しばらく「京都病」というか、京都の話が続いている。
今週末に「染めもん展」をやるので、まだまだ京都の話が続く。
銀座に名物?の骨董屋がある。その主人は東京帝大を卒業して、高級官僚の
道を歩んでいたが、ある時、ふと自分の生きざまに疑問を感じ、野に下って
「骨董屋」になった。その店にいくと、「話は2時間以内でご遠慮ください」との張り紙
がある。でも毎回、一時間半以上は主人が一方的に話をする。煎茶を三煎くらい
入れてくれるので、お客の持ち時間は10分がいいところ。
東京銀座生まれではあるが、毎月のように京都にいく。仕事がら、ということ
でもあるけど、「東京では昭和くらいまでの話をする人しかいない。京都は1200年前の
話までできる人がいっぱいいて楽しい」とのこと。「なるほど」とうなずく。
天真庵を結ぶきっかけになった南條観山さんは、四国の今治・朝倉村で生まれ、今も住んでいる。
野村美術館の「碧雲荘」に絵が飾ってある縁で、毎年春に野村美術館で「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)
の展覧会があり、「大人の修学旅行」と称して、縁ある人たちと毎年上洛した。
20日までやっている「太田垣蓮月展」のお知らせも先生がおくってくれたものだ。
池袋時代は毎年、10日間くらい「南條・寒山拾得展」を天真庵でもやっていた。
今の天真庵のベースになった時代。多士済々の奇人たちが集まってきた。
昨日お礼をかねて先生に電話をした。いつも30分はしゃべる。(これもあちらが一方的)
昨日は日曜日で仕込みがいっぱいいっぱいだったので、20分くらいで、「それじゃ、また地震
がきたりするけん、お大事に・・・」と、話を終ろうとしたら・・「あんな、1300年くらい前、このあたりは
天智天皇の天領でな、百済を救済する時の拠点になっていたらしいわ・・・・
ほんでそのあたりに大きな地震があってな・・・・」と話が1300年くらい前にさかのぼり、けっきょく
気がつけば40分くらい話が続いた。あまりに興味深い話だったので「続きは夏休みにそちらにいくけん、
お願いします」といって電話を切った。齢85歳になるけど、まだまだお元気だ。
これから「卵かけごはん」
夜は「易」
明日が「書」
あさってが「かっぽれ」
週末が「染めもん展」