Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖アタナジオと教皇リベリオ

2007年03月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!


 金田さんが疑問点等を呈示してくれている。


 願わくは、聖霊来り給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。聖ヨゼフ、我らのために祈り給え! 聖ピオ十世、我らのために祈り給え! 守護の天使、保護の聖人、我らを導き給え!

 


【引用】
●「おそらく私が聖ピオ十世会で出くわした最も共通の主張と言えば、教皇リベリウス(352-366在位)は異端的で、アーリア主義に共感し、誤って聖アタナシウスを破門した、というものだ。この理由から、教皇リベリウスは教会の歴史上聖人とされていない初めての教皇になった、と聖ピオ十世会は主張している。もちろん、このアナロジーで、聖ピオ十世会はルフェーブルは現代の聖アタナシウスであり、ヨハネ・パウロ2世は現代の教皇リベリウスだと思っている。

彼らは論じる。一度生じたことは再び生じることがあると。しかしながら、主が私にむしろ驚くべき仕方で示したように、そのような主張はカトリックの伝統においてたいした基礎を持たない。

聖ピオ十世会のこの状況に適用された主張が真であると確信して、カトリック教義に関するディンツィンガーの資料集を読んでいて、私はディンツィンガーが教皇リベリウスを「聖リベリウス」としてリストしていることに気づいた。驚いたと言っても控えめな表現になるだろう。十分皮肉なことに、聖ピオ十世会は、のちの全ての版を疑わしいものとしていたので、彼らから買って私が読んでいたディンツィンガーはその特定の版だったのだ。しかし、ディンツィンガーのこの箇所は、聖ピオ十世会の私の地方の聖職者から説教されたことと明らかに一致しなかった。それで、私はこのリストはおそらくタイプ間違いであると読み流し、読書を続けた。

ほんの10ページほど先で、聖アナスタシウスによって書かれた「教皇リベリウスの正統性」と副題のついた教皇書簡に出会った。そこで教皇聖アナスタシウスは明白に語っている。「アフリカの異端的党派(アーリア主義)は、詐欺を弄してその低俗な教えを広めることが出来なかった。なぜなら、私が信じるように、中傷を成す人々のひどい冒涜に屈しない聖であり傷のない信仰、聖人らが憩う場所にいまいる聖なる人々と司教たちによってニケア会議で論議され守られた信仰をわが神が守ったからだ(13版93を見よ)。

ここまではよい。神は明白に、聖なる人々による行動と祈りによって教会をアーリア主義から守った。しかし、これらの聖なる人々とは誰で、教皇リベリウスとの関係はどのようなものか? 私は驚愕した。教皇聖アナスタシウスはこの問いに次の文章でかような形で答えていた。「この信仰のために、当時追放にも喜んで耐えた聖なる司教として尊敬された者、それはリベリウス、ローマ教会の司教である」

私はこの教皇の答えに打たれた。というのも、明らかにここには矛盾があるからだ。私はルフェーブル大司教と彼の支持者をカトリックの伝統からの正統的な教えとして信ずべきか? あるいは教皇文書「Dat mihi plurimum」におけるアナスタシウスの教え――聖人であり、教皇であり、アーリア主義の異端が生じた時代に非常に近い筆者の主張――を信ずべきか? 聖ピオ十世会の私の地方司祭はこの困惑に対する適切な解決を与えられなかった。私ができたのは、カトリックの伝統の正統な声として、教皇聖アナスタシウスの主張を受け入れることだけだった。」

 


【コメント】

■ Vere の言わんとすることは分かる。もし私の理解が正しければ、要するに、教皇リベリオは聖人だ、ということだ。教皇リベリオを聖人と見なさない聖ピオ十世会は間違っている、ということだろう。

 ご存じない方のために、一言説明したい。イエズス・キリストが天主であるということ(天主性)を否定するアリウス派からのプレッシャーを受けて、教皇リベリオ(リベリウス)は、正統カトリック信仰を極めて力強く擁護していた聖アタナジオ(聖アタナシウス)を破門し、曖昧な信仰宣言にサインした(357年)。因みに「アーリア主義」と訳されているのは、アリウス派の異端のことだ。


