彦四郎の中国生活

中国滞在記

今年初めて入道雲を見た—歯痛が起きてきている、困ったな。日本に帰国できるまであと1カ月間なのだが―

2019-06-06 20:49:29 | 滞在記

 5月31日(金)、この日は10時30分開始からの授業の曜日。アパート近くのバス停に8時半ころに着きバスを待つ。これから通勤という感じの30代前半くらいの女性が 立ちながら 饅頭(マントウ)を 美味しそうにほおばっている。中国の人は、おおむね 時間と場所にかまわずに食べたいときに食べるという食習慣をもっているかと思う。人目はあまり気にしない。「食べる」ということにとても貪欲というか おおらかというか 寛容と言うか、そんな食文化・習慣を感じる。「食べられる時には食べておこう」というか、そんな「食べる」習慣なのだが、「なぜそうなのか?」にとても興味があるし、知りたい。このあたりの日中比較をすると、「食と日中人々のそれぞれが生きてきた歴史の相違」というテーマのレポートもできる。

 「なんでも いろいろなもの食べる」というのも長い歴史をもつ中国食文化の特徴だが、それを可能にしているのが「油で炒める・揚げる」「唐辛子や香辛料、醤油などで材料の味がわからなくなるほど味付けする」という料理方法。もちろん、あっさりした味付けのものもあるが。例えば日本の料理の代表的なものの一つ京料理などの基本は「素材の味」を残すことだ。一方の中国の料理の基本は「素材の味」を消すことという感じだが、日中料理・食文化の調査・研究をするのはとても興味のあることだ。ちなみに、ここ福州の料理は海鮮料理も多く、中国の料理の中では わりとあっさりした料理が多いとされるが、大学の食堂のものは、「ちょっとねばねばした油、油、油」の沁み込んだものがほとんどなので、年寄りの私には 食欲が今一つ湧きにくい。

 この日、福州で今年初めて入道雲(積乱雲)が発生した。中国語では「雷雲」という。午後になり気温も上がり36度くらいとなる。大学正門近くの噴水が恋しい日になった。案の定、午後の授業をしていると雷が鳴りはじめ、じゃじや降りの雨が1時間あまり。激しい雨が降っていても湿気と気温はなかなか下がらない。温暖化の影響もあるのか、5月下旬にして中国国内の内陸部の河南省や湖北省や山東省では38度〜42度という気温が1週間以上続いていた。

 大学構内の樹木もすっかり濃い緑となってきている。針葉樹林の森に入ると、亜熱帯特有の大きな葉っぱの植物が大きく成長している。このあたりの景観はちょっと不思議だが、亜寒帯の針葉樹林と亜熱帯の植物やバナナの樹木などが同じ場所に繁っている光景。

 「丹花」という名前の低木の花が赤く開花してきている。亜熱帯特有のちょっと日本では見られない植物も開花(蘭のような)し始めた。甘い蜜を吸いに蜂が入っていた。

 ジャスミンの花が高貴な香りを漂わせている広場のところで、女子学生がスピーチの練習をしていた。その前で、友だちがそのスピーチを聞いてアドバイスしている。雨が上がるとまた高い気温と太陽が照り、大学内は女子学生の日傘の花が咲く。寮の部屋のベランダには洗濯物の花が咲いている。

 午後4時頃に授業を終えて、南門近くのバス停に向かうと、高速道路の高架の下で疲れをとるためか 歩道上で眠っている人が2人。バスに乗り、乗り換えて、アパート近くの師範大バス停に着くと、時刻は午後6時半ころになっていた。この日、本当に久しぶりに燃えるような きれいな夕焼けが見えた。

 30度以上の熱帯夜、アパートのクーラーを一晩中かけて眠る。翌朝起きて窓を見ると、外気のすごい湿気のためか、窓が水滴で曇り、外が見えない状態になっていた。中国語では「高温で湿気が凄くてとても蒸し暑い」ことを「闷热(モンロオ)」という。悶絶するような暑さと湿気という意味だ。かっては、中国の四大火釜(炉)と言われた都市は、重慶・武漢・南昌・長沙で いずれも内陸地方の都市だった。2015年からは、この四大火釜は、福州・重慶・杭州・南昌になった。

