tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ひととおり終わってからでいいですけど・・・

2012-06-19 22:11:45 | プチ放浪 都会編

 
 

CAの業務には航空機の保安要員という面もある。米国同時テロ以降、座席に荷物を置いたままの人や携帯電話を使用する乗客に対する他の乗客からのクレームは後を絶たない。
CAたちは、威圧感を 与えず、目線を合わせて、否定的ではない依頼形・提案形で声をかけていく。
CAに限らず、旅行添乗員もそうだ。わがままな客たちの要求を聞き入れながら、しかも、旅団を安全に導いていく。

今回、パリ国際会議の視察団にアテンドしていただいた添乗員さん。会議出席が目的の旅行なので、会議中の通訳をメインの仕事として添乗員を頼んだから、きっと、バイリンガルの若い女性添乗員が付くんだろうと勝手に思っていた。
ところが、旅行前日に挨拶に来た添乗員の方は、年輩の男性だった。
しかも、「専門用語はわかりません。会議の通訳はできません」と言う。
そんなことを前日に言われても困ってしまう・・・。

だが、バイリンギャルが添乗員に付いたところで、中小企業の社長たちのわがままに耐えられるかどうかが悩ましい問題でもあった。その点で、旅行会社が選んだベテランの男性添乗員は正解だった。
・・・みんな会議なんてそっちのけで遊びほうけている。必要なのは通訳じゃなくて、ツアーメンバーの安全を確保できるベテラン添乗員だった。

ぼくたち視察団の添乗員をしてくれた男性は、良く見かける添乗員とはまったく違うタイプのオーラを放っていた。歳は60代。関空からのフライトのぼくたちとほとんど同時に着いたパリ国際空港で、ビジネススーツを身にまとった彼と出会った。満面の笑みで出迎えてくれた彼は、顔を見るだけで他人をほっとさせるなにかがあった。言葉や視線、そして態度の端々から胸の中に灯る温かな光がなんとなく透けて見えるような男性だった。
この人は半端じゃないぞ、人生の中でかなりの場数を踏んできたに違いない、良いことも悪いことも含めて、と思わずにはいられない男性だった。

聞くと、深夜特急を書いた沢木耕太郎が旅をした1970年代の前半よりも、10年も前に彼は世界中を3年半かけてヒッチハイクの旅をしていた。それ以来、ずっと旅に携わっているという。今でも年間の渡航日数は200日以上。1年の2/3を海外で過ごす。

「新しい日本人の到着を待って次の行先が決まるそんな旅はしたくなかった」
彼がバックパックで3年半、世界放浪の旅に出た時の想いだ。当時、たしかに現地の旅行情報は不足していた。生協がガリ版刷りのわら半紙で出版していた「地球の歩き方」が一番の情報源。
世界の片隅の安宿で、日本の若者たちはどこに行くあてもなくたむろしていた。旅先での非日常の生活がありふれた日常に変化しているのに気が付かないでいた。

さて、国際会議の通訳どうしよう。。
エールフランス機内で、ひととおりお仕事が終わったCAとCAブースでお話をしてみた。
パリは何回目?とか、お勧めのレストランはある?とか。簡単な英語のフレーズ。
・・・通じない。フランス人の話す英語が半分ぐらいしかわからない。こんなんで国際会議はどうなっちゃうんだ?


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