長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

親指トムのふくろう。「不苦労」な生き方をする秘訣?

2014-04-19 07:57:43 | Weblog

京都から染色家の河野夫妻がやってきて今日明日と「染めん展」を開催。

昨日は恒例の「投扇興」のオープニング。京都では昔から盛んな遊びで、扇を

投げてまとにあて、倒れた形などで点数を競う。ルールは「源氏物語型」と「百人一首型」

があり、いつも簡素な方の後者でやっている。昨日は近所に最近越してきたファッション関係の

若者たちも参加して、大いに盛り上がった。ひとりは、来月京都の大学で「一日教授」をやる予定

になっており、京都との無駄のない縁が広がっていきそうだ。

昨日はお客さんで「野村美術館と好日居にいってきましたメール」を届けてくれた女性がいた。

いろいろなはまり方があるけど、人と人が繋がっていくのが優美で自然でいい。「いいネ」より、いい。

この「染めもん展」を始めてくれた富夢さんは、ろうけつ染めをやっていたけど、知り合ったきっかけは

彼が通っていた陶芸教室の先生が縁。学生時代に京都の松ケ崎の下宿から歩いてすぐに「深泥池」

があった。「みどろがいけ」という。その近所におもろい陶芸家がいて知り合いになった。

そこで富夢さんは、「親指トム」よろしく、残ったねんどを親指にまいて「ふくろう」をつくった。

元気が逝った時も、鎮魂の意味でひとつくれた。今回の展示会に、富夢さんの残したふくろう

がいっぱい展示されている。苦労を超えてものつくりに尽力した職人魂に満ちている。

明日は通常は16時で閉店だけど、19時までやっております。

21日(月)は順受の会。「孟子」を勉強中。

22日(火)は、じんじんさんたちのコンサート。お店は「16時」まで。

23日(水)24日(木)は、「気骨の鮨会」(満席・来月は28日(水)29日(木))

25日(金)が「ダメから始める中国語」


天真庵京都

2014-04-18 08:26:41 | Weblog

明日明後日と京都から染めもんの河野さんがやってきて、

「染めもん展」(13時から19時)を開催する。もともとは「京都のオヤジ」と呼んでいた親戚みたいな

名前の野村富造さん通称・富夢さんが毎年池袋の天真庵で「染めもん展」をやってくれたのが始まり。

そこから着物や和ものや京都にはまっていった人があまたいるようだ。

生前何度か祇園界隈で富夢さんと酒を飲んだ。いい時代は、西陣の染めもんやさんが、料理屋の女将さん

たちの着物を頼まれ、お酒を飲みにいくと、お店で使った備長炭の灰を女将さんがくれ、それをまた染色剤に

する、みたいな愉快で粋な原始的ぶつぶつ交換が行われていた。「おたがいに」が、お店とお客さんだけでなく、

いろんな場所にあったように思う。利害得失を超えたところに、好循環が生まれるんやな。

最近天真庵界隈にも「染め」をやったり、服や帽子をつくる職人さんたちが住み始めた。いい交流の場に

られば、と思う。今日は19時から「投扇興」でオープニング。河野さんは、京都造形芸術大学の一期生。

お花やお仕覆を教えにきてもらっている竹内さんの先輩にあたる。京都造形芸術大学といえば、小川流煎茶道

の家元の小川後楽さん。小川流の創始者の小川可進という人は、煎茶の歴史を語るのに、かかせない人。

お医者さんであり、薬でもあったお茶の研究に没頭し、夜な夜な家の屋根の上に白衣でのぼって、お茶を干したり

しているものだから、「幽霊」とまちがえられたりしたらしい。奇人が歴史を切り開いてきた。

こんな閉塞した時代は、いっぱい奇人が生まれてくる時でもある。


スケベの坊さんが、隅田川を渡る

2014-04-16 07:43:37 | Weblog

今日は休みだけど、「かっぽれ」がある。

スケベな坊さんが、登場したり、奇妙キテレツなものが登場したりするけど、

そのばかばかしさを楽しみ、自分もバカになりきる、という境地になれるのが、いい。

5月18日(日)に「墨田ぶらり下町音楽祭」がある。うちは「オペラ」をやる。

毎年♪春のうららの隅田川・・・・を歌う。この曲は「隅田川」だと思っていたら、「花」で

あることを、その時にしった。

能の曲に「隅田川」というのがある。こちらは、反対に隅田川というよりも、人さらいに

あった梅若丸とその母が狂女になって東国に向かい妙亀尼となり池に身を投げる・・・

といった悲しい物語。

昨日は梅若丸の命日でその舞台になった「木母寺」(もくぼじ)で法要が行われた。らしい。

昨日は「書の会」があり、その準備をしていたら、音楽祭におボランティアに手をあげてくれた

男の人がお店にきて教えてくれ、「隅田川」などの話をした。

業平橋駅、今は「スカイツリー駅」になりはててしまったけど、平安の歌人・在原業平が

名にし負はばいざ言問わん都鳥我が思う人はありやなしやと

うたったように、京都から東国へきて隅田川を渡るとき、「二度と都にかえれない」ような

さびしい心象風景みたいだったのでしょう。

不思議な縁だけど、昨日書いた高橋義孝先生の「能のすがた」という本の中に

「隅田川」の解説があり、「缶詰」の話を例にあげて、痛烈に解説している文を思い出した。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人