 5月29日(水)、午前中の授業が終わり、アパートに帰り、シャワーを浴びて、2時間ほどの昼寝をして目覚めたら、急にズキズキと歯が痛くなり始めてきた。突然に起こり始めた歯痛だった。どうやら少し心配だった下歯の周辺の歯肉が炎症を起こし始めてきているだった。「どうしよう、これは困ったな!!」 ちょっと心がへこんで落ち込む。この日の夜、食欲はあるが、歯痛のために食べる気にならない。「日本から持ってきている痛み止めの薬があるはずだ」と探し始めると、「バファリン」がけっこうあったので、少し多めに服用し、サロンパスを顎(あご)に貼って炎症の痛みをしのいだ。

 こんな時、日本だったらすぐに歯科医院に行くところだが、ここは中国、中国語が不自由なので、一人で病院に行くことがままならない。大連や北京や上海、広州や深圳など日本人が多く住むところには、日本人が開業している歯科医院などがけっこうあって、こんな悩みもないのだが、ここは地方の大都市・福州なので そんな医院は一つもない。

 一晩を過ぎて、翌朝、痛みが少し和らぎ始めていた。この日はちょうど授業がない日だったので、アパートでひたすら痛みがひくのを待つ。バファリンを服用し、痛み止めの作用もある正露丸を服用しと、4時間おきぐらいに交互に服用する。夕方には、痛みもかなり治まりはじめ、ようやく軽い食事を摂ることができた。そして、次の日の5月31日(金)の朝、早朝から大学に授業にでかけた。それから1週間ほど、違和感はあるものの、炎症による痛みはほとんど起きなかったので一安心していた。しかし、昨日6月5日(水)の午前中の授業終了後の昼に、再び 痛みが出始めた。さっそくカバンに入れていたバファリンを服用し、夕方には痛みが和らぎ、食事を少しだけ摂った。

 今日6日、授業がない日なので、アパートにて過ごしていると、福建師範大学の中国人教員の倪(ニイ)先生から「寺坂先生、ちょっと日中台関係史について教えてほしいことがあるので、今から先生のアパートに行ってもいいですか」と、久しぶりに連絡があった。彼女は、わりと私のアパートに近い地区に住んでいるので、歯痛のことを話し、「もし、再度 歯痛が激しくなったら、近所の歯科医院(中国語では"牙科"という)に 通訳として来てもらえませんか」と依頼した。

 7月上旬には大学は夏休みに入るので日本に帰国する予定だが、あと1カ月間ある。痛みがまた起きたら、バファリンと正露丸で鎮痛させながら あと1カ月間を過ごすことになる。どうしようもなくなったら「牙科」にいくことになるだろう。日本に帰国したらすぐに行きつけの歯科医院に早く行きたい。

 2000年に、モンゴルゴビ砂漠の恐竜調査隊の一員としてゴビ砂漠の奥地に行っていた時、虫歯が痛みはじめ、10日後にようやく日本に帰国した際、関西国際空港の歯科医院に駆け込んだことがある。こんなことがあったので、2002年に再びゴビ砂漠の調査に行く時は、不安がある歯を3本抜いてモンゴルに行ったことがあった。あの時に比べれば、虫歯の痛みではなく 歯肉の炎症なので まだ ましだが、まあ困っている。

 3月中旬より、立命館大学大学院(2019年9月入学)の受験を希望している閩江大学4回生の王文重 君の受験指導・支援を行ってきた。2週に1度くらいの割合で私のアパートに来て、受験準備を行ってきた。そして、志望理由書や研究計画書の作成、志願票などの作成が全て6月3日(月)に完了、翌日にEMS国際郵便で立命館大学宛てに郵送した。ようやくひと段落である。7月上旬には、インターネットを介しての日本と中国間での「面接試験」が予定されている。

 教え子の福建師範大学4回生の学生も一人、立命館大学大学院の受験を考え続けていたので、昨年末から相談に乗っていた。彼は3回生の後期期間に日本の山形大学に交換留学をしていた。立命館大学大学院を受験すべきか、福建師範大学と「入試協定関係にある(他に、四川外国語大学・福州大学・重慶大学とも)」法政大学大学院を受験すべきか かなり迷っていた。とりあえず3月に法政大学を受験し合格したが、4月上旬まで、法政入学を止めて、立命館大学受験をしようと考えてもいたが、最終的に法政への進学をすることとなった。

