長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

スケベの坊さんが、隅田川を渡る

2014-04-16 07:43:37 | Weblog

今日は休みだけど、「かっぽれ」がある。

スケベな坊さんが、登場したり、奇妙キテレツなものが登場したりするけど、

そのばかばかしさを楽しみ、自分もバカになりきる、という境地になれるのが、いい。

5月18日(日)に「墨田ぶらり下町音楽祭」がある。うちは「オペラ」をやる。

毎年♪春のうららの隅田川・・・・を歌う。この曲は「隅田川」だと思っていたら、「花」で

あることを、その時にしった。

能の曲に「隅田川」というのがある。こちらは、反対に隅田川というよりも、人さらいに

あった梅若丸とその母が狂女になって東国に向かい妙亀尼となり池に身を投げる・・・

といった悲しい物語。

昨日は梅若丸の命日でその舞台になった「木母寺」(もくぼじ)で法要が行われた。らしい。

昨日は「書の会」があり、その準備をしていたら、音楽祭におボランティアに手をあげてくれた

男の人がお店にきて教えてくれ、「隅田川」などの話をした。

業平橋駅、今は「スカイツリー駅」になりはててしまったけど、平安の歌人・在原業平が

名にし負はばいざ言問わん都鳥我が思う人はありやなしやと

うたったように、京都から東国へきて隅田川を渡るとき、「二度と都にかえれない」ような

さびしい心象風景みたいだったのでしょう。

不思議な縁だけど、昨日書いた高橋義孝先生の「能のすがた」という本の中に

「隅田川」の解説があり、「缶詰」の話を例にあげて、痛烈に解説している文を思い出した。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人

とすみかと、またかくの ごとし。」(方丈記)ではないが、人間は大自然の悠久の流れの中のほんの一部であり、その流れに悲喜こもごもの物語を孕ませ

ながら刹那な人生をおくっていく船にのった旅人のようなもの。

6月くらいから「かっぽれ」の女子の部が発足しそうな感じ。バカになりきれなくて困っている人、手をあげてほしい。