とすみかと、またかくの ごとし。」(方丈記)ではないが、人間は大自然の悠久の流れの中のほんの一部であり、その流れに悲喜こもごもの物語を孕ませ

ながら刹那な人生をおくっていく船にのった旅人のようなもの。

6月くらいから「かっぽれ」の女子の部が発足しそうな感じ。バカになりきれなくて困っている人、手をあげてほしい。

 

 


書の会とボクシング

2014-04-15 08:31:55 | Weblog

先日、大橋ジムの井上尚弥選手が6戦目にして世界チャンピオンになった。

すごい快挙だ。そんな素晴らしい試合が夜の10時から放映される、というのが

時代を感じる。昔は世界戦はゴールデンタイムにやっていた。

会長の大橋さん、トレーナーの松本さんは、ヨネクラボクシングジムの出身で、

それぞれが世界チャンピオン、東洋チャンピオン(松本は世界戦もやった)。

今日は「書をしよう会」。

今朝の新聞に新しい大塚駅の完成予想図がのっていた。うらぶれた花街、という

のにピッタリの駅舎が気にいっていたのに、少し残念だ。南口をでたところに

「江戸一」というお店がある。「寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身で、寒山拾得

を知らない日本人は日本人ではない」と言い切った高橋義孝先生。先生が生前通った店で、

ぼくもよく白鷹の燗酒を飲んだ。そこで出会ったのが、書の先生の「貞本」さん。

天真庵の看板を書いてくれ、書を縁ある文人たちに指導してくれている。

池袋時代に6年くらいヨネクラボクシングジムに通った。途中の一年くらい、貞本さん

もいっしょに通い、お互いにサンドバックをたたいたり、ほんもののボクサーたちと同じ

サーキットのメニューでトレーニングをした。ボクサーたちと違って、トレーニングが終わったら、

目白の駅周辺の居酒屋にいき、ビールをグビグビ飲んで、減量とは程遠いボクシングジム通いだった。

彼も軽く一升を飲んでいたけど、だいぶ酒量が寄る年波にあわせて減ってきた。

明日は「かっぽれ」

週末は「染めもん展」

 

 

 


東京には平成か昭和の話をする人しかいない・・・?

2014-04-14 07:47:08 | Weblog

しばらく「京都病」というか、京都の話が続いている。

今週末に「染めもん展」をやるので、まだまだ京都の話が続く。

銀座に名物?の骨董屋がある。その主人は東京帝大を卒業して、高級官僚の

道を歩んでいたが、ある時、ふと自分の生きざまに疑問を感じ、野に下って

「骨董屋」になった。その店にいくと、「話は2時間以内でご遠慮ください」との張り紙

がある。でも毎回、一時間半以上は主人が一方的に話をする。煎茶を三煎くらい

入れてくれるので、お客の持ち時間は10分がいいところ。

東京銀座生まれではあるが、毎月のように京都にいく。仕事がら、ということ

でもあるけど、「東京では昭和くらいまでの話をする人しかいない。京都は1200年前の

話までできる人がいっぱいいて楽しい」とのこと。「なるほど」とうなずく。

天真庵を結ぶきっかけになった南條観山さんは、四国の今治・朝倉村で生まれ、今も住んでいる。

野村美術館の「碧雲荘」に絵が飾ってある縁で、毎年春に野村美術館で「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)

の展覧会があり、「大人の修学旅行」と称して、縁ある人たちと毎年上洛した。

20日までやっている「太田垣蓮月展」のお知らせも先生がおくってくれたものだ。

池袋時代は毎年、10日間くらい「南條・寒山拾得展」を天真庵でもやっていた。

今の天真庵のベースになった時代。多士済々の奇人たちが集まってきた。

昨日お礼をかねて先生に電話をした。いつも30分はしゃべる。(これもあちらが一方的)