 

 

 

 

 


蓮と睡蓮の季節―中国の花言葉"花十友"では蓮は「浄友」

2019-06-06 11:43:04 | 滞在記

  日本ではすでに沖縄や南九州が梅雨入りしているが、本州の多くも もうすぐ梅雨入りだろうか。梅雨前線が少しずつ北上していき、中国では上海あたりから日本の紀伊半島近くまで前線が伸びている。日本では紫陽花(アジサイ)が色づきはじめる季節が到来かな。福建省の福州でもアジサイが咲く場所もあるが、日本のアジサイの風情には遠くおよばない。日本のインターネット記事を見ていたら、自宅からほど近い三川合流地区(桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる)の河川敷の竹やぶや草むらで、「ヒメボタル」が乱舞しているという記事があった。なんでも、そのあたりは西日本最大級のヒメボタルの生息地とのこと。

 亜熱帯福州の街路樹として、5月中旬頃から開花し始めた淡い藍色の「藍花」。この花は日本にはなく、亜熱帯の地方にとても相応しい風情のある樹木花だと思う。5月下旬には満開となり、路上に散り始めた。この樹木の花が散ってしまうと、福州にも本格的な夏が訪れ始めるが、今はまだ高温多湿の雨がよく降る。アジサイも藍花も淡い藍色だからこそ、暑い季節の始まりに人々は安らぎを感じるのだろうか。

 睡蓮と蓮の季節を迎えた福州。蓮や睡蓮は中国では日本以上に多いように思われる。そして漢詩にも詠まれる。

 青荷盖緑水 芙蓉披紅鮮 下有並根藕 上有頭並蓮       (五言絶句) <青渡>   ※「藕」はレンコンのこと。

  荷葉五寸荷花嬌 貼波不碍画船揺 相到薫風四五月 也能遮却美人腰  (七言絶句) <荷花> ※「荷花」は蓮花のこと。

 6月に入り、大学構内の水郷にある蓮や睡蓮の花の蕾が次々と開花し始めてきた。また、5月下旬に初めて蓮や睡蓮の浮かぶ水辺のあたりをトンボが回遊しているのを見た。トンボの種類は3種類で、赤とんぼのようなものやシオカラトンボのようなものなど。やはり、日本の京都などに比べると季節の推移が1か月半ほど早い。

 蓮の花が美しい。研究室のある建物から授業を行う教学楼に行く途中にこの蓮池があるが、思わずしばらく立ち止まってしまう。中国人はさまざまな花の「花言葉」を古来からよく作ってきた。生け花はほとんどしないが、「花を愛でる」文化は古代より久しい。宋の時代の曾端と明代の都卯は、花を友人に喩えたことで知られる。「花十友」は次の通り。

 蘭➡芳友、梅➡清友、茉莉(ジャスミン)➡雅友、蠟梅(ろうばい)➡奇友、梔子(くちなし)➡禅友、菊➡佳友、桂花(きんもくせい)➡仙友、海棠(かいどう)➡名友、芍薬(しゃくやく)➡艶友、そして蓮➡浄友となっている。

 蓮が多い水辺の近くには芸術系学部の建物がある。建物ホールには6月に卒業する学生たちの作品が展示されていた。最近、大学の水郷の水が浄化された。これは半年間あまりをかけて広い大学の水郷クリークの水をほとんど抜いて、水草を植えて、浄化装置を全域に設置、そして再び水を入れて「水生生態平衡再造」というものを実施したからだ。

 中国のインターネツトを見ていたら、「日本80後画一幅落水美女、遠看太庸俗、近看却震撼人心!」(日本の1980年代生まれの画家―水も滴る美女、遠くから見ると普通の写真だが、近くから見ると心が震撼し震える)という記事があった。写真も載せられていたが、写真と思ったものは、近くからよく見ると実は油絵だった。油絵での写実の極みというか、ここまで描けるものなのかという震撼だ。

 この日本人画家は、三重野慶という名前のようだ。個展があればぜひ見てみたいと思った。