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第二バチカン公会議のローマ VS 永遠のローマ

2007年03月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!


 金田さんが「ローマ VS SSPX(聖ピオ十世会)」というおもしろい記事を書いておられる。

 いままでレッテル張りの陰口や讒言のみで、頭を使った議論はタブー(?)だったような聖ピオ十世会についての疑問を、こうして金田さんがそのタブーを破って発言してくれていることに感謝する。このようなことは、真理を求める読者のためには、非常に有益な情報となるに違いないと思う。


 今回は、金田さんのしている「弁証」にコメントしたい。何故なら、まさに今の教会を襲う危機の核心とカトリック教会の不可崩壊性について触れていると思われるからである。聖ピオ十世会について関心をもって疑問をぶつけて来てくれる金田さんに感謝する。

 願わくは、聖霊来り給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。聖ヨゼフ、我らのために祈り給え! 聖ピオ十世、我らのために祈り給え! 守護の天使、保護の聖人、我らを導き給え!


~~~~~~


 金田さんの議論をここでまとめておく。


 ある事柄についてローマと聖ピオ十世会に見解の相違がある場合、両方とも正しいという単純なケースを除けば、

(1)ローマが真、聖ピオ十世会が偽
(2)ローマが偽、聖ピオ十世会が真
(3)両方とも偽


の三パターンしかない。


 問題は(2)のケースがあるとすれば、実際にはそれは、


Ⅰ. 聖ピオ十世会は自らを「真のカトリック」と称し、過去のカトリック(=ローマ)の教えを継承保持していると言う。
 ところが、(2)によれば、ローマは偽である。
 従って、ローマ(=カトリック)が偽なら聖ピオ十世会も偽である。


Ⅱ. 聖ピオ十世会は、教皇(=ローマ)の不可謬性を主張している。
 従って、ローマは不可謬であり、40年間も偽であり続けることができないはずだ。
 もし40年間も偽であり続けるなら、教会教導権の権威が実際にはフィクションであることになる。
 従ってもし40年間も偽であり続けるなら、そもそもカトリックが偽であることになる。
 従って、正統カトリックを主張する聖ピオ十世会は、偽である。


のどちらかをしか意味しない。

従って、(2)聖ピオ十世会が真のケースは有り得ない。たとえあっても聖ピオ十世会は偽だ。


従って、(1)(2)(3)の何れのケースにおいても聖ピオ十世会は偽である。



+ + + + +


【コメント】


 (A)まず、「ある事柄について」ローマと聖ピオ十世会に見解の相違がある場合、とあるが、どのような事柄なのかを具体的にするべきである。何故なら、カトリック教会は「信仰と道徳に関する真理について」誤り得ないが、たとえば、政治に関することについては、誤りうるからだ。


(B)次に、聖ピオ十世会は自ら新しい教えを発明しているわけではない。過去の公会議や教皇様たちの不可謬の教え、或いは、たとえ不可謬の荘厳な聖座宣言を伴わなかったとしても、歴代の教皇様たちの常変わらない教えを繰り返しているだけだ。


 従って、もしも聖ピオ十世会の主張が偽なら、過去の教会が偽であるということである。


(C)以前このブログの「リトル・ペブルについて」のところで、侍者2さんがコメントをして下さったが、
私たちは、「カトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマ」と、「第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマ」との区別を付ける必要がある。


 何故なら、同じことが同じ意味において同じ観点から同時に真であり偽であることは有り得ないからだ。


 つまり、

(2)ローマが偽、聖ピオ十世会が真
という場合、「第二バチカン公会議のローマ」が偽であり、「永遠のローマ」は真であるということを意味するからだ。


何故なら、

Ⅰ. 聖ピオ十世会は、永遠のローマに自らを一致させ、過去のカトリック(=永遠のローマ)の教えを継承保持していると言う。
 (2)によれば、「第二バチカン公会議のローマ」は偽である。
 従って、永遠のローマと一致する聖ピオ十世会が真であるということと、第二バチカン公会議のローマが偽であるということとは矛盾しない。


また、

Ⅱ. 聖ピオ十世会は、教皇(=永遠のローマ)の不可謬性を主張している。
 しかし「ローマがどんなことに関しても不可謬であり40年間も偽であり続けることができない」ということは、カトリック教会の信仰箇条ではない。
