長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ヤフーよりおもしろいじぇ

2014-09-15 07:32:43 | Weblog

時々、「八郷」(やさと)に蕎麦を手繰りにいく。

そこから見える里山の風景が絶景で、うちの珈琲の石臼と

同じ作家の「大豆の石臼」を使って毎朝豆腐をつくっていて、手打ち

の蕎麦と豆腐が二枚看板。店の前では「渡り舟」という酒米をつくっていて、

そのお店でもその米を使って作る「渡り舟」が飲める。まさに「蕎麦前」が大好き

な左党には、渡りに舟である。

ヤフーで「八豊祭」(やほうまつり)と検索すると、おもしろいものがでてくる。

今の都会の便利な生活がずっと続くといいと思っている人にとっては、そうでは

ないかもしれないけど、「!」とくる人には、とっても興味的なことがのっている。

今年で三年目になる。この祭りには東京からいく人も多い。今はIT企業とか

おもしろくなさそうな大手に勤めている人たちも、将来は天地の恵みや自然の

中で暮らしたいと思っている人も多く、懐かしい未来が里山に咲いていくイメージ

が膨らんでいく。

そこのスタッフの人から「秋に蕎麦が採れたら、蕎麦打ちにきてほしい」という依頼

を昨日うけたので、「よかよか」と快諾した。常陸秋そばの里で秋蕎麦を打つことに

なった。

これから「卵かけごはん」

田舎で平飼いの卵を使っている。野菜も毎週いろんな田舎にいって調達。

醤油は「かえし」 味噌は手前味噌。お米はかわいい妹が作る「元気つくし」

これを食べて元気にならない人は、そろそろ迎えにきてもらうしかない。

大地の呼吸と息をあわせながら、生きている間はいきたいものだ。

 


これからの時代を生きるコツがつまった金継ぎ教室が始まる

2014-09-14 08:21:23 | Weblog

これまで不定期にやってきたけど、これからも

不定期に「金継ぎが必要な器がたまったり」「金継ぎしたい人がきたり」したら、

開催しようと思う。今月28日(日)の19時からやります。2500円(材料費・そば・珈琲付き)

割れた器を金継ぎすると、元の器よりも「けしき」ができてよくなる場合もある。

ただし、ヒャッキンみたいなところで買った器は、ダメ。

器とは、一回一回の「使用料」と思っている。100円のものは、一回10円で10回でオワリ。

一万円の器は、一回の使用量は100円。100回使う。100回分の「おかず」が喜ぶ、

それを食べた「お客」が喜ぶ。器もよろこび、育つ(器が美人になる、という)。

100回使って、元の器よりも価値のある器が残る。思い出も残る。主人の眼も育つ。

もしも欠けたりしたら、金継ぎをすればいい。もっと大事にしたいならお仕覆を作ったりしたら

もっといい。自分が使わなくなったら、後継ぎの人に、金継ぎして美人になった器を譲れば

もっといい。そんな素敵なことを「ゆずりは」とかいって大事にしてきた民族が、わたくしたち日本人

ではなかろうか?

今日は日曜日なので16時まで営業。

明日の午前中は「卵かけごはん」(8-10)


松茸を喰う

2014-09-13 08:10:06 | Weblog

昨日、築地の八百屋のうめさんが、「秋を楽しんでください」

といって、竹で編んだ箱に、立派な松茸を5本くらい入れて、もってきてくれた。

お祭り好きな江戸っ子気質な人で、ときどき季節のものをもってきてくれる。

「貧乏長屋の町民が殿様になったような気分やわ」といったら、レーバンのサングラスの

下の瞳がキラッと光った。

昨日は「タイムドメインの日」だった。気のおけない仲間たちが、お気にいりのCDや友達や酒やつまみ

を持ち寄って、楽しむ会。明日地球が終わるような時がきたら、こんな会でお茶でも飲んで、その後に酒を

飲んで、この星の最後の日を楽しみたいと思うくらい、利害得失のないすばらしい宴。

ここで「松茸ごはん」と熊本産の「栗ごはん」がテーブルに鎮座した。

昔料理屋なんかにいくと、男トイレに朝顔なる陶器の便器があり、壁にかような張り紙をよく見かけた。

急ぐとも 心静かに 手を添えて 外にこぼすな 松茸の露

今日は地元の神社の大祭。

全国でいろいろな秋の大祭がある。敬老の日の熊本の「ぼした祭り」(今は、藤崎宮秋の大祭というらしい)は

縁があれば一度見られるといい。日本人の「事始め」みたいなものを感じる祭り。

 


