スキャンダルでHKTへ電撃移籍の指原莉乃、「へたれ」ではない強さを感じた
昨日のRSK山陽放送(TBS系列)の「火曜曲」に出演した指原莉乃は、今回の週刊誌に掲載されたスキャンダルについて語っていた。「書かれていることは事実でない部分もあるが、その男性とはお友達であったことは事実」と語り、この間食事をしては嘔吐していた状況も語っていた。
私的には指原莉乃は、これまでノーマークだった。彼女の発言を聞いたこともなければ、彼女に関する記事を読むことはなかった。
ともあれ、そんな指原莉乃は「へたれのさしこ」と言われていたが、昨日の彼女の発言を聞く限りには、とても「へたれ」には見えず、ある種「肉食系の強さ」を持っているようにすら感じた。
さてその指原莉乃について、明石家さんまが16日に放送されたラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」で語っている記事にネットで出会った。「アイドルの恋愛には賛成」「最低限みつからないようにしないといけない ファンに対しての礼儀ですよ」語っている。
そして同時に、その記事では「指原との交際を暴露したとされる男性に対し、『バカ男』と強い口調で罵ったさんまは、『男の風上にも置けんような奴や。ショックやで~。元彼とか元カノに暴露されるって』と語った」とある。
私もこうした意見とほぼ同じ思いだ。プロ野球西部の涌井投手を初めとしてて、最近でも様々に過去の「恋愛」関係が、週刊誌などで取り上げられている。そしてそれを追いかける形で、テレビ局も取り上げている。こうした傾向は、たとえそれが芸能人を始めとする有名人であろうと、本来それは許されないことと言えよう。
そしてまた、私は「ラブ-アフェアー」はそれが結婚などで成就した場合を除いて、全て墓場に持っていくべきことと考えている。そう思ってはいるのだが、そんな手荷物がないのが実に切ない。
大震災の被災地はとてもではないが復旧すらしていない、目と心に焼き付けた
昨日の台風4号は、岡山にはそんなに被害をもたらさなかったように思う。一安心だ。ただ全国的には、被災された方々も少なくない。昨日の夕方には、台風の到来と満潮が重なる被災地の石巻市や気仙沼では避難勧告が出されるなどもして、とても心が痛んだ。台風一難去ってまた一難、台風5号がまた接近している。心配は尽きない
さて、早いもので東北・被災地を巡る旅をしたのが6月7日~8日だから、もう10日も前のこことなった。いくら何でもそろそろ書いておかないといけないと思い、台風が到来した昨日からパソコンに向かっている。帰った当初はすぐにでもアップをと考えていたが、些末な日常に追われて、報告を書く余裕がなかった。まさに、日常に流されるとはこのことだろう。と同時に、さすがにまだ気持ちの整理もつきかねているので、とりあえず行ったとの報告だけを書き残しておこうと思う。
さて、朝NHKBSプレミアムの7時45分から「こころの旅」で、火野正平が千葉から北へ向かい、昨日の朝は盛岡を自転車で走っていた。その前は、ずっと東北の被災地を回っていた。私が南下したのとか逆で、北上している。その番組を見られた方も多いと思うが、とても深刻な状況が画面に映し出されていた。
大震災・津波に襲われた被災地は、少しも復旧しておらず、家の基礎だけが生活の跡を示している。がれきは高く山のように積まれている。ところどころに仮設住宅がある。とてもではないが、復興に向かっているとは言えない情況が画面に映し出されている。私も同じような光景を、被災地を巡る中で見てきた。
今、政府は社会保障の具体的な中身については示さないままに、消費税増税へ突き進んでいる。国もマスコミも、今や大震災の被災は遠い昔のような扱いに終始しているように思えてならない。1年以上も経過して、まだ復旧の目途すらついていない実態の前で、私は黙って頭を垂れる以外にはなかった。
