじみの葛西聖司さんがわかりやすく解説する「歌舞伎ブレセミナー」を、「歌舞伎・観る会」が開催する。今回のチケット購入者(申込者)はわずかワンコイン(500円)で参加可能。是非とも、たくさんのご参加をお願いする。
日 時 10月23日(水)14時30分~
会 場 西川アイプラザ5F大ホール
参加費 前売り1,000円(当日1,500円)
今回の公演チケット購入者特別料金 500円
「怨歌」で70年代に一世を風靡した藤圭子が自殺した、ご冥福をお祈りする
「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットするなどし、今では歌手宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子が、昨日の朝マンションから飛び降り自殺した。驚き以外の何ものでもない。
藤圭子の歌は、「演歌」でもなく「艶歌」でもなく、まぎれもなく「怨歌」だった。1970年代、藤圭子の歌声は私の心を捉えて離さなかった。その藤圭子もいまや62歳。その人生の一端を報道で読みつつ、切なさも感じている。時間の流れを感じながら、心からのご冥福をお祈りする。
三日連続で外食が続いた、昨日のビヤガーデンなどもあり体重が跳ね上がった
このところ、結構いろんなことが我が周辺で起こっている。ある意味「山場」だ。まだ現役の頃に、スタッフと「今が山場なので頑張ろうな」というと、「いいや、土壇場」とか、「修羅場」という言葉が続いた。今の私の状況は「修羅場」と言う感じ。処理しなければならないことが山積み中、お願いしておきながらこちらの原稿を渡せないなど、深刻な状況だ。
そうした中だが、軽いとは言え「腱鞘炎」なので、可能な限りパソコンと向かい合うのを止めようと思っているのだが、このところ少しだけ調子が良くて、フェイスブックも投稿したりもしてきたが、また少しだけ調子が悪くなってきている。
このブログは以前は朝と夜の二回更新だったが、今は朝のみの更新とさせていただいている。そうすると、なかなか起こっている出来事を書けないままに、過ごすことを余儀なくされている。そうは言いつつも、我が周辺のことであり、些末なことしかない。例えば、昨日三日連続で外食したとか、最近読んだ本の感想とか等々のことだ。
ともあれ、今朝はそんな三日連続の外食となった、そのお店をメモしておくことをお許しを。ご多忙な方は、パスしていただければと思う。それにしても、昨晩はビアガーデンで飲んだこともあり、今朝の体重計は何とも切ない数字を表示した。切ない。
さて、昨日ランチに行ったお店は畠瀬本店。先週の金曜日にも行ったので、続けてとなった。昨日は13時を過ぎてお邪魔したが、まだ満員状態が続いていた。少しだけお料理が出てくるまで時間もかかったが、その間店主さんともお話しも出来て嬉しかった。
そして昨日は、店主さんの妹さんの手づくりのスイーツをご馳走していただいた。ランチもスイーツも、美味しかったことは言うまでもない。帰る際に、昨日もとてもたくさん実をつけているなつめを楽しませてもらった。
いつもは「ニニキネアワー」でケーキとコーヒー、一昨日はランチを楽しんだ
広榮堂本店コーヒーが350円となり、300円のスターバックスより高くなった。三野にあるエスプリの「ほろにが」は470円。そうした中で、ケーキ代のみでコーヒーがサービスとなる「ニニキネアワー」(例えばモンブラン+コーヒーで400円)は嬉しい。
いつもはそんな「ニニキネアー」を利用させてもらっているが、一昨日はランチとした。いつものクロワッサンとスコーンのメニューとした。美味しいのだが、カロリーの高さが気になる。ま、たまになのだから許してもらおう。
月曜日は麒麟食堂は久しぶりにオムライスとした、久しぶりで嬉しかった
久しぶりで嬉しかったのが、月曜日に行った麒麟食堂。このお店、私の行動範囲から少しだけ外れていて、なかなか行く機会がない。しかし、月曜日・19日には所用があってその近くまで行ったので、やっと行けた。
そうは言っても正直に告白すると、ホントは「天麩羅のたかはし」へ行ったのだが。すると、「お休み」の紙が張り出されていた。そこで、ある意味これ幸いと、麒麟食堂に行ったという次第だ。
このお店でのメニューは、私的には三択。定番の麒麟カレー、そしてチーズたっぷりのえび飯。そしてこの日に私が選んだオムライスだ。どれも、抜群の美味しさだ。全て手作り、とてもていねいに仕上げていただける。