昨日は日曜日で仕込みがいっぱいいっぱいだったので、20分くらいで、「それじゃ、また地震

がきたりするけん、お大事に・・・」と、話を終ろうとしたら・・「あんな、1300年くらい前、このあたりは

天智天皇の天領でな、百済を救済する時の拠点になっていたらしいわ・・・・

ほんでそのあたりに大きな地震があってな・・・・」と話が1300年くらい前にさかのぼり、けっきょく

気がつけば40分くらい話が続いた。あまりに興味深い話だったので「続きは夏休みにそちらにいくけん、

お願いします」といって電話を切った。齢85歳になるけど、まだまだお元気だ。

これから「卵かけごはん」

夜は「易」

明日が「書」

あさってが「かっぽれ」

週末が「染めもん展」


鯵のひらき

2014-04-13 08:48:09 | Weblog

朝ごはんには、だいたい島源のアジの開きを食べる。

駿河湾でとれる鯵は美味く、しかもそれを天日干しにしているし、

化学調味料的なものを使っていないので、とても安心。

先日知りあいの魚屋に生きのいい長崎の鯵があったので、

さっそくそれを開いて、海水の濃さの塩水に一時間つけ、半日天日干しにして、

今朝食べた。もちろん焼いて・・。自分で手を加えただけのことがあり、また格別な鯵の味。

ぼくの故郷は福岡の宗像。玄界灘の近くで、そこでとれた鯵を「玄ちゃんアジ」という。らしい。

ユルキャラやイマダサなネーミングが流行っているけど、ゴロは悪いし、全国区

にはなれないけど、美味さは筆舌が及ばない。九州で一番大きな漁港は鐘崎漁港。

そこの人たちが何百年か前に時化(しけ)で能登までたどりついて、漁法やいろいろな文化を

残した、という話は有名だ。方言やお祭りにも共通のものがあまたあるらしい。

明日は「卵かけごはん」 オプションで「自家製鯵の開き」を登場させたいところだが・・・まだまだ先。

明日の夜は「易の勉強会」

火曜日が「書をしよう会」

水曜日が「かっぽれ」

先週、古本屋で加藤唐九郎さんの茶会の記事があった。

「世の中にまったく新しいものなんてありえない、古いこと、伝統のうえに初めて

新しいものが生まれるんじゃ」という言葉があった。翁87歳の時の金言。

古いこと伝統に胡坐を書いていてもだめだし、基礎ができていないのに独走的

なことをやっても意味がない。「修・破・離」(しゅはり)というのは、これからの時代

も大事なことやね、ほんま。


筍ごはんの豪華版

2014-04-12 08:20:31 | Weblog

京都の長岡に「天真庵」があった。

南條先生の姪っ子さんがいて、京野菜のソムリエみたいに、八百屋さん

をまっとうした夫婦。もう引退してしまったけど、現役時代は毎年日本一だと

いわれる筍の朝掘りのものを新幹線にのってもってきてくれた。

挨拶もそこそこに、「はやく料理する」のいうのが寛容。京都では、筍

ごはんに豚を入れる料理がある、というのも習った。

昨日は「ねんどの会」。この会に自分のお年玉をくずしながら、6年

くらい通っているみくちゃんが、先日中学生になった。昨日はそのお祝い

もかねて、筍ごはんに鹿児島の黒豚を入れて、元気つくしで炊いてだした。

姪っ子のユズも同じく中学生になり、セーラー服と機関銃状態で元気な

中学生になった。春爛漫である。

少し贅沢だけど、長岡には「錦水亭」という桃源郷みたいな筍料理のお店がある。

先週、寺町を散策していたら、寺町三条に朝掘りの筍を売っていた。一本壱万円、

くらいする。でも一度そのクラスを食べてみると、「ほんまもん」が見えてくる。

来週の19日20日は、京都から河野さんがきて「染めもん展」をする。池袋時代

から毎年やっていて、その時は天真庵が京都になる。

18日(金)が前夜祭。投扇興で遊ぶのがならわし。

 


夏も近づく八十八夜

2014-04-11 08:41:24 | Weblog

昨日も「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」だった。ただ生豆を焙煎機で焼くだけ、

それをお湯を注いで抽出するだけの話。でもその「ただ」が奥深い。なんでも

「これでいい」という妥協線を低く設定すると、そこで終わり。目標をしっかり

持っている人は、終わりのない終着点を知っているので、そこまでの道程を

楽しく行脚することができる。だから「終わりは始まり」でもある。

お茶にいたっては、日本人が連綿と積み重ねてきものの「総合芸術」だと思う。

「ここで終わり」はない世界。矛盾のない世界。

昨日は京都で買ってきた「鍵善良房」のお菓子でお茶を楽しんだ。「くずきり」が

有名な祇園の300年の老舗。先週はそれを目当てに大行列ができていたが、こちらは

お店に並んでいる河井寛次郎の器を見て、おひがしを買う、だけ。

来月は新茶を積みに岐阜の茶畑にいって、そこで蕎麦会をやることになった。

こちらは600年以上の歴史がある。高齢化で後継者の問題などでみんな悩んでいる。

そろそろ真剣にならないと「茶の文化」も絶滅危惧種になりそうだ。

「新茶を祝う蕎麦会」5月14日(水)

