彦四郎の中国生活

中国滞在記

2024パリ・オリンピックが今朝、終わった

2024-08-12 20:30:09 | 滞在記

 熱闘、パリ 悲喜こもごもの熱闘。7月26日(金)の開会式の2024パリ・オリンピックが、8月11日(日)夜/日本時間12日早朝に閉幕した。セーヌ川を船で各国選手団を航行、聖火の大気球が空に浮かぶなど、パリの街全体を使っての開会式は、パリという都市の魅力を伝えた。そして、さまざまな競技での熱闘、パリ 悲喜こもごもの熱闘の20日間余りだった。

 男子団体総合体操の日本と中国の決勝。リード―して最終種目の鉄棒を迎えた中国。蘇選手が二度の鉄棒からの落下。その後の日本選手の健闘により、日本は逆転金メダル。この蘇選手の落下は、中国でも大きく報道されていた。蘇選手の気持ちはいかばかりか‥。

 1位日本、2位の中国、3位のアメリカの選手たちが表彰台に上った。場内に「レディ-ス&ジェントルメン‥‥」というアナウンスが入り、君が代が流れる直前の出来事だった。中国人選手5人が、手元の細長い箱を床に置き始めた。君が代がスタートすると、銀メダルを首から下げた中国選手5人は、姿勢をピッとただして日本国旗を見つめた。

 この様子に日本のネットでは、「日本のチームの大逆転で銀メダル、相当悔しいはずなのに清々しく立派だった」「箱を置いて姿勢を正す瞬間を見て、ボロボロ泣いてしまいました」「日本の国旗掲揚をしっかりとした姿勢で見ている中国選手のシーンにグッときてしまった」などの投稿が広がった。

 日本の卓球混合ダブルス、早田選手と張本智和選手のペアが、1回戦で北朝鮮に敗れるという波乱の幕開け。そして、健闘したものの準々決勝で敗れた男子団体卓球。中国でもとても注目度の高い張本智和選手の泣き崩れるシーンは、今日にいたっても中国で報じ続けられている。それほど、張本選手への注目度は高いものがある。

 私が最も注目と期待をしていた男子バレーボール日本代表。準々決勝で大激闘の末に敗退。選手たちのあと一点の悔しさが伝わる。同じように日本代表サッカーチームは、男子も女子も準々決勝の壁を破れなかった。ほんとうに悲喜こもごもが交差するオリンピック。「オリンピックには魔物がいる」とはよく聞く言葉だが、卓球やバレーボール、体操などの競技を見ていて、そうも思えてくることも‥。

 そして、もう一つの注目と、ひょっともしたらと期待をしていた女子卓球団体戦の決勝。決勝戦は日本時間の午後10時から始まるので、テレビ録画をして午後9時頃に眠りについた。翌朝の午前3時過ぎに目覚める前に、「日本があの中国に勝ったらしいという夢を見ていた」ようだった。

 おそるおそるパソコンを開き、ネットでこの決勝戦の結果を見たら、0:3で日本が負けていた。そして、テレビ録画でこの決勝戦のようすを、少し早送りしながら見てみると‥。第一試合の早田・張本美和と中国の陳夢・王曼昱とのダブルスは、ほとんど日本の勝利目前。最終5ゲーム目でジュースとなり、最終的に早田・張本が敗れた。追い詰められてからの中国の強さに、驚嘆をした。

 会場スタンドはたくさんの中国人応援者で占められていた。その声の大きさ、応援の激しさにはこれも驚かされる。第二試合の日本の平野は、中国のエース・孫穎莎に1ゲーム目の出足から猛攻をしかけ7—1まで突き放した。しかし、そこから徐々に追い上げられて逆転され、結局はストレートで敗れた。

 第3試合で再び登場した張本は、王曼昱に対して、とても16歳のオリンピック初出場とは思えない大打撃戦を展開。第1ゲームを14—12で取ったが、そこから3ゲーム連敗され、日本女子のパリ五輪は終わった。

 世界卓球女王の中国は追い込まれてからが恐ろしく強かった。前半に大量にリードされても追いつくし、競り合ってもなかなか負けない。中国はシンプルに強かった。とてつもなく強かった。日本は全力を尽くし、そして敗れた。

 決勝戦翌日の朝日新聞には、「あと少しなのに 接戦で銀 4年後へ"約束"」という見出し記事が掲載されていた。

 昨夜(日本時間午後8時頃から)、新体操の女子決勝戦が行われていた。予選を経て上位8チームによる決勝戦だった。(※日本チームはベスト8に入れなかった。)  まあ、ハラハラドキドキ、だれか一人が失敗したら‥、リボンやボールや輪をだれか失敗して落とさないか‥。この競技を見ていて、最も、美しい競技だが、その、私が失敗したら‥‥としいうプレッシャーは、どの競技よりも大きいかと思われる。

 中国が金メダル、銀メダルはイスラエルという結果となった。得点を待つ、この中国チームの監督・コーチの美貌と美しさにも驚いた。ロシア人の元新体操選手の女性だった。この新体操の金メダルは、中国とロシアの協力の元に実現したようにも思えた。決勝戦にはウクライナも出場した。演技はかなり良かったしミスもなかったがメダルには届かなかった。「ウクライナは強く 壊せないと世界に見せたい」。これがウクライナ新体操選手たちの思いだったと報じられていた。

