長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

墨田ぶらり下町音楽祭

2009-04-19 06:38:00 | Weblog
昨日は開店と同時に、近くの整骨院の「こりこりさん」
が、墨田ぶらり下町音楽祭のチケットを買いにこられた。
彼が中心になって、下町のお店を中心にTシャツと、マップを
つくった。仕事も忙しいけど、合間をぬって、いろいろなお店を
まわり。「こんな企画でTシャツをつくりたいのですが」という
プレゼンをしていったのが、すごい。
誰でもできそうなことだけど、最近はみんな手のひらに電卓が
入っていて、何をするにも利害得失を考えながら、行動する人
が多い。中にあって、「こころざし」をもって、行動する人は
貴重だし、これからの時代を開いていく人だと思う。

5月10日の「墨田ぶらり下町音楽祭」も、ベルギーでバロックオーボエを
勉強し、帰国して、近所に住むことになったかよちゃんが、
SPICE CAFEとうちをくどいて、音楽家の仲間たちを
くどき、天真庵という看板を揮毫した先生をくどいて、題字を
書いてもらい、天真庵のスケッチをしたわかなさんをくどいて、
表紙の絵とマップを描いて、街の人などをくどいて、公共の
建物をつかわせてもらうことになった。

利害得失ではなく、「こんなことをしたら楽しい」と思う人たちが、
昔やった「はないちもんめ」みたいに、横に手をつなげて、やさしさ
を広げていけば、「勝ってうれしい・はないちもんめ」よろしく、新しい
未来が開けていけるのではなかろうか。

今日は、6時から「もにじんらいぶ」。
これから、お店にいって、蕎麦を打つ。
ライブがあった後は、そば切りがリズムカルになって気持ちがいい。

明日は、わかなさんの「スケッチ教室」。あさっては「英語で蕎麦会」

わずか10坪くらいの小さな空間
だけど、ライブハウスになったり、寺小屋になったり、蕎麦屋やコーヒーや
になったりする。人が集まる「場」は、うまく活用すれば「癒し場」になる。

墨田ぶらり下町音楽祭

2009-04-18 06:04:31 | Weblog
今は昔、「二十一世紀情報産業ネットワーク協同組合」というのを有志で
つくったことがある。昭和63年だから20年以上前の話。
自然に「ねっと21」と呼ばれるようになったけど、最後まで
正確な名前をいえる人は少なかったし、手紙や年賀状を書いたり
するのが、大変だったと思う。

5月10日に行われる「墨田ぶらり下町音楽祭」も、ぶらり、を
どこにいれるかが覚えにくい。まだ先だけど、自然に盛り上がって
きて、チケットも毎日売れている。不況の中にあって、芸術とか音楽
なんかとても余裕がない感じなのに、とてもうれしいことだ。
みんな「幸せってなんだろう」と、まじめに考え始めた証でもある。

お金とか、ものを所有するのが幸せのように思っている人が、まだまだ
多いけど、それだけでは、幸せになれない。
「お金、家、恋人、仕事、宝石・・・」自分のものだと思ったら、
いろいろ執着したり争いになったりする。「借りている」と思ったら
気分が楽になる。
「必要な時に、かみさまから借りているんだ。必要でない時は、かえせば
いい」くらいの感じになると、非常に気持ちが軽くなる。どうぜあの世に
いくときは、何ももたずに行くのだから、何も自分のものはいらない、と
思えば、さらに楽になる。
人生楽らなほうがいい。
そんな時にいい芸術にふれることを「音楽」という。

今日、明日はライブがあるので、準備のためそれぞれ5時、4時で
閉店。 感謝。

週末のライブ

2009-04-17 06:24:09 | Weblog
明日は、馬場和子さんが天真庵デビュー。
彼女はニューヨークで活躍していたジャズウーマン。
縁があって、論語の会(順受の会)に参加されたことがある。
明日はベースとピアノで、ジャズの日。
準備のため、17時に閉店。

あさっては、4時に閉店して、6時から「ものじんライブ」
近くに住むギターのじんじんさんと、ハーモニカのマツモニカ
さんのデュオ。ジャズ・ボサノバ・サンバから、ビートルズまで
まるで、「懐かしのワールドミュージック」みたいな世界。

昨日の「ひとりごと」に書いたけど、音楽の中には、
ホンモノ、「真・善・美」が内包されていて、教えて
もらうこと多し。

20世紀は「はりぼて」みたいな、見かけだおしのものが多かった
けど、これからは、無名であっても、小さな企業やお店であっても、
「ほんもの」でないと生き残れないと、つくづく思う。


かっぽれ

2009-04-16 09:04:53 | Weblog
毎年春には桜橋付近で「かっぽれ」をやるらしい。
日曜日だったので、今年はでなかったが、来年あたりは
参加してみようか?などと思う。やはり女性が多く、
少ない男性たちは、舞台の中心で踊るらしい。
「舞台の中心で愛を叫ぶ」か?