日本三鳴鳥

2014-09-12 08:26:05 | Weblog

コマドリ、ホトトギズ、オオルリの3つのことをいう。

小さいころ、家の隣が「小鳥屋」で、そこの主人が毎日、

とりもち(鳥を捕獲する時に使うもち)をつくったり、鳥かごをつくったり

するのを見るのが好きだった。少し大きくなった時、近所の山に「めじろとり」

に連れていってもらったことがある。そのころその主人が、メジロ、やまがら、四十雀、

ジョウビタキ、ウソ、こがら・・・などいろいろな小鳥の鳴き声と名前を教えてくれた。

半世紀以上も前のことだけど、今でも山歩きなどをして鳥の声をきくと、そのころ覚えた

ものがさっとでてくる。

家の庭には、植物のほととぎすがいっぱい咲いている。薄紫の花に斑点の模様があり、

それが鳥のうぐいすと似ているところか命名された。

「花は野にあるごとく」と利休先生はのたまった。華人といわれる人たちも花屋から調達するのが

当たり前になった便利な時代だけど、「どんな風に咲いているか」というのを見るのは大事なことだ。

ほととぎすは、一輪差しに一本投げこむのが一番だけど、鳥が飛び立つような姿のものを、そのまま

さっと投げこむのが、いい。

今日は「タイムドメイン」

池袋時代から、気のおけない仲間たちが、好きなCD、お酒、酒肴を持ちこんで、わいわいサロン

みたいな宴。

時鳥(ほととぎす)厠(かわや)半ばに 出かねたり (夏目漱石が立命館の創業者西園寺公望におくった俳句)

 


さんまの美味い喰い方

2014-09-10 08:52:19 | Weblog

秋はさんまの季節。

やはりなんといっても、炭火でまるごと焼いてかぶりつくのが一番。一物一体。

池袋時代からさんまの季節がくると、てつやくんが、炭火をおこし、うちわでばたばた

プロっぽい手つきでさんまを焼いてくれた。大きなさんまをまるごとのせられる「さんま皿」も

久保さんに焼いてもらった。

昨日近くのさかな屋でさんまを買い、大名おろしに開いて、表の青い籠で「開き」をつくった。

さかなを開くには、一気呵成に「えい」とやるのがコツ。

夕方陶芸家のあいちゃんが、「これおすそわけ」といって、さんまをくれた。

愛用のアジの開き包丁で、すぐに3枚に下ろした。午前中のさんまとは、「まんまとさんま」

くらいの違いがある。ほんまに新鮮で美味いさんま。

新鮮なさんまが手に入った時は、内臓もいっしょに、かえしと酒を加えて、丸のまま切った

さんまとフライパンで焼く。これをつまみに酒を飲むと、「死んでもいい」くらいグビブビとのどが鳴る。

来週の18日(木)は、「気骨の鮨会」(満席御免)。秋は魚も美味くなるので、鮨の季節。

今日は「かっぽれ」  バカの壁ではないけど、バカになれるかなれないかで、人生は

大きくかわる。政治も経済も混沌としてきて、これから晩秋にかけて、何かどえらいことが

おこりそうな気がする。大切なのは「今」を一生懸命に生きて生きて生き抜くことだ。

踊るアホウに踊らされてるアホウ・・・いろんなアホウがいるけど、やはり踊らにゃそんそん。

 


