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2009年6月19日、アメリカのウィノナの神学校で13名の司祭が叙階されました

2009年06月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2009年6月19日、アメリカのウィノナの神学校で13名の司祭が叙階されました。
 この叙階式に集った信徒たちの60から70%以上は若い世代でした。



 「いったん「善玉」と「悪玉」のイメージが固定化すると、あとは何を言ってもそれを覆すことは難しく、また時間がかかるもの。まあ、そのイメージ自体、とにかく「分かりやすさ」を追い求めるマスコミ報道、特に物事を単純化して善悪二元論に持ち込みたがるワイドショーがつくったものなのかもしれませんが…。・・・多くの人は多忙であり、そうしたことに時間と労力を割く余裕もないものなのだろうとも考えています。そして、そうした自分で検証することのしにくい人の脳裏にいったん「分かりやすい」としてインプットされたことは、なかなか変わることはないのだろう。」と産経新聞の阿比留記者は言っていますが、まさに、マスコミは躍起になって、聖ピオ十世会に対して、変化を受け入れようとしない老人の「ノスタルジー」と「反動」の固まりであるかのように、聖伝にレッテルを貼ろうとしているようです。



 しかし、現実は、カトリック聖伝の支持をする人々の大部分は新世代、若い人々です。これはアメリカやヨーロッパだけでなく日本でもそうです。本物にこだわり本当のカトリック信仰を求める若い世代が聖ピオ十世会に集まってきているのです。カトリック・ファミリー・ニュースのジョン・ヴェナリ氏が報告しています。長いスカートを穿いている若い女性、多くの子供達を持っている若い家族、ネクタイをキリリと締めた若い青年達の姿が目立ちます。

 ジョン・ヴェナリ氏は、これらの若い人々にカメラを向けて、突然、こう質問します。
「何故、この叙階式に来たのですか?」
「何故、聖伝のミサだけしか与らないのですか?」
「何故、新しいミサには絶対に与らないのですか?」

Young People Interviewed at SSPX ordinations in Winona - 2009


また、6月27日と29日とには、それぞれツァイツコーフェンとエコンとで計12名の助祭が司祭に叙階されます。お祈りください。

http://www.gloria.tv/?media=28468

 これらの司祭叙階は、カトリック教会への奉仕のために為されます。
 ローマ教会との一致の基礎は、変わらないカトリック信仰、変わらない教義、同じ秘蹟、同じ永遠のミサ聖祭です。
 聖ピオ十世会のすべての司祭は、毎日ミサ聖祭で、教皇様と教区長の司教たちのために祈っています。これは、聖ピオ十世会が常に行ってきたことです。
 聖ピオ十世会は、ただ単に、カトリック教会の聖伝の偉大な宝を守るということを意図しているのです。

 教皇様は、2009年1月21日の教令によって、聖ピオ十世会が生きることを成長することを意図しておられたのであり、聖ピオ十世会に死ねと命じたわけではありませんでした。これは、聖ピオ十世会がローマを信頼することができるようにするための措置でありました。それによって聖座と困難な点を解決するためのステップでありました。

 緊急必要状態は、或る例外的措置を必要とします。ヨーロッパにおいてキリスト教が存続し続けることができるか否かの瀬戸際に私たちは立っています。カトリック教会が継続するために、私たちには司祭が必要です。司祭になりたいという青年達はますますいなくなり、貴重になっています。私たちは、カトリック司祭の叙階に喜ぶべきではないのでしょうか?

 カトリック教会法の最後にはこうあります。「霊魂の救いが最高の法である」と。

 本当の問題は、規律の問題ではなく、信仰の問題です。「現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。誰彼の区別ない或る神ではなく、シナイの山で語り給うたこの天主へ、私たちがその御顔を認めるのは、極みまでの愛において -- 十字架につけられ復活し給うたイエズス・キリストにおいて -- である天主へ、です。私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えると同時に、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。」ベネディクト十六世

 だから、聖ピオ十世会は、ただ単に、カトリック教会の聖伝の偉大な宝を守るということを意図して、カトリック教会への奉仕のために、これらの司祭叙階が為されるのです。

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