 レスリング女子62キロ級決勝で10日、日本の元木咲良選手に敗れたウクライナのイリーナ・コリアンコ選手は、ロシアのウクライナ侵攻初期に激戦地となった首都キーウ(キエフ)近郊イルピン市で育った。ロシア侵攻が始まった2022年2月24日は自宅にいた。首都キエフ侵攻を狙うロシア軍はまもなくイルピンを支配下におき、約3週間の占領下で市民ら少なくても260人が殺害された。試合後「愛するイルピンと人々にこのメダルを捧げる」と語った。(※イルピンの人々は、パブリックビューイング(PV)で、たくさんの人がこの試合を見守ったと報じられていた。

(※中国選手の新体操種目リボンで、飛天のような姿衣装を着た女性の画像をネットで見たが、とても美しい。実際の演技動画を見てみたい。)

 8月4日、陸上女子走り高跳び決勝が行われ、ウクライナのヤロスラワ・マフチフ選手が金メダルとなった。競技直前にバックを枕にして、下にマットレスを敷いてリラックスのために寝ている彼女の姿に、世界は驚愕した。「まさに眠れる森の美女!」と。日本でも中国でも「本当に綺麗」「見惚れてしまう」のネット投稿が相次いでいた。まあ、透明感のあるスラブ民族系の美しい人だ。

 ウクライナは今回のパリ・オリンピックで、金3個など12のメダルを獲得した。

 ウクライナのヤロスラワ・マフチフ選手が、このパリ・オリンピックメダリストでの、欧米系の美女ならば、東洋系の美女は日本のバトミントン女子ダブルス(志田千陽・松山奈未)で銅メダルを獲得した「シダマツコンビ」の志田千陽さんだろうか。彼女も透明感のある美しい人だ。彼女は今、中国のネットでも、「真珠のような美貌」などと、その美しさに注目が集まっている。

 そして、もう一人、けっして美人というわけではないが、可愛らしい笑顔のチャーミングな女性としての魅力を持っているなあと思ったのが、陸上女子やり投げで金メダリストとなった北口榛花(はるか)さんだ。

 日本時間の今日12日の早朝にスタジアムで閉会式が行われた。縦に空中に吊り上げられたピアノを弾く演出、2028年のアメリカ・ロサンゼルスオリンピック開催紹介の場面で、アメリカの俳優・トム・クルーズがスタジアムの上から空中に登場、オートバイでパリ・エッフェル塔の前を五輪旗をかざして走り抜けるさまは、なかなかのかっこいい演出だった。

 パリオリンピックが今朝、終わった。競技での金メダル数では、1位タイ、アメリカ40個、中国40個、3位は日本だった。4位オーストラリア18個、5位フランスの16個。メダル総数では、1位アメリカ126個、2位中国91個、3位フランス64個。日本は6位で45個だった。各国の選手たち、ごくろうさまでした。ありがとう‥。

 

 

 

 

 

 


鴨川納涼2024—外国人観光客もなだれ込み賑わう、夏の京都の風物詩に‥‥

2024-08-12 07:42:22 | 滞在記

 朝、夕の気温に、季節が変わり始めているかなぁと感じ始めたこのごろ。二十四節気では、7月22日から始まった「大暑(たいしょ)—夏の暑さが最も極まるころ」、8月7日からの「立秋(りっしゅう)—秋の気配が感じられ始めるころ」、そしてお盆を過ぎて8月22日からの「処暑(しょしょ)—暑さがおさまるころ」に向かう。

 8月上旬、私の京都の自宅ちかくの水田や畑を、かなり長い距離を歩けることに喜び感謝しながら、早朝に散歩。ヒマワリが咲き、稲が青々と伸び、梨畑の梨が色づき始めている。

 7月31日に妻の故郷・京都市の丹波山系にある京北町に行った。妻の姉夫婦が暮らす家に行き[京北町弓削(ゆげ)地区]、近くにある京蕉庵という蕎麦屋でひまわり畑を見る。ここで京北町名物の納豆餅を食べる。

 そして、妻の実家(京北町山国地区)で、妻の母(100歳)ともしばらく話す。7月がこの日で終わった。

 8月3日(土)、午後5時頃に京都市内の丸善書店に行き、「日本語教育」コーナー(膨大な関連書籍がある)で買う必要のありそうな書籍を1時間余り探す。丸善書店近くのタナカ珈琲でしばらく時を過ごし、午後7時半頃に鴨川に架かる三条大橋に向かうと、ちょうどこの日は「2024鴨川納涼」が開催されていた。

 日本47都道府県の各県人会(京都での県人会)の露店テントが、三条大橋から四条大橋の間にずらりと立ち並び、さまざまな物産が売られ、ちょっと一杯の席もたくさんある。徳島県人会は、阿波踊りの実演レクチャーもやっていた。中央ステージでは、歌や演舞などの披露が次々と行われていた。