究極のたこ焼きの記憶

2014-09-09 08:41:12 | Weblog

昨日たこを薄切りにしてフライパンでオリーブ油で焼き、

ガレットにして食べてみた。昔、近くの公園で白髪のおばあちゃん

が屋台で売っていた「たこ焼き」の味がした。

ひとそれぞれにいろんな歴の抽斗(ひきだし)がある。ときどき勝手にそれがあいて、

「ああ、あのおばあちゃんは元気かな」とか「あのひとは今なにをしているのだろうか」

とか不意に思うことがある。音楽とか昔風の食べ物や建物にふれたときに、とくにそんな

ことが多くなるような気がする。秋は、さんまや茸や果物や酒や新米や・・・いろいろな

ものが多い。歴史の抽斗にいい「おもいで」をまたしまっておきたいものだ。

昨日は「日本の女子の歴史、とくに恋愛やセックスをターゲットにして勉強する会」、通称「長屋で女史会」

だった。枕草子や源氏物語も、秋に読むのがより楽しいような気がする。

今日は「お仕覆」

滋味な「ものつくり」だけど、先人が残してくれた文化は、絶やしてはいけない。

明日は「女子のかっぽれ」期待の大型新人が先日下見(方向音痴らしい)にこられた。

役者がそろってきた。秋は毎日がウキウキ気分。日々是好日。自足是富貴。

今の自分に満足する、今日一日を感謝しながら過ごすことが、お金では買えない富貴を

味わえるコツ。これからの時代は、コレかもなんばん。

20日(土) 「19世紀ギターの夕べ」(ナポレオン・コスト 小品の魅力)

演奏:富川勝智(ギター)

19時開場 19時半開演¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


ネコが蕎麦を打ちにきた

2014-09-08 07:44:25 | Weblog

♪馬がしゃべる そ~んなバカな・・・・

昔そんなテーマソングの外国のテレビドラマがあった。そうとう昔。

昨日は、最近近くに住み始めたアーティストたち3人が蕎麦打ち初体験。

その中に「ぼくはネコです」と自己紹介されたくんがいて、そのまま「ネコ」

と呼びながら蕎麦打ちをした。そばを、通称「びんぼう」というのし棒で、生地

を伸ばすとき、「ねこ手」という動作があり、その時はネコの魂が憑依したみたいで

不気味でもあり真剣さが、伝わってもき、不思議な蕎麦打ちだった。

3人とも平均25歳くらいで、すがしがしく、みずみずしい蕎麦ができあがった。

途中に茨城の八郷(やさと)の村おこしをやっている青年が、今年の「八豊祭り」(やっほうまつり)

のパンフを持ってきてくれた。秋の蕎麦の収穫祭の「蕎麦打ち」を依頼された。快諾。

小さな一歩であり、一穂だけど、静かにこんなものが優美に広がっていけばな、と

つくづく思う。人間のひとりひとり、稲やそばの実の、ひとつぶひとつぶ、は

「粒々皆辛苦」の結晶である。そんな当たり前のことがわかれば、原発なんかを

この美しい国に作ろう、なんていう卑しい発想はなくなるはずである。

これから「卵かけごはん」

夜は「長屋で女史会」

火曜日の昼が「お仕覆」

水曜日は「かっぽれ」


お金を貯める方法

2014-09-07 08:50:00 | Weblog

京都時代に、下賀茂神社の小さな「からふねや」の本店に、毎週

キャデラックにのって珈琲を飲む呉服屋さんがいた。名前も忘れたけど、

大学の先輩だった。「なあ、お金を貯める方法を教えたろうか?」というので「ぜひ」

と答えると、「つかわんこっちゃ」とのたまわれた。なるほどけだし名言だ。

先週知り合いの骨董屋から電話があり「いい茶櫃が手に入った」というので、買った。

弟子のひとりに頼まれていたので、それを磨いて、そこに自分の煎茶道具を入れたら、

あまりにぴったりなので、その弟子に電話して「もう少し待って」と伝えた。

お金は貯まらず、骨董(がらくた?)なかりがたまる。そのうち「ゴミ屋敷」なんて

いわれるかもしれない。

昨日は大阪から蕎麦を手繰りにきたにーちゃんと彼女がカウンターに座った。

話をしているうちにふたりとも「大学の後輩」だとわかった。カウンターの後ろの

本棚?に並んである元総長で、京都名誉市民の末川博先生の「権利の乱用」の本にのっている先生の写真を

見ながら談論風発。♪仰げば 比叡 千古の緑 伏す目に 清しや 加茂の流れ・・・

今日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」 期待の大型新人が二人くる

月曜日は午前中が「卵かけごはん」。夜は「長屋で女史会」

火曜日が「お仕覆」

水曜日は「かっぽれ」

 