DzS 138 Studens pacis にはリベリオの書簡が引用されている。
「あなたたち(=東方の司教たちのこと)との一致の心遣いにおいて私(教皇リベリオ)が書いたこの手紙は、次のことをあなたたちに知らせなければならない。すなわち、私はあなたたちとカトリック教会の全ての司教たちと平和を保っているが、しかし既に述べたアタナジオは私との交わりから除外されている、つまりローマ教会との交わりから、そして教会書簡の交換から除外(破門)されている。」


 この聖アタナジオの破門は教皇リベリオの次の書簡によって再度確認されている。
DzS 141 Pro deifico
DzS 142 Quia sxio
DzS 143 Non doceo


 これについては、以前、「ルフェーブル大司教様の1988年の司教聖別と『破門問題』周辺」の記事の(5)教皇リベリウスと聖アタナジオ で触れたことがある。ご参照を乞う。

 Vere が「聖ピオ十世会のこの状況に適用された主張が真であると確信して、カトリック教義に関するディンツィンガーの資料集を読んでいて、私はディンツィンガーが教皇リベリウスを「聖リベリウス」としてリストしていることに気づいた。驚いたと言っても控えめな表現になるだろう。」というので、 私も、手元にある「カトリック教義に関するディンツィンガーの資料集」を見てみた。これは HERDER 社の出版するもので 1976年の版だ。 ENCHIRIDION SYMBOLORUM, editio XXXVI emendata だ。Imprimatur: Barcelona, 15 de junio de 1973, Jose M(ari)a Guix, obispo auxiliar とある。俗に Denzinger-Schoenmetzer と言われている版だ。


 その 43ページからは、Documenta Magisterii Ecclesiastici (教会教導職の文書)となっており、聖ペトロから歴代の教皇様たちの名前の順に文書が掲載されている。
聖ペトロは S. PETRUS APOSTOLUS となっており、次に聖リノ(S. LINUS)、聖クレメンテ一世 (S. CLEMENS I ROMANUS)、などがつづく。S. というのは「聖」という意味だ。


 57ページには教皇リベリオが掲載されているが、S. なしの(教皇様のリストの中では初めて「聖」なしの)ただ単に LIBERIUS とだけであった。


 そこで念のために、マニラの図書室で Denzinger の英語訳を探してみた。The Sources of Catholic Dogma, translated by Roy J. Deferrari from the 13th Edition of Henry Denzinger's Enshiridion Symbolorum, Loreto Publications. ただし、この英語訳には ST. LIBERIUS となっており、原文にはなかった「聖」がついていた。おそらく Vere はこの英語版を見たのだろう。


 リベリオ教皇が、教皇文書「Dat mihi plurimum」が言うように、アリウス派の異端を受け入れたわけではなく、ヴェルチェッリのエウゼビオ、ガリアのヒラリオなどのように、天主なるキリストを冒涜するよりは十字架に縛られて止まるという選択をしたことを天主に感謝する。弱き人間性をまとっている教皇様を天主が強め給い、聖寵に助けられ、教皇様が脅迫や脅しにもかかわらず完全なアリウス派の異端にサインをすることを拒んだことを天主に感謝する。


 しかし、実証できる文献として、この教皇リベリオが、聖アタナジオを公式に破門したということだけは事実である。問題は、教皇様がこの破門の宣言をした時、本当に現実に真理において、聖アタナジオは破門されたのか、ということだ。もし本当に破門であったなら、聖アタナジオの「罪」は何だったのか? 彼が「破門」された「罪」は、ニケア公会議の信仰宣言を力強く擁護したことだった。これは本当の「罪」なのか? 問題は、教皇リベリオが聖人か否か、というよりは、むしろ、教皇様であっても、どのような理由であるにしろ、罪なきひとを「破門に処する」ということがあり得る、ということだ。



============

クリックで応援して下さい。↓
http://blog.with2.net/link.php?269452
兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!


●聖ピオ十世会韓国のホームページ
http://www.sspxkorea.wo.to/


●トレント公会議(第19回公会議)決議文
http://fsspxjapan.fc2web.com/tridentini/tridentini_index.html


●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
http://fsspxjapan.fc2web.com/vat1/index.html


●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/dqpt1.html


●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/ottaviani2.html


●グレゴリオ聖歌に親しむ会
http://sound.jp/gregorio/


 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。