落語の本が隔週で本屋に並んでいる。こないだ志ん朝さんのを
買って読んでいたら、彼がかっぽれを踊る写真がのっていた。
さすがに、落語家としても俳優としても大成した芸だと痛感。


今日は休み。

18日は、「馬場和子さんのジャズピアノ。」19時開場 19時半スタート
19日は、「もにじんさんのギター&ハーモニカ。」18時開場 18時半スタート

5月10日の「墨田ぶらり音楽祭」の前売りを開始した。
4箇所のライブ開場を梯子して、2000円。
かなりいい感じで売れているので、はやく売り切れるかも。
小さく産んで、自然な縁で、優美にゆっくりと広がっていけば
いいと思う。さらさらと、ただ、さらさらと・・

2009-04-15 07:36:59 | Weblog
昨日は書の会だった。
江戸一という大塚にあるお店の、飲み仲間だった貞本さん
が月に一度きてくれて、音楽家とか多士済々の人たちと
いっしょに楽しんでいる。彼は天安門事件のころ4年間
中国で書の修行をしていた。それぞれが、手本もなく自分の
気持ちを表現できるのがいい。

「人のいく裏に道あり 花の山」
ではないが、「みんながやるから」とか「テレビや雑誌をみて」
とかいって、雑魚がたむろしているような生き方をしていたのでは、
新しい道が開けていかないような時代。

最近、音楽家とともに、若い蕎麦や料理人たちがよく遊びにきてくれる。
料理や蕎麦の話よりも、もっぱら「美意識」とか「空間」とか「しつらえ」
みたいな話で盛り上がる。
昨日こられた若い料理人は、夏目漱石の草枕よろしく、二階に
かけてあった木庵の書に魅され、ひょんなことから「お花の勉強
に加えてください」ということになった。
また不思議な青年が、原田先生の弟子になる。
いつの時代も師というには、「弟子が発見する」ものである。

「お稽古」とは、教える、習う、という単純なものではない。
「自分らしく生きる」ことを探求する旅みたいなものかも。
今日は「かっぽれ」。
バカになりきる、自分の殻をやぶるお稽古。

ツチコネール

2009-04-14 06:35:46 | Weblog
当たり前だけど、毎日蕎麦をうっている。
陶芸家は土をこねる。ニューヨークには
あだ名が「ツチコネール」という陶芸家がいた。

昨日は「ねんど」だった。今日は「書」。
先生のまいかさんは、近所に住んでおられる。
ご夫婦で蕎麦を手繰りに着ていたときに、「書に参加したい」
とのことで、参加され、その時の蕎麦会でねんどをやっていることが
わかり、そこにいた人たちの希望もあって、ねんどの会が始まった。

昨日は、鳩の街商店街の「すずき荘」の縁で、かわいらしい二人姉妹が
参加された。こいさんはサービス業、いとはんは中国語の先生だ。
そのいとはんが、来月から「中国語で蕎麦会」をやってくれることに
なった。いろいろおもしろくなってきた。

明日は「かっぽれ」。あいかたも無事退院してきた。
これから浴衣がいい季節になる。

ぶんこ君

2009-04-13 06:09:49 | Weblog
昨日、ピアニストの文庫君がチャリンコにのってやってきた。
大塚の江戸一の若大将も時々チャリンコにのってやってくるけど、
文庫君は、溝ノ口からやってきた。どうもこの街がきにいった様子だ。
近い将来、引っ越してくるかも知れない。またおもろい音楽家がひとり
ふえる。

彼とは10年くらい前に青山の骨董やで偶然出会った。まだ音大を
出たばかりのひょろっとした青年だった。でも生まれついての「目利き」
で、ピアノの才能と骨董を見る目が確かだった。

天真庵の改装中に二階の飯場に「帰山」(きざん)という酒をもってきてくれた。
「こんなうらぶれた場所に、不思議なサロンをつくろうとしている大兄の
今の心境にぴったりの名前の酒だから」といった。
瓶の裏の説明を読むと、「帰山・・・自然に帰る、あるがままに生きる」みたいな
縁起が書いてあった。
「四つ木の杉浦酒店で売っています。日本一の酒店です」と、目利きの君が
いうので、次の日に、四つ木の杉浦酒店にいった。
店主の杉浦さんもいいし、おかみさんもいい。いろいろ試飲もさせてもらった。
「会津娘」ともその時はじめて出合った。そのあと、杉浦さんの娘も偶然
うちのお店の常連になった。その娘がこのたび、田呂丸という性になった。
そして近い将来「田呂丸の娘」が誕生するのだろう。

文庫君は先週電車でやってきて、天真庵にまずきて、その後ぶらぶらと
この界隈を散策した。こんどはチャリンコで、この街の界隈を回った
後に天真庵にきた。こんどは、歩いてまわるそうだ。

ぼくもこの街をきめるまで3度きた。一回目は晴れた日の午前中にきて、
二度目は晴れた日の夕方にきた。そして、三回目は雨の日の午後、かさを
さしながら、この街を散歩した。雨が長屋の屋根にあたる音が、やけに
ここちよかった。その瞬間に「どうかこの街に縁がありますように」と
祈った。その祈りがすぐに通じて、天真庵をこの地に結ぶことができた。
ほんとうに、縁とは不思議なものだ。 感謝。