鹿肉の焼き肉

2014-09-06 08:38:48 | Weblog

昨日のねんどでは「鹿肉」を焼いて喰った。

いつもは、半解凍のルイベ風にして、しょうがをすって、かえしで食べる。

昨日は、かえしにお酒を足し、にんにくとしょうがをたっぷりすってズケにし、

それをフライパンで焼いて食べた。自然のものを食べる鹿の肉は、ほんとうに

美味い。自然の食物連鎖。でも今の人間の肉は、鳥葬の習慣が残る国も悩み

の種らしい。いい加減な食べ物を食べる人間の肉はまずくて、鳥が「ちょうマズイ!」

とかいって食べないらしい。

さきほど少し雨が降ったけど、すぐにあがった。庭のほととぎすが可憐な花を咲かせた。

咲くまで待とうほととぎす。

蕎麦を打つ前に、つわぶきと、矢羽すすきと、ほととぎすを、愛子ちゃんの蹲るに投げ入れ、

煎茶を久保さんの斑唐津の茶碗に入れ、手向けた。日々是好日。

今日の新聞に、「とら女」(阪神ファンの女子のこと)とか「オリ姫」(オリックスファンの女子)

というように女子のことが紹介されていた。昨日はボクシングがあったけど、最近は後楽園ホール

にも女子が多くなってきたように思う。天真庵にくる女子たちは、さしずめ「天女」(てんにょ)になる。

明日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

月曜日は午前中が「卵かけごはん」。夜は「長屋で女史会」

火曜日が「お仕覆」

水曜日は「かっぽれ」

 


金曜日にたまちゃんの講座があれば・・・

2014-09-05 08:27:59 | Weblog

テレビはほとんど見ないけど、「キンスマ」なる番組があったように思う。

昨日のブログに書いたけど、「たまちゃんのお座敷遊び講座」が21日(日)

にきまった。金曜日だったら「キンタマ」にしようと思っていた・・・

悠玄亭玉介師匠に名前をもらうとき「悠玄亭金玉にしてください」とお願いした

らしい。

昨日は金ブラ、もとい銀ブラを楽しんだ。時間がある時は、築地からぶらぶらと歩く。

昨日は、一丁目のギャラリーの前で素敵な写真の展覧会が合っている様子なので

そこに立ち寄る。京都長岡出身の人の展覧会の初日だった。花の写真を撮って和紙に

転写し、それを掛け軸のような風合いの額装をする。矢羽薄(やばねすすき)の作品が

よかった。そこから歩いてすぐの「銀座の奇跡」みたいな骨董屋にいって煎茶をごちそうになる。もう85歳?

以前は「2時間以上はお話しないでください」と張り紙があったけど、一時間三十分以上は店主が話す。

その後はお茶道具を専門に扱うお店。ここの主人の師匠は、大塚にあった骨董屋で、そこの主人には

ぼくもずいぶん勉強させてもらった。銀座のお店は、最近中国人やアジアの富豪たちがよくくるらしい。

彼らは家でもてなすのに「日本の煎茶道具」を使うのがステータスらしい。少し派手めのものや、絵

の美味いもの、名前の通ったものが人気らしい。煎茶道具でいえば、三浦竹泉や井上春峰なんかが人気らしい。

「天真庵さんの木庵の額は、みんなほしがりますよ」主人がニヤッと笑った。残念ながら、売るために

集めたのではない。煎茶がおいしく飲める空間をつくるために銀座の骨董屋をブラブラし、いつもすってんてんに

なって押上に帰ってくる。

今日は「ねんどの会」

明後日が「蕎麦打ち講座」&「なんとなく普茶料理の会」・・・最近手にいれた骨董をつかって蕎麦会をやろうと思う。