8月13日~15日にかけて故郷の福井県南越前町にお盆帰省をしていたが、それから間もない19日(月)から20日(火)にかけて再び故郷に帰省することとなった。8月30日に中国に戻る前に、93歳で一人暮らしをしている母の年金等の公的書類作成や提出が必要となり、南越前町役場や郵便局などに母とともに行く必要性があったからだ。
2022年に町のコミュニティーバス運行が廃止され、足腰が年相応に不自由になっている母が一日に2回ほどしかない路線バス(福鉄)で役場まで行くのが、この猛暑の夏の中、なおさら難しい。このため、書類を作成し車で一緒に行く必要があった。そして、中国に渡航する前に、故郷の友人たちにも会っておきたかったこともある。
19日のお昼過ぎに京都の自宅を出て、京滋バイパス・名神高速・北陸高速などの高速道路を走り、午後4時頃に北陸高速道路下り線の福井県・杉津サービスエリア(SA)に着く。ここから眺める日本海の光景は美しい。おそらく日本高速道路SAからの景色10選に入るのではないかと思われもする。
私が子供の頃(小学校入学1週間前)、実母は33歳だったが心筋梗塞で突然に亡くなり、49日の法事が終わり、納骨のために父と祖父母や弟とともに、国鉄・武生駅から北陸線で滋賀県の比叡山山麓にある西教寺に向かうための列車に乗った。そして、このSA付近にあった「杉津駅」で列車は停車した。生まれて初めて列車に乗ったのだが、この杉津駅から眺めた美しい景色を、65年を経た今でも、かなりはっきりと白黒写真のように記憶している。大人になりわかったが、ここ杉津駅からの景色は旧北陸線(新潟—米原)では最も美しい景色が見られる駅として有名だったようだ。
午後4時半頃に越前武生市に着き、中学・高校時代からの友人である、松本君や山本君と会った。
越前武生市街から南越前町河野地区にある実家に向かう途中の午後7時15分頃、夕日が沈んだ日本海の夕焼けの残光が美しい。沖合にイカ釣り船の灯りも点在する。
翌朝の午前5時半ころ、明るくなった早朝に、車で2時間ほど近在に出かけてみることにした。故郷の南越前町に隣接する越前武生市白山(しらやま)地区。ここはコウノトリが飛ぶ地区とでもある。50年ほど前からここにコウノトリが飛来するようになり、おそらく30年ほどくらい前から、地区の人たちが「コウノトリが住みやすい」ところづくりに取り組み始めた。例えば、水田に化学肥料農薬を使わない稲づくりなど‥。
近年では、2022年には3羽が自然孵化して巣立ち、23年には2羽、そして今年24年には4羽が自然孵化して巣立ち、この白山地区などで飛んでいる。
この白山地区から少し行くと、越前町の宮崎地区。南越前町の北に隣接する越前町は、越前町・織田町・宮崎村・朝日町が町村合併してできた町。この町の宮崎地区(旧宮崎村)は、日本の農林水産省認定の「美しい日本のむら景観百選」(1991年に百選を発表した農村景観百選)のうちの一つのむら。
選定された理由にはこの村の「切妻屋根群」の建物群がある。その選定理由には、「銀鼠(ぎんす)色の越前瓦の屋根瓦に白壁・木格子の民家が立ち並び、なつかしさがこみ上げてくる里の原風景」と書かれてもいる。またこの村は、日本六大「古窯」の一つである「越前焼」の村でもあり、文化庁の国指定「日本遺産」に認定されている。
少し高台にある宮崎小学校の正門前付近からは、この「切妻屋根群」がよく見える。そして、宮崎小学校は焼き物の里の小学校らしく、校舎外壁はこの地で焼かれた煉瓦(レンガ)づくりだった。
宮崎地区から少し行くと越前町織田地区。ここの町の中心地にある「劔(つるぎ)神社」には、「織田一族発祥の地—戦国第一の武将・織田信長を始めとする織田一族発祥の地」と書かれた看板が‥。
織田地区のバスターミナルには大きな織田信長像がある。8月20日、このあたりの水田の稲は、黄金色に色づき始めていた。そして越前町越前地区にある越前岬付近‥‥。
この岬付近は日本一の水仙郷。ここの梨子ケ平集落は、「日本棚田百選」に選ばれた棚田がある。(※「棚田百選」―1999年に農林水産省が認定した、全国117市町村134地区の棚田。) この棚田は認定当時は棚田で稲が作られていた。認定理由としては「棚田周辺の斜面に広がる水仙畑と日本海の光景が美しい」。また、この辺りは、文化庁の「日本の文化的伝統景観」にも指定されている。
その棚田の多くは現在、稲作はされておらず、水仙畑になっている。(棚田水仙畑オーナを全国から募っている。)
午前8時頃に実家の自宅に戻り、午前9時ころから南越前町の役場や郵便局等に母とともに行き、提出諸書類を最終作成したり確認したりしての作業を終えた。南越前町役場河野支所の駐車場から見る日本海。この日は、そんなに天気が良いわけではないが、水平線の目の前には敦賀半島や若狭湾、京都府の丹後半島、そしてさらに、鳥取県の海岸線の山々や山陰地方で最も高い伯耆大山(ほうきだいせん)らしき山、さらには島根半島付近が遠望できた。
この日本海の光景を見ると、遥かはるかの古代の時代の、北九州の筑紫王国、出雲王国や丹後王国、そして越王国(越前)があって、海のルートでつながっていたこともうなづける。古代の時代の日本は、大陸とも近いこの日本海に臨む地域が倭国(日本)の表日本だったようだ。そして、中世・近世の時代には日本海を航行する「北前船」ルートが日本の海運の中心でもあった。幕末以降の明治時代となり、太平洋側が日本の表へと移り変わっていった。
午前11時頃に実家を出て京都に向かう。琵琶湖湖北地方の水田の稲も黄金色に色づき始めていた。
■昨日8月23日付朝日新聞の書籍広告欄に、『老いの深み』(中公新書)黒井千次著が掲載されていた。「自身に起きる 変化と向き合い、現代の老いの姿や、その中にあるものを 丹念に描き続けて二十年—」「九十代の大台へと踏み入れた作家に 見えてきた風景」「次第に縮む散歩の距離、抜け落ちる暗証番号、なんでもない一歩にヨロケ、中腰に恐怖し‥‥—生きてみなければ、始まらない」などの書籍紹介の文。
私も昨年の9月から12月頃、痛みで歩くことが辛くてたまらないことを強く経験した。もう70歳をすぎている私の老いの本格的始まりを自覚した。そして、この夏に実家で一人暮らしをする母の、93歳という年齢による老いの深みの進行‥。この書籍を買って読み、今、母に起きている「老いの深み」をもっと理解する必要を思う。そして、私にこれからより起きる老いのことも‥。
一昨日の8月22日、私は72歳となった。老いの中での、72歳からの異国でのチャレンジでもある、中国での大学教員生活が再び、そして生活的にはけっこう辛い、孤独でもある一人暮らしのハードな中国生活が、また8月30日から始まる。二か月間ほどの、日本語で話せて人とコミュニケーション、人間関係がとれ、家族がいて友人がいて、出かけたいところに車や電車などで行けて‥、「幸せってこういうことか‥」というものをつくづく感じる、日本での一時帰国夏休みもそろそろ終わる。