渡り鳥の話

2009-04-12 06:58:00 | Weblog
昔、サントリーだったと思うけど、
渡り鳥が、旅立つときに、海に止まり木をおいていく、
なんとも旅の寂寥感を彷彿させるようないい話があった。

昨日は、天気がよかったので朝軽く走った。すぐに汗が噴出して
きて、とても気持ちがよかった。こないだまで花冷えで、ストーブを
使っていたことが、今は昔みたいに感じられる。

暖かくなったので、「ほっととり蕎麦」よりも、ざる蕎麦
のほうがでるようになった。
2時前に、ほぼ完売になる。どうしても二人分は、とっておきたかった。
ぬまちゃんたちが、引越しをする日なのだ。
彼女はみゆきさんの次に、天真庵を手伝ってくれた。
この街が気に入って、毎週のように厚木にある実家から天真庵
にきて、住むとこを探した。きらきら橘商店街のなかに気
にいった家をみつけ、約2年になるけど、先月めでたく結婚して、
夫君の住む兵庫にいくことになった。引越しのトラックがきて、
二人で最後の「文膳」。結婚式の次の日に、7合づつ飲んだ「おおとら」
な二人だけど、昨日は、ゆっくりと「上喜元」「うら鍋島」「責め」
などを、飲んでいかれた。しめの蕎麦はさしずめ「引越し蕎麦」だ。
ちょうどその時、その酒を入れてくれる杉浦酒店の娘さんや、わか
やなおやさん、福島からひがさん、たちが、止まり木にとまった。
ぬまちゃんは、池袋時代から「英語で蕎麦会」にきていた。奇しくも
岩本先生も、やってきた。どうも「長屋」を見つけて、住むことに
なったらしい。「長屋で英語塾?」を企画しているようだ。
「行く人来る人」・・・旅みたいに、いろいろな出会いや別れが
ある。止まり木みたいに、電子レンジとガスレンジを置いていった。

夜は「井の中」で、「下町Tシャツ」に協賛したお店の人たちと
親睦会。のれそれを酒肴に、秋鹿を飲んだ。
久保さんの志野の「まいぐみ」で飲むと、のどがグビグビなった。
この店は、ヌル燗の美味い店。スタッフは若いけど、「ポリシー」
がしっかりしていて、いい。

明日は「ねんど」。あさっては「書」。明々後日は、「かっぽれ」







日本酒

2009-04-11 06:11:08 | Weblog
昨日は初めての、「日本酒の寺小屋」を開催した。
遠くは、大阪から新幹線で駆けつけてくれたお客さんもいた。
神保町に「アル中」という、有名なお酒な勉強会がある。
私の蕎麦の師匠、高橋さんの御用達の酒屋さんが主催している。
「アル中」は、つまり「アルコール中学」のことで、段階のカルキュラム
があって、「アル高」(アルコール高校)、アル大(アルコール大学)
がある。確か「卒業旅行」というのもあって、ヨーロッパのワイナリー
などを見学するツアーも番外編としてあったように思う。
ぼくの暇な文人のような友だちが、全コースを卒業した。

昨日は、特徴的なお酒が6種類用意されていた。
ぼくの席の前には、天真庵という看板を揮毫してくれた
貞本さんが座った。
5月10日の「墨田ぶらり下町音楽祭」のチラシの
揮毫も彼がやってくれた。よく大塚の江戸一で、飲んだ。
熱燗で有名な居酒屋だ。若主人は時々自転車で、大塚
から天真庵にきて、ほぼブラジルを飲んでいかれる。
時々、日本酒を飲みたくなると、江戸一にいく。
今のところ、総合力でこのお店にかなうところを知らない。

春は出会いや別れの季節。そんな節目節目には、日本酒が
よく似合う。

ねこが命がけの恋?

2009-04-10 06:26:41 | Weblog
昨日は、休みだけど、4人の素材展のかたずけ。
お昼すぎに一段落して、お昼を食べにいって、お店に
かえってきたら、店の前、目の前でねこがトラックにひかれ
即死した。車が、ETCの出入り口みたいに速度を落としたり、
よけて走ったりして、危ないので、般若君が歩道まで
運んでくれた。そして墨田区役所に電話し、区の道路関係の部署を
教えてもらって、しばらくしたら、係りのおじいさんがとりにきてくれた。
「春になると、ねこも活動を始めるので、事故が多い」とのこと。
「今日はこれで5回目」とのことだった。路地裏のひだまりでまどろんで
いるぶんには安全だけど、恋をして「惚れて通えば千里も一里」となかりに、
車の多い道を横断したりするのは、大変なことだ。
ま、人間の恋も、命がけみたいなところもあるけど・・・ 合掌

今日は「日本酒の寺小屋」。
初めての企画だけど、すぐに満席になった。
6時以降は、準備のために閉店。