 過去の教皇様たちの荘厳な不可謬の宣言が、永遠の光として輝いているにもかかわらず、それを無視して行動する教皇や司教たちが出現しないということは、信仰箇条ではない。
 たとえば、聖ロベルト・ベラルミノは、その『教皇論』の中で「異端的な教皇」「離教的教皇」という可能性さえ論じている。
 たとえ、40年間以上も、個人的な偽った考えを説いて廻る教皇たちが登場しうるとしても、「教会教導権の権威が実際にはフィクションであった」ということにはならない。
 ただし、聖アタナジオの時代にそうだったように、カトリック教会の大部分が異端という壊疽に犯されてしまったとしても、必ず少数の一部は健康な部分として正統な信仰を保つだろう。何故なら、私たちの主イエズス・キリストは、地獄の門も打ち勝つことはない、と言ったからだ。


 従って、たとえ大多数の司教たちがそして最高権威者が、近代主義に犯されてしまったとしても、正統カトリックを主張するカトリック教会の一部である聖ピオ十世会は残っていることは、カトリック教会が正に天主からのものであるということを証明している。


(D)この「ローマ」の区別ができないのは、保守派だけではなく(Peter Vere もその一人のように思われる)、聖座空位主義者もそうだ。


 その論理を突き詰めればこう言うことだ。


【保守派の論理】
大前提:信仰によれば、ローマ教皇は誤り得ない。
小前提:しかし現実には、ローマ教皇は誤ったことをしているように思える(たとえば、新しいミサ、エキュメニズム運動など)。
結論:ローマ教皇は誤り得ないので、ローマ教皇がしていること(たとえば、新しいミサ、エキュメニズム運動など)は全て正しい。


【聖座空位主義者の論理】
大前提:信仰によれば、ローマ教皇は誤り得ない。
小前提:しかし現実には、ローマ教皇は誤ったことをしているように思える(たとえば、新しいミサ、エキュメニズム運動など)。
結論:ローマ教皇は誤り得ないので、ローマ教皇は教皇ではない。


 どこが問題なのか? 大前提が間違っている。「大前提:信仰によれば、ローマ教皇は誤り得ない。」これの言わんとしていることは、「どのような時でもどんなことでもローマ教皇は誤り得ない」だ。しかし、教導権の不可謬性には条件が満たされなければならない。「どのような時でもどんなことでもローマ教皇は誤り得ない」は私たちのカトリック信仰ではない。


 因みに、 Peter Vere について言えば、トリエント公会議の決議文を無制限に拡大解釈している。


 Peter Vere 【今】=【保守派流論理】
大前提:(信仰)「トリエント公会議は、カトリック教会が承認した典礼式は不敬を誘引しえない、という。」
小前提:(現実)「教皇パウロ6世の改正された典礼は教会によって承認された典礼だった」
結論:「従って、パウロ6世の改正された典礼は不敬を誘引しえない。従って、新しいミサは、本質的に悪ではない。」


 Peter Vere 【昔】=【聖座空位主義者流論理】
前提:(信仰)「トリエント公会議は、カトリック教会がミサの挙行のために使用するものとした、礼式、祭服、外面的な印が不敬を誘引するというならば、その者は呪われよ、という。」
小前提:(現実)「新しいミサは、礼式、祭服、外面的な印が不敬を誘引する。」
結論:「従って、新しいミサは呪われている(本質的に悪である)。」


(つづく)


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●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
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●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
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1 コメント

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今時 Pete Vere なんて (侍者2)
2007-03-27 00:35:12
読んでいる人がいるんですね。伝統派のとあるMLでは少なくともこの4年間ほとんど名前が挙がらず、やっと見つけた人物評も、neo-con と papist くらいでしたが。

金田氏はそんな Pete Vere の著書(共著)を取り上げたようですが、この本、サマーヴィル神父様による評価はかなり低いです。

http://www.angelusonline.org/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid=101&mode=thread&order=0&thold=0
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