よって、来月の「卒啄珈琲塾」を翌週の21日(水)22日(木)にずらします。’(業務報告)

「気骨のすし会」を5月28日(水)29日(木)にずらします。

今日は「ねんどの会」

 


白ワインを飲みながら・・

2014-04-10 08:13:28 | Weblog

昨日は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」だった。

少しあたたたくなったので、アイス珈琲がでるようになった。

「ほぼぶらじる」は、ホットとアイスがある。ブレンドを変えるのでは

なく、温度によって焙煎を変える。アイス珈琲の季節は自然に深く

なる。そうすると温かい珈が少し「にがく」感じることがある。そこにちょいと

触媒のような珈琲豆を入れると不思議だけど、調和ができる。

理論理屈ではなく、自然の運行に波動をあわせてみると、「!」とくる。

無茶しぃの会では、京都で調達した「おひがし」で、星野村の煎茶を

いただいた。京都でいただくお茶は最高だけど、東京でも負けていない、

というくらい芳香な茶の味が、五感をリセットしてくれる。

昨日はお茶のお稽古が終わった後に、お茶を習いにくるNさんが

毎週水曜日に「bunkan」でやる「一日店長 カレー屋さん」にいった。

夜の部は16時半からで、ワインなどがついたセットメニュー。

少し時間があったので、玉ノ井(東向島界隈)をぶらりと散歩して、

bunkanの隣にある日本一センスのいい「ノックの帽子屋」をのぞいた。

先日ノックさんと日本一センスのいい「NUSUMIGUI」(盗み喰い)というブランド

を立ち上げている香取神社近くのアーティストたちが、蕎麦を手繰りにきた。

若いアーティストたちが元気なうちは、この国の未来も明るい。この服をつくる匠と

帽子の匠が、今年は「全国ツアー」をやる予定らしい。ぼくも石臼をもって参加したい

といおうと思ったけど、遠慮した。でもどこかの街、できたら四国のあの港町あたりは

いってみたい。だいたいこんな「ひとりごと」をいっている時は、半分以上実現に向けて

動き出そうとしている。あっちの人たちは、すこぶる迷惑な話ではあると思うけど・・・

イタリアの「ブリッコ・・?」みたいな白ワインを飲みながら、四国の港町の古色蒼然

としたカフェで、蕎麦を打っている初老の翁の姿が見えた・笑

明日は「ねんどの会」

芸術とまでいかないにしても、自分でものつくりをする、というのは、素敵なことだ。

すごい勢いで日本人の高齢化が進んでいるけど、いつも世界にさきがけて、そんな時代

の「生き方」の手本を見出すのも、日本の役割。しばらく斜陽を楽しみながら、ゆっくりと

お茶でも楽しみながら生きていければ何の不足もない。「ここから」という原点があればいい。

 


さよならだけが人生さ

2014-04-08 08:59:59 | Weblog

昨日は「長屋で女史会」だった。古事記などの歴史的な認識や

神話を引用しながら、日本人の性意識などを勉強しながら、「今」を

語りあうような「大人のゼミ」。昨日は「桜」の話になった。

井伏鱒二が中国の「勧酒」を「さよならだけが人生さ」という名訳の文が有名だけど、

それに対抗して寺山修二が 「さよならだけが人生ならばまた来る春は何だろう・・・」と詠った

というのがおもしろかった。天井桟敷に若いころ席をおいていた升たかさんの珈琲カップが

笑った気がした。彼は元気にしておるのだろうか?

古代史の謎ではあるが、アマテラスが、卑弥呼で卑弥呼に推定される「神功皇后」がアマテラスではないか、という

のもおもしろかった。

ぼくの田舎は福岡の宗像、宗像(しゅうぞう、ではない、ムナカタ)大社の神域。アマテラスの三女神を

おまつりしている。近くに神話にでてくる港があり「神の湊」と書いて「こうのみなと」という。

そこからでているフェリーは、神の住む島「筑前大島」そして、その先に「沖ノ島」があり、三女神が

それぞれ鎮座する不思議な場。このあたりを、素っ裸(沖ノ島は、男しかいけないし、素っ裸で禊をしないとはいれない)

な気持ちで歩きながら、古代の波動に周波数をあわせてみると、自身の中の「日本人DNA」が、イキイキとしてくる。

今日あたり北国も桜が開花するらしい。お店をやる前はゴールデンウィークは必ず、東北を旅した。

どじょこ、ふなっこといっしょに、春を謳歌したものだ。

古来より、桜を観るのに、女性の膝枕がよし、としてきた。今みたいに混沌とした時代にこんな唄が生きる。

せくなあせるな世間のことは しばし美人の膝枕

今日は「タイムドメイン」 CD、酒、つまみを持ちこんで 散った花を偲ぶパーティー

明日明後日が「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」

金曜日が「ねんど」