 インバウンドで京都を訪れる外国人観光客は、この夏はひときわ多い。その多くの外国人観光客たちも、この「鴨川納涼」になだれ込み賑わいに加わる。あるテントなどは、10人余りの外国人観光客が座り、乾杯をしてもいた。外国人観光客にとっても、思わず出会えた日本の祭り的な「鴨川納涼」かと思う。

 京阪電鉄「三条駅」から電車に乗って自宅に戻るつもりだったが、鴨川納涼の賑わいを見て廻り四条大橋まで来てしまった京都の夏の風物詩。翌日の4日(日)は、午後4時頃から線状降水帯が京都地方を通過、猛烈なゲリラ豪雨が数時間発生し、鴨川も少し増水し始めたため、鴨川納涼は残念ながら中止となってしまったようだ。

 世界有数の国際観光都市京都。世界国際観光都市ランキングとしても2015年頃から、毎年1位〜5位にランクインしている。その最大の、この都市の魅力は清流・鴨川があることかと私は常々思う。そして、この鴨川の清流が保たれているのは、京都市民によって1964年に結成された「鴨川を美しくする会」の存在がとても大きい。そして、この年に、鴨川美化啓発活動の一つとして第一回鴨川納涼(1969年)が開催された。(そして、その後ら「京都府鴨川条例」が制定もされる。)

 それから50年余りが経過している鴨川納涼は、毎年8月上旬の土・日に開催され続けてきている。2014年頃からは、鴨川美化の啓発活動だけでなく、47都道府県のテント・屋台が立ち並ぶようになり(※さまざまな団体が参加する実行委員会により企画・運営されるようになる。)、鴨川納涼には「京都の夏の風物詩」の一つとして多くの市民に親しまれる行事となっている。

 そのような清流の鴨川、西には桂川があり、そして地下水がとても豊かであるため、日本酒の清酒造りなどなど、京都のさまざまな名物品などを長い歴史の中で育まれてきた京都。今、その京都の町の地下に巨大トンネルを掘って新幹線を新たに作ろうとする計画が進められている。「京都の真下にトンネル掘って北陸新幹線って 本気?」という市民の声も大きい。地下水系や鴨川水系にも大きな悪影響が出るだろう…。

 福井県の敦賀まで北陸新幹線は今年の3月に開通している。政府案としては「敦賀市―福井県小浜市―丹波山地(ほとんどがトンネル化、途中駅はなし)—京都市—大阪市」として進めようとしているが、そもそも今の時代にこのようなルートの新幹線が必要なのだろうか‥。(敦賀―小浜―京都府舞鶴—京都府福知山への延伸ルートならまだわかる‥)  私も福井県の出身なので、小浜ルートへの小浜市民の気持ちもわかるが、どうしても敦賀から延伸するとすれば、今の時代、敦賀―米原(滋賀県)ルートにするべきだと思う。今の、政府案は百害あって一利なし、儲かるのは大手ゼネコンだけだと思う‥。

 この日本帰国中の夏、知人や友人たちと久しぶりに会うこともできた。7月26日(金)の昼、京都府南部の退職教職員の仲間たちの「2分の1 望年会—乾杯とおしゃべり会」に参加、25人ほどの60歳代・70歳代が集まった。

 翌日の7月27日(土)の夜、立命館大学大学院言語情報教育研究科の後輩にあたる二人の大学院生と、祇園の居酒屋「かっぱ」で乾杯をした。一人は、現在、京都府立鴨沂高校に教員として勤めながら(昨年60歳で退職、再雇用で同校で勤務)、現在は立命館大学大学院2回生の岩崎さん。もう一人は、私にとっては初対面の中濵さん(69歳)。中濵さんも大阪市内の日本語学校の教員をしながらの大学院生だ。

 二次会に先斗町のスナック居酒屋「みちのく」に流れた。

 8月7日(水)の夜、かっての京都府の学校教員時代の教え子の一人、沖野君が福岡市から3日間余りの休暇を利用して京都にやってきて、京都祇園の「侘助(わびすけ)」で乾杯した。彼は現在、福岡市営バスの運転手として福岡市南部の大野城や大宰府辺りの路線で勤務しているとのこと。

 侘助の店先に出て、時々、床机(しょうぎ)に腰かけてタバコを吸ってると、前を通りかかる人たちのほとんどは外国人観光客。

 8月上旬が過ぎ、13日・14日・15日には、福井県南越前町の家に行きお盆を迎えることとなる。息子たちや娘たちの、そして孫たちがこの南越前町の私の家に来る。

 8月30日に中国に戻るまであと2週間余りとなった。9月からの大学での担当授業等は5つある。4回生の「日本文学名編選読」、3回生の「日本概論」、4回生の「卒業論文指導」、2回生の「日本語情景劇指導」、そして初めて担当することになった2回生の「新聞日本語教程」(※主に読解の日本語教育)。この「新聞日本語教程」(90分全15回)の教材・教案・PPTづくりなどの授業準備が思ったより大変で、それに追われる日々が始まってもいる。

 中国に戻るまでに、会っておきたい友人や先輩たちなども7~8人はいるが、はたして何人と会えるかな‥。そして、パリオリンピックが今朝、閉幕した。