そのバディブリージングレースなる競技は、強烈に印象的なものだった。
まずは、バディ。一緒のダイビングスクールのメンバーなのだが、若き20代前半の女性。どんな意図があったのか知らないが、独身男性は独身女性とのバディを組まされていた。今、考えるとありえないような天国。
さて、レースは25mの競泳プールを使い、往復の50mを2人でバディブリージングしながら泳ぎ、そのタイムを競うというものだった。当然のことながら、プールでの25mは無呼吸で潜水できる。したがって、レースの作戦としては、できるだけ自分はエアを吸わず、女性にレギュを預けて泳ぎきるかということが考えられる。しかし、これが甘かった。レースが始まり、スタートして思いっきりフィンを数回蹴った後は、息がゼイゼイ。無呼吸どころの話ではない。25mプールの中央を過ぎたあたりでレギュレータを返してもらったぼくは、あわてて呼吸をしたため、むせてしまった。むせると息ができない。相手にレギュを渡すも、水中でゴホゴホを繰り返し、ついには水を飲みおぼれる寸前。
ところが、相手の女性がレースをあきらめてくれない。BCをしっかりつかまれたまま、彼女に引きずられて、苦しくなって水面に顔を出そうとするのを水中に引き戻されて、ヘロヘロになりながらも、なんとかゴール。
半分、おぼれかけたぼくを見て、みんなは大笑い。それでも、順位は、かなり良かったように思う。あまく、そして痛々しい、青春時代の思い出だ。
昨年、20数年ぶりにスキュバダイビングへの復帰を目指したとき、ぼくはライセンスカードを紛失していて、ライセンス再発行のため発行元のインストラクターに連絡する必要があった。昔のダイビングスクールに電話してみると、もう師匠はインストラクターを引退されたとのこと。それどころか、そのスポーツクラブの建物自体も、近々取り壊しになるらしい。しかも、師匠の連絡先は教えてもらえなかった。
人生において、さまざまな出会いがあるが、ぼくにとって、師匠との出会いは大きかった。ダイビングは、お互いに命を預ける分、師弟の結びつきはことさら大きいと思う。去年、ダイビングへの復帰を考えたのも、師匠とともに潜った海が忘れられないものだったからだ。だから、師匠にはぜひ会って、当時のお礼を言いたかった。長い年月を経ても、いつまでも忘れられない体験。いつか会って、あのときの感激の大きさを話したい。
サンスポーツ21にいらっしゃった佐々木様。もし、このブログをご覧になりましたら、ぜひ、ご連絡ください。
ぼくは、スキュバダイビングへ復帰しました。そしていまは、下田の若いインストラクターたちの弟子にしてもらって、雲見の海を潜っています。
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