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皇帝の新しい旗 その4

2009年06月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 皇帝フランツヨーゼフの古い旗に対する措置は、帝国内の多くの県知事たちを不安にさせました。確かに県知事たちの中の一部には、古い帝国旗に好意的な知事もありました。しかしながら、大部分は公然とした敵でした。何故なら、大部分は道徳も規律も好きではなかったからです。敵ではない県知事たちは、仲間はずれを恐れて、自分は古い帝国旗の敵ではないとは敢えて発言しませんでした。県知事たちの合い言葉は「新しい帝国旗については、絶対、指一本も触れさせるな」でした。

 ルーブル大臣の息がかかった300名の皇帝の近衛兵たちは、エコン中将に指揮されていましたので、エコン部隊とも言われていました。正式な名前を持った部隊でしたが誤解を受けていました。(たとえば、彼らの部隊のエコンは、エコン中将の名前から由来した通称でしたが、人々は誤解して、エコロジーとかエコノミーとかに由来すると思い込んでいました。さらに誤解した人々は、エコロジーをバイオロジーとかビオロジーとかとも誤解していたようです。エコン部隊を誤ってバイオ隊とかビオ隊と言う人もありましたが、正式名称ではありません。)

 多くの県知事たちは、古い帝国旗に反対であり、従って「古い帝国旗に基づいた、古い帝国旗的な、新しい帝国旗の理解」に反対でありました。彼らにとって、新しい帝国旗は、40年間支配してきた新しい理解、帝国の過去との断絶であり、断絶としての理解そのものだったのです。新帝国旗は、新しい自由放埒と帝国の主権を無視する新しい世界観、また世界統一連邦を意味していました。新しい帝国旗は、帝国内の革命を押し進める原理であり、シンボルだったのです。その反対に、エコン部隊は、この革命のプロセスをストップさせようとしていたので、革命家たちはエコン部隊を赦さないのでした。

 帝国内のマスメディアは県知事たちの側にいました。知事たちはマスメディアを使って、帝国内外の人民を自分の側につけようとしていました。そのため、帝国の最も帝国らしい精神を持っていたエコン部隊にレッテルをつけることを繰り返していました。

 知事たちはフランツヨーゼフ皇帝に対しては、反乱するぞと脅迫すると同時に、人民に対しては非国民と非合法のレッテル張りで脅そうとしていました。これは共産主義国家での常套手段です。人民は混乱していました。

 外国人、帝国の敵、誰であっても歓迎と寛容と自由と援助が与えられ、他方で、帝国を愛し続けることだけは、非難と断罪と禁止と罰則が与えられたからです。しかし、人民には、その態度のあまり差とその違いさえ理解できませんでした。あるいは、理解したくなかったのかもしれません。それが何であれ、革新を進める知事たちにとっては、そのような人民の態度は、都合のいいことでした。人民たちは、不平をもらしつつも、黙って追従し革命に協力していたからです。

 パインビーチ県知事は、ヴァレー県知事などと同じく、多くいたより革命的な知事の一人でした。彼の信念は「キリストのない平和」でした。七色の虹のような七福神的世界平和を信じていたのです。彼は新しい帝国旗に倣って新しい県旗を作りましたが、虹は平和のシンボルだと主張して新帝国旗の三色旗の三倍の九色の虹の旗を作りました。九条の色が横に並ぶ旗です。パインビーチ県知事は、この旗があれば戦争はなくなるし、敵も攻めてこないし、軍隊も警察官も要らない、と主張しました。新しい県旗を、世界遺産にしようと九条の旗の会なるものを作り、ピースQと言うような団体も設立していました。英語の9(ナイン)は、何でもドイツ語のナイン(英語のノー)と音が通じると言うので、ピースを否定することに通じるゆえに、ラテン語のQuaero(私は求める)の頭文字のQからとって、ピースQと言うのだそうです。パインビーチ県知事は、実は、新しい帝国旗の精神(人間は全て素晴らしい、人間の尊厳ゆえの自由が全ての価値に勝る、武器さえなけ
れば人間は全て善人だ)を忠実に実行していただけですが、一般人民にとってかれはすでに20年先を歩んでいたのです。そのため、パインビーチ県知事のやり方には反発も多く、新しい帝国旗を理解していない人民は「私たちは新帝国旗に賛成だ、しかし、パインビーチ県の新県旗の九条旗至上主義にはついてはいけない」と不平を漏らしていたのです。

 フランツヨーゼフ皇帝の統治の三年目、毎年6月にエコン部隊が行っていた伝統的入隊式が、マスコミで大問題として取り上げられました。

 一般軍人は、志願者が急速になくなっているにもかかわらず、エコン部隊には優秀な青年たちが数多く入隊を志願していたのですが、その年は約25名の数年の厳しい訓練を経た青年たちが入隊を許されたわけです。入隊を志願しても、多くの試験と訓練との後に志願者たちの三割くらいがようやく認められる入隊式です。

 その年は、フランツヨーゼフ皇帝の出身の地方の県知事たちが、この入隊式にマスコミ攻撃を仕掛けました。彼らは、自分たちの地方では、セントラル共産主義人民共和国、社会主義評議会連邦、イスラム帝国、その他の軍隊の入隊式、軍事練習、などなどを自由にやらせていたのですが、エコン部隊の入隊式だけは反対でした。

 帝国では全てが許され、全てが友人でした。ただしエコン部隊だけは禁止され、友ではありませんでした。何故なら、エコン部隊こそ、本当の帝国の栄光を身に負っていたからです。革命家らにとって、邪魔者だったからです。しかし、人民にはマスコミを信じるほかすべがありませんでした。

(続く)

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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