それにしても、このお店のマスターの優しい笑顔と奥様の心づかいに、いつも魅了される。仲の良いご夫婦の姿に、食事の美味しさが倍増となる。「食べさせていただいてありがとう」、そんな感じてお店を出て、猛暑の中に身を置いた。
小泉今日子が出演する、井上ひさし脚本の舞台「頭痛肩こり樋口一葉」を観た
舞台を観るかどうかの私の判断基準は、まずは出演者。とりわけ女優が大切だ。例えば松たか子なら迷わず見るとか。その他宮沢りえや小泉今日子なども心が動く。次は劇団、例えば劇団☆新感線とか。次は演出家や脚本家で選ぶ場合もある。井上ひさし、野田秀樹、蜷川幸雄等だ。三谷幸喜は、他の要素(例えば出演者など)との関連となる。
さて、18日に観た制作集団「こまつ座」の「頭痛肩こり樋口一葉」は、井上ひさしの代表作として舞台の評判も高かったが、何故かこれまで観る機会がなかった。この舞台は「こまつ座」が1984年の旗揚げ公演で上演した演目で、かつ100回記念公演にも選んでいる作品だ。
今回は出演者が大幅に変わり、例えば重要な役回りの「花蛍」(幽霊)は、これまで一貫して演じてきた新橋耐子から、若村麻由美に変わっている。樋口一葉には、今テレビドラマ「あまちゃん」で抜群の魅力と存在感を発揮している小泉今日子が扮している。井上ひさしと小泉今日子の組み合わせとなれば、やはり観に行かないわけにはいかない。
私の今回の座席は、センターではないものの、最前列。19歳の娘に扮した小泉今日子は可愛らしく、その後も舞台に立ち続けて存分に楽しませてもらった。役名は違うが一人のみこれまでも出演している三田和代とを除いて、みんな初役の小泉今日子、若村麻由美、愛華みれ、熊谷真実の豪華女優陣は、正直まだ掌に乗せていない感じがしないでもなかった。深谷美歩はストレートに演じて違和感がなかった。
それにしても、この「頭痛肩こり樋口一葉」は、井上ひさしが作家・樋口一葉への「レクイエム」(鎮魂歌)として書いたとも言われているが、いつもながらの才能に驚かされ敬服する。「旗揚げ公演」なのに、この舞台の戯曲は、井上ひさしが44冊という膨大な樋口一葉の日記を読み続ける中で、「初日の一ヶ月前に、それまで書いた完成間際の脚本を破棄」して、全面的に書き直したとされる作品だ。。
井上ひさしは時代物を書く時など、「約1千万円もの古書を購入するなどして、きっちりと事実関係を把握し時代考証もして書く」という記事を読んだことがあるが、その作家精神に感服する。その上で発揮される、大変な構成力と表現力、それは今回の「頭痛肩こり樋口一葉」でも十分に発揮されている。そこに人間がいるし、ドラマを観た感激と感動が湧き起こる。無理してでも、観に行って良かったと言える舞台だった。今回の俳優陣がさらに役柄をこなして再演される舞台を、また観たいと思ってもいる。
神戸でのランチは「トゥーストゥース」、お茶等のお店もパターン化している
「頭痛肩こり樋口一葉」を観に行ったのは18日の日曜日。私のような「毎日が日曜日」族には、平日が嬉しいが今回は土・日しか公演がなかった。そんな日曜日で賑わう三宮をブラブラした。
その三宮でランチは、元町に行こうかと思ったが、結局は過日維新派公演で来た時と同じ「トゥーストゥース」とした。私には珍しくスパゲティだ。そんな時もある。
舞台で井上ひさしの才能に驚愕し、かつ小泉今日子の笑顔と出会った後、コーヒーブレイクは神戸で定番のケーニヒスクローネとした。前回行った「ケーニヒスクローネ三宮NEXT店」は1月末で閉店となり、現在工事中で12月にはホテルと店舗(1、2階部分)を併設した複合ビルに生まれ変わるとのことだ。
最近考えるのだが、甘いものが好きではあるが、少しだけケーキなどを食べ過ぎているような気がする。本格的なダイエットが必要な身なのに。その実これだけの猛暑の中でも、毎朝体重計に乗っているのだが少しも夏やせしていない。何とか、考えねばと今は思っている。
ところで、三宮からは阪急電車を利用して会場がある「兵庫県立芸術文化センター」の最寄り駅である西宮北口駅まで行った。その際、電車に乗ると、向かいのシートには7人が座っていたが、ナント、全員がスマホを片手にしていた。
一昨年に観た映画「阪急電車」では、大声で語り合うご婦人なども登場していたが、そんなお客もいなかった。夫婦なのに話すらせず、スマホと向き合っている。そんな時代なのだろう。
それにしても来月もまた、神戸に来る機会がある。今度は、どんなお店を楽しもうかと今から考えている。私も人任せではなく、少しは自分で考えねばと思ったりもしている。「るるぶ」さんでも買おうかな。