「大震災を過去のことにしてはならない。現在の問題であり、決して忘れてはならない。そしてこれまで以上に支援の輪を広げなくてはならない」そんな思いでいる。帰ってから、被災地のことを思って自宅の庭にひまわりを植えた。
陸前高田市の松林の中で、たった一本だけ残った「奇跡の一本松」。「困難はあっても頑張って生きて行け」、と語っているような気がした。二日間で私の目と心に焼き付けた光景を忘れないで、被災された方々に寄り添いながら、私も前を向いて生きていきたいと考えている。
それにしても、今回の被災地巡りの旅の期間中ずっと雨だった。久しぶりに雨男の本領発揮だ。でも快晴の空の下では、少しだけ辛すぎた光景でもあった。旅がこんなに辛いとは、初めての経験だ。何気ない日常がとても貴重であり、大切にしなければと心に誓った旅でもあった。
本州最東端・宮古から三陸鉄道で北へ向かった、南リアスの路線の復旧は遠い
今回の旅の一つの目的は、三陸鉄道に乗ることだった。盛岡から快速で2時間かかって、やっと本州最東端の宮古駅に到着した。岡山駅を出発してから、8時間30分という長い時間を必要とする。宮古に向かう電車は、山間を走るので見えるのは新緑のみ。時に家並みが見える。ここには、被災の陰は落ちてはいなかった。
ただ、宮古の駅に到着すると、それは光景は変わった。JRの駅あたりで50センチくらいの高さまで浸水してきたそうだ。そして駅からほんのわずかの所にある宮古市役所の上から撮影され、車や船が堤防を越えて流れている写真が掲載された週刊誌の臨時増刊号を見ながら、その道路をタクシーで通ったりもした(この光景は、被災当初映像として繰り返し放送された)。
さてその一部開通している三陸鉄道の北リアス線も小本駅で一度途切れて、バス代替えで、さらに北へ向かうということになる。そこで、今回の旅では小本で折り返すこととした。私たち以外には乗客はほんの数人で、それらはカメラを首からかけた「鉄男」たちだった。同じように、みなさん小本で折り返した。
途中から、家の基礎のみが見える光景が広がった。そして、ほんのわずかな高さの違いが、残った家並みと基礎のみが見える空間とを分けていた。被災地入りして初めて見る光景だけに、心が痛んだ。
そんな三陸鉄道の駅には、「寄せ書き」等もたくさん張られ、復興に向けたグッズもたくさん販売されていた。車両には、「頑張ろう三陸 杉良太郎」のたプレートが貼られていた。同じ列車に乗った「鉄男」さんから着たいことだが、「扱いは広告で、料金は30万らしい」とのことだった。いろんな方が、いろんな形で支援している。
それにしても、この三陸鉄道。南リアス線の復旧はほど遠い感じで、まだ見通しすら立たない状態とのことだ。銀行には公的資金を投入するのであり、住民の足である三陸鉄道の復旧も、に政府が大いに援助して早急に運転再開をと思わずにはいられなかった。
幾度か訪れた仙台での楽しみの一つ、今回の旅の終わりも牛タンで締めた
仙台といえば、私的には七夕飾りと牛タンだ。仙台に行く度に、牛タンは楽しませてもらっている。今回の被災地巡りの旅では、楽しみを封印してひたすら被災地を巡った。
ただ、その最後に宿泊地とした仙台では、日本酒が飲めない私でありビールと夜牛タンで、辛い旅を振り返りつつ疲れた心と体を癒やした。
この牛タン店、いつもは「伊達」で楽しんでいるが、今回は友人のススメで「利久」の駅前店とした。このお店は、当たりだった宿を駅前の「JALシティ仙台」としていたので、わずか徒歩一分だ。牛タン専門店でありながら、サイドメニューの豊富なお店で、とても賑わっていた。美味しさ抜群であり、お店のSTAFFの対応もとても心地よかった。心にしみる店であり、次回もお世話になろうと思う。ただ、次回仙台にいつ行けるのか、その予